繋がる記憶
私はふいに思い出した。
カラヴィア…!そうよ、あいつよあいつ!
あいつの云ったことが私の心に刺さった。
『忘れた方が楽になるのに、バカねえ…』
あの時―。
大聖堂の地下、私は追い詰められて、魔王に助けを求めながらあの装置に乗った。
だけど同時に私は、カラヴィアの云ったことで揺れていた。
『魔王様がいくら好きでも一緒にはいられないよね?それも醜く老いさらばえて行くのよ?魔王様はずーっとあのカッコイイ姿のままなのに。そんなの耐えられるの?』
その途端、私の中から思い出したくない記憶が飛び出してきた。
ああ…そうだった。私、ずっと悩んでたんだった。
人間と魔族は生きる時間が違うから。
一緒にいたいって思ってもそれができないから―。
彼の記憶に残ればそれでいいなんて奇麗事云ってたけど、そんなの見栄を張ってただけだ。本当は、どうにもならないことをずっと嘆いていた。そこから逃げたかったんだ。
一緒にいられないのなら、いるのが辛いのなら、いっそ忘れてしまった方がいい。そうしたらこんなに悩むこともなかった…。いっそ、出会わなければよかったのに、って…。
そう―確かに私は忘れたいって思った。
だけどまさか、そんなことが現実になるなんて思ってもみなかった。
もしかしてこれも<運命操作>のせいだったりするの?
私は恐る恐る魔王の顔を見上げた。
責められるかと思ったけど、彼の眼差しは優しかった。
その眼差しが私の記憶を呼び起こした。
記憶が繋がるって不思議だ。
魔王は、本来の姿を取り戻したんだ。
記憶の中の少年の姿の彼と目の前にいる彼の姿が、合致した。
ずっと知ってた人なのに、あの小さなゼルくんの姿だったんだなって思うと、また違った感情が湧いて出てくる。
私が彼を思い出せないでいた時にも、正体を隠してわざわざ幼い姿になってまで傍にいてくれた。記憶の繋がりは感情の繋がりでもある。過去の感情が解き放たれて、溢れ出す。
「ごめんなさい…!」
私は両腕を伸ばして魔王に抱きついた。
彼は優しく受け止めてくれた。
「何を謝る?」
「だって私、逃げようとしたのよ。人間の私じゃあなたといられないから、あなたを忘れて、あなたの知らないところで、誰にも知られずに生きようって思ってた。もう、逃げないって決めていたのに…」
「それを責める術を我は持たぬ。おまえは我のために苦しんだのだろう?」
「う、うん…だけど、それは私のせい…」
「おまえが我を想ってくれていた証拠ではないか。どうして責めることなどできようか」
魔王の手が私の頬に触れる。
「かつてシェーラという人間の娘がいた」
「あ…」
「その娘も、おまえと同じように、時の流れの違いに翻弄され悩んでいた。我はそれを理解してやれずに、シェーラを死に追いやってしまった」
シェーラ。
魔王が初めて魔王城に連れ帰った人間の少女。
彼女も魔王と一緒にいたいと願っていた。
そっか…。私、彼女と同じことを…。
「私、カラヴィアからシェーラのことを聞いたわ。精神を病んだせいで、記憶を消されたって。そんなの絶対ありえないって思ったけど、結局私も同じことしちゃってたのね…」
「おまえはシェーラとは違う。強くしなやかな心を持っている。だが1人で抱え込もうとするのは悪い癖だ」
魔王は私の身体を抱く手に力を込めた。
「おまえを失いたくない」
「ゼルくん…」
「おまえがいなくなったと聞いた時、心底悔やんだ。今度見つけたら、もう二度と離さないと心に決めていた」
痛いほどに抱きしめられて、気が遠くなりそうになる。
「おまえが好きだ」
ストレートなその言葉が私の胸を温かくする。
人間だの魔族だの、いろいろなことが頭を巡ったけど、もう、どうでも良くなっちゃった。
私の願いは、たった一つ。
「…ずっと、傍にいてくれる?」
私の言葉に、彼は私を抱く手を緩めて、私を見下ろした。
そしてフッと微笑んだ。
「…ああ、約束する」
「私だけおばあさんになっても?」
「どんな姿でも構わない」
「先に死んじゃっても?」
「どこに転生しても必ず見つけ出してやる」
「…記憶を失くしてても?」
「思い出すまで傍にいてやる」
彼は丁寧に言葉を尽くしてくれる。
私はうるうるしながら魔王の顔を見上げた。
泣きそうな私の瞼の上に、口づけが落ちてきた。
「大人の姿になったら、エンゲージしてくれると云ったことを覚えているか?」
「…え。そんなこと言ったっけ?」
「言った」
「ごめん、覚えてない…。たぶん軽く返事したんだと思う…」
「約束は約束だからな。我とエンゲージして欲しい」
エンゲージして欲しいって、確かに前にも言われた気はするけど…。するなんて答えたっけ?
そう云えばエンゲージって…、確か相手のスキルを使えるようになるって…。
「あ!」
「どうした?」
「昨日、<運命操作>スキルを使う必要がないって言ってたのって…もしかしてそういうこと?」
魔王は微笑んだ。
「そういうことだ」
「でもさ、エンゲージ…って、そもそも魔族同士が魔法紋を交換するものでしょ?人間ともできるの?私そんなの持ってないんだけど…」
「今ここで試してみるか?」
「えっ?!」
私が驚いていると、魔王は声を立てて笑った。
「…冗談だ。顔を洗ってこい。涎の跡が付いているぞ」
「へ?!やだ、嘘!?」
魔王の指摘に、私は慌てて水桶のところまで走って行った。
もー、恥ずかしい!
だけど、すっごいドキドキした。
マジで告られたし!
待って…。エンゲージって、婚約するって意味よね…?魔族には結婚制度はないけど、生活を共にするっていう意味では同じことなわけで…。
ってことは…今のはプロポーズ!?
「きゃわーっ!!」
私は熱くなる顔を冷やすように、バシャバシャと顔に水を掛けた。
あまりの勢いに、水瓶の傍にいたジュスターがびっくりしながら、顔を拭く布を渡してくれた。
あ、そういえばネックレス…。
私は魔王のところへ戻って、ネックレスのことを聞いてみた。
すると、ネックレスはやっぱり魔王が持っていた。
ちょっとした理由があってネックレスはしばらく魔王が預かると云った。
それってやっぱり、カイザーが人間を殺しちゃったことが原因だったりするのかな?
けど、カイザーと話せないのはちょっと寂しい。
カイザーにも、記憶が戻ったことを話しておきたいのに。一緒に喜んで欲しかったな…。
朝食の準備ができたと呼びに来たジュスターに、魔王が私の記憶が戻ったことを話すと、ユリウスとウルクもその場に加わって、喜んでくれた。彼らとの記憶も、一気に蘇ってきた。
ユリウスは、安堵の声を上げながらも目をウルウルさせていた。
彼らは私が行方不明になっている間のことを語ってくれた。ずっと私を探してくれていたこと、そしてやっと探し当てたと思ったら、私が何も覚えていなかったこと…。
ふと、ユリウスが闘士の宿舎に花束を抱えて訪ねて来てくれたことを思い出した。
あの時、私は彼のことを忘れていた。それを知って、ユリウスはどんな気持ちだっただろう…。
「心配かけてごめんね」
そう云って謝ると、彼らは私を励ますように声を掛けてくれた。私の我儘に巻き込んでしまって、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。
無意識とはいえ、周囲の人にこんなに迷惑かけていたなんて、自己嫌悪しかない。
私はチラッと魔王を見た。
彼は腕を組んだまま、じっと私を見つめて云った。
「何がきっかけで思い出したのかは知らぬが、一番初めに思い出したのが我であることは素直に嬉しいぞ」
そりゃそうよね…あなたが記憶を失くすきっかけになった張本人なんだから。
そして記憶が戻ったきっかけは…たぶん、昨夜のアレだ。
彼のことが好きだって、この人のことを思い出したいって思ったんだ。
それと…やっぱり<運命操作>の作用もあったのかもね。
それを持ったことで、私の中の問題が解決しそうだったから。きっと心に余裕が出来たんだと思う。
魔王は、私がいなくなった後のこと…マリエルやカラヴィアがあの後どうなったのかを教えてくれた。
その名を聞いて、私の中でふつふつと怒りが込み上げてきた。
だけど、私が知らない間に、いろんなことが起こっていたみたいで唖然とさせられた。
ゴラクホールで私が出会ったあの黒髪の男が魔公爵ザグレムだったこと、彼の配下だったマリエルが、彼によって始末されたらしいと知った時には、ムカついていた気持ちはどこかへ行ってしまっていた。
でもカラヴィアに関しては、今度会ったらいろいろと云いたいことがある。
記憶がなかったから傷を治してあげたけど、何よ、しれっと私の前に現れて!どーいうメンタルしてんの?そうよ、元はといえば全部あいつのせいじゃん!
魔王に顔を焼かれたっていうけど、治してあげた時あいつ、そのことちゃんと私に謝ったっけ?あんのお調子者ー!
食事を終えて出発しようという段になって、魔王は皇女をドラゴンに乗せて帝都まで直接送っていくと云い出した。魔王は皇女のことを気に入ったみたい。
国境砦に向かうつもりでいたノーマンは驚きを隠せなかった。
国境方面にはユリウスが向かうと云うので、ジュスターはウルクにそのサポートを命じた。
ジュスター自身は魔王と私に同行することになった。
ユリウスたちを見送った後、魔王はカイザードラゴンを呼び出した。皇女はビックリしていたけど、重力魔法で固定されたドラゴンの背に乗ると、その快適さに驚いていた。
私たちは空路でアトルヘイム帝都トルマを目指した。
「速い!速いな、魔王殿!この速いドラゴンなら帝都の城までひとっ飛びじゃのう!」
サラは初めての空の旅に大はしゃぎしていた。
私も久々に乗ったけど、起伏の少ないちょっとしたアトラクションに乗った気分よね。
ドラゴンに乗って地上を見下ろしながら、きゃっきゃと喜ぶ皇女とは裏腹に、ノーマンは浮かない表情をしていた。
どうしたのかと私が尋ねると、彼は素直に心情を吐露した。
以前、帝都上空にドラゴンが飛来した時も街中が大パニックに陥ったのだ。今回、またドラゴンが現れたとなれば、再び混乱するに違いない。
しかも、それに同乗している彼は一体皇帝にどう申し開きをすれば良いのだろうかと思い悩んでいた。うまく説明できねば、帝都についたら裏切り者の烙印を押される可能性もあると彼は云う。
それを聞いて、私は不安になった。
「ホントに大丈夫なの…?帝都まで行っちゃって、攻撃されたりしない?」
「おまえが皇女を送って行きたいと言い出したのではないか」
「そうだけど、まさか帝国に直接乗り込むとは思わなかったから…」
「心配するな。攻撃して来たら受けて立つ」
「怖いこと言わないでよ。あなたが手を出したら戦争になっちゃうじゃない」
「奴らもそこまでバカではないと思うがな」
一抹の不安を抱えながら、私ははしゃぐ皇女を見ていた。




