魔伯爵マクスウェル
マクスウェル軍は100騎足らずの人数だったが、そのほとんどが召喚能力を持っていた。それが一族の証でもあった。
戦端が開かれて間もなく、次々と中型の魔獣が召喚され、治安部隊へ襲い掛かった。数の上では勝っていた治安部隊だったが、彼らの召喚した魔獣は1体で100人分の戦力にもなった。中には上位魔獣を召喚できる者もいて、それに対しては人間の兵たちの中には戦意を失くして後退する者もいた。
更に門を挟んでという地形の不利もあり、奥に長く伸びた隊列は数の有利を生かせていなかった。それ故、隊列の後方の兵士たちは、前方で何が起こっているのかわからないまま、突然現れた魔獣に襲われパニックになってしまった。
部下たちに守られて後方に下がっていたマクスウェルが、満を持して魔獣を召喚した。
「出でよ、サーベラス!人間共を蹴散らせ!」
マクスウェルが召喚呪文を詠唱すると、彼の前に巨大な魔法陣が出現し、そこから3つ首の巨大な魔獣が現れた。
大きさこそオルトロスには及ばないが、獰猛さでは負けておらず、体が小さな分、素早さに秀でていた。サーベラスは鋭い爪と3つの口の牙で兵士らを蹴散らしていった。
キマイラの恐怖の記憶がまだ生々しく残っていた治安部隊の兵士たちは、再び現れた獰猛な魔獣に尻込みし、悲鳴を上げて都市の中に逃げ込んだり、後退したりした。キマイラを退治してくれた傭兵部隊はとっくに引き上げていたため、もはや彼らを助けてくれる者はいなかった。
後方からその様子を見ていた将は、呆れた顔をしていた。
「なんだよあれ。あいつがいれば俺たちが苦労して魔獣を倒すことなかったんじゃねえの?」
「ホントよね。あの魔獣がいたらもっと楽にキマイラも倒せたんじゃない?」
エリアナがそう云うと、イヴリスがそれを否定した。
「父上は魔界にいる魔獣本体からマギを取り出して複製を作成したものを召喚しているのです。あのキマイラは魔獣本体でしたから、複製などでは太刀打ちできませんよ」
「複製…?アバターみたいなもんか?」
将の言葉を無視してイヴリスは説明を続けた。
「もちろん、本体の召喚も可能ですよ。ですが本体を一度召喚してしまうと、目的を果たすまでその存在は消滅しません。しかも魔獣はその間、ずっと召喚主の魔力を吸い続けます。あんな上級魔獣の本体などを召喚すれば、すぐに魔力が枯渇してしまいます。そうしたらいずれ魔獣は召喚主を食らい、暴走してしまうと言われています」
「じゃあ、あれも複製なの?」
「はい。複製魔獣は知能を持たないため思い通りに動かせますし、いつでも召喚を解除できるのです。ただしその強さは本体の10分の1くらいですけど、人間相手ならそれで十分です。それができるのは魔族の国広しといえども我が一族くらいなものなんですよ」
イヴリスは得意そうに云った。
「へえ、そりゃ知らなかった。それなら依り代もいらないんだな」
マルティスは感心して云った。
「ええ。実に効率の良い召喚です」
「だが、襲われている方は複製とかなんだとか区別がつかん。魔族が魔獣を使って人間を襲ったということに変わりはない。これは厄介なことになるかもしれん」
サーベラスの暴れっぷりを見ながらゼフォンが冷静に云った。
「まさか、戦争になるのか?」
「…可能性はある」
優星が不安気に云ったことをゼフォンは否定しなかった。
「…あたしたちが原因で、戦争が起こったりするの?…ねえ、こんなところで見てていいの?」
「こんな状況で俺たちに何ができるっていうんだ」
エリアナと将は責任を感じていた。
そんな2人にマルティスが声を掛けた。
「あんたら勇者なんだろ?戦争になったら、あんたらが人間側の希望の星になるんじゃねーの?」
「…勇者候補よ。あたしたち、もう盲目的に何でも信じる子供じゃないわ。この状況で、人間だからといって一方的に魔族が悪いだなんて言えないわよ」
「私もです。以前は、何があっても魔族は敵だと教えられていましたけど、今回はどう考えても人間側が悪いです」
エリアナとアマンダはそう云ったが、将は慎重だった。
「だが、戦争になったら、俺たちは人間の味方をするべきなんだろうな…」
ゾーイはそんな彼らを無言で見ていた。
そうしている間に、治安部隊が都市の中へ後退し始めた。
マクスウェルはそれを追撃せず、門の外へ退くよう味方を促し、そこで隊列を組みなおした。
門の付近には人間と魔族双方それぞれに犠牲者が横たわっていた。
治安部隊は常に回復士が回復させていたため死亡者はおらず、魔族側にも重傷を負った者はいたが幸いにも死亡者は出なかった。
さすがにたった100騎でこの都市の軍隊すべてと渡り合うにはリスクがありすぎると判断したのだろう、マクスウェルは軍を撤退させた。
危機を救われた勇者候補たちとマルティスらは、マクスウェル軍に同行して都市を離れることになった。怪我人を多数出してしまった治安部隊も追ってはこなかった。
ゴラクドールから離れること数十キロの地点には砂漠地帯が広がっている。そこは一応ペルケレ共和国の領土内だったが、良質な砂が取れる他には目立った産業もなくほぼ放置された土地である。
そんな砂漠の中にも水の湧き出るオアシスがあり、マクスウェル軍はそこを中心に天幕を張って宿営地としていた。宿営地に戻ると、200騎ほどの兵たちが陣を敷いていて、マクスウェルたちはここを基点としてゴラクドール方面に視察に来ていたのだった。
マルティスたちはその宿営地に建てられた天幕の1つをあてがわれた。
天幕とは移動式住居のことで、獣の皮を加工して作った大型のテントのようなものだ。魔族が人間の国へ大規模部隊で移動する際には、都市に入れないことも多いため、このようなものを用意することが多い。
天幕の床には板がパネルのように敷き置かれ、その上に上質でふかふかの毛皮が絨毯のように敷き詰められているので、見かけよりもずっと暖かく快適に過ごせる。
靴を脱いで初めて中に足を踏み入れた時、そのあまりのふかふかした気持ちのいい感触にエリアナやアマンダは感動した。靴を脱いで上がる部屋には日本生まれの将や優星は懐かしさを感じた。
大司教公国の『大布教礼拝』でもショボイ天幕が使われていたが、それとは天と地ほどの差があったとエリアナは思った。
天幕の中で、皆がそれぞれ絨毯に腰を下ろした。
「しっかし、あそこでおまえの親父が出てくるとはな。驚きだぜ」
足を投げ出して座るマルティスは、イヴリスに向かってボヤいた。
イヴリスは赤みがかった栗色のツインテールの髪をほどいていて、ぐっと大人っぽく見えた。
「マルティスさん、ゼフォンさん、黙っていてすいませんでした。でもどうか力を貸してください。連れ戻されるのは嫌なんです」
「つってもな~、おまえ闘士を続ける意味、ないだろ?」
「俺もそう思う。親の元に帰ってやれ」
マルティスもゼフォンもイヴリスに冷たく云った。
「マクスウェルっつったら魔貴族の中でも一族の結束が固いので有名だぜ。なにせ子供を取り戻すために戦争始めちまうくらいだからな」
マクスウェルの魔貴族としての席次は第4位だが、それはあくまで領地の広さによる席次であり、個人の強さでいえば魔貴族の中ではトップクラスの実力者だ。
その理由は、彼の召喚能力によるところが大きく、人魔大戦においても、彼が召喚した魔獣は多くの人間を殺戮したと云われている。
そんな強さを誇る彼が第4位に甘んじている理由は、他の魔貴族に比べて生活スキルに乏しいこともさることながら、領地内に目立った産業がないせいだ。それをカバーし、少しでも勢力を広げようと、強い能力を持つ一族を増やすことに必死なのだ。
そのため、精霊召喚というレアな能力を持って生まれたイヴリスは、多大な期待をかけられており、彼女は箱入り娘として大切に育てられてきたのであった。
そんな彼女が初めて外へ出て、魔族を知り人間を知り、興味を持った。もう退屈な家には帰りたくないと思ったのも無理からぬ話だった。
「嫌です!私はトワ様と、皆さんと一緒にいたいんです」
「トワ…、そういえばどうなったんだろう」
ふいに優星が云うと、一同は神妙な面持ちになったが、彼女がドラゴンを召喚して人を殺したなんて話は、誰も信じていなかった。
そこへ、魔伯爵マクスウェルが現れた。
彼は後ろで1つに縛っていた灰色の髪をほどいて肩にたらし、王侯貴族のような豪華な刺繍の入った、ゆったりとした衣装に着替えていた。
彼の左右後ろには若い魔族が付き従っている。
彼らはマクスウェルのために椅子を運んできて、一同を見渡せる位置に置いた。
マクスウェルは、その椅子にどっかと座った。
「さて、事情を聞こうか。誰がおしゃべりしてくれるのだ?」
マクスウェルは鋭い目つきで一同を見回した。
「ああ、じゃあ俺が」
マルティスが手を上げた。
「ただし、そっちの事情は知らねーから自分で説明してくれよ?」
彼は将に目配せすると、将は「わかった」と頷いた。
マルティスがここに至るまでの事情を大まかに説明し、将も自分たちが何者であるか、なぜここに来たのかを説明した。マクスウェルはさして驚いた様子も見せず、淡々と聞いていた。
「だいたいの事情はわかった。ではこちらの状況も話しておこう」
マクスウェルは、イヴリスに視線を送った。
「一月前、この先にあるキュロスの傭兵学校に入学するために我が陣営の子弟がペルケレを訪れた。その際、セウレキアの闘技場を見学したのだ。そこで彼らはイヴリスを見つけたと本国に報告してきたのだ。そこで私は視察を兼ね、軍を率いてこの地へやって来たというわけだ」
マクスウェルはさすがに威厳があり、彼が話し出すとその場は沈黙に包まれた。
「だが、それだけではない。あの魔獣の出現だ。私は都市の中に入れなかったため、直接は見ておらぬが、斥候が見る限りあれはキマイラだったという。そんなものが自然発生するはずがない。となれば我が血統の者が関与した可能性も否定できぬ」
マルティスは、キマイラを召喚したのが本当はイドラであることを知っている。だが、イドラがマクスウェルの一族であるはずがない。
「しかもあの上位魔獣を呼ぶとはかなりの能力を有する者だ。召喚主が誰なのかを確かめたい」
「イドラって人は一族の人じゃないの?」
マルティスは、優星がイドラのことをしゃべってしまったことに、思わず舌打ちしてしまった。
「イドラ…?いや、知らぬ。聞いたこともない。そのイドラとやらも召喚士なのか?」
「大司教公国でオルトロスを召喚した人だよ。キマイラは違うみたいだったけど」
「オルトロス、だと?」
マクスウェルの目が鋭く光った。
「その、イドラとはどういう者だ?」
「あ…すいません、僕も良く知らないんです」
優星はすまなさそうに頭を垂れたが、マルティスは黙っていた。
するとマクスウェルは優星をじっと見つめて云った。
「そなた、見覚えがある。もしや魔王護衛将筆頭のアルシエル殿ではないか?」
「えっ?あ、あの…」
優星がオロオロしていると、エリアナが助け舟を出した。
「違うわよ、その人は優星っていうの」
「あ、そ、そうだよ。よく間違えられるんだ」
優星が否定すると、マクスウェルは「よく似ている」と疑いつつも納得したようだった。
ゼフォンも思うところがあったらしく、黙ったまま優星からそっと目を逸らせた。
そして、マクスウェルの目がイヴリスに向けられる。
イヴリスはハッとして姿勢を正した。
「さて、イヴリス。おまえはどうする?」
「私は、帰りません」
「おまえを探すのにどれだけの人員を動員したかわかっているか」
「それは…申し訳ないと思っています。ですが、私は決められた相手とパートナーになるのは嫌だったのです。好きな相手と結ばれたいと…。相手は自分で選びたいのです」
「ほう?この中にそういう相手でもいるのか?」
マクスウェルはマルティスやゼフォン、優星をジロジロと見た。
「父上、やめてください、彼らは関係ありません。私が好きなのは…ここにはいない方です」
イヴリスは微かに頬を染めて云った。
だが彼女の父はそれを無視した。いない者の話を聞いても仕方がないと思ったようだ。
「だがどのみち追われている以上、この国で闘士を続けることはできん。一緒に国に帰るのだ」
「…ではせめて、トワ様にお別れを言ってからにさせてください」
「トワ?」
「私がお守すると約束した方です」
「おまえが?守るだと?」
マクスウェルは鼻で笑った。
「未熟なおまえが人を守るなど、思い上がりも甚だしい」
「…おっしゃるとおりです。私はお役に立ちませんでした…」
「で、そのトワとやらはどこにいる?」
「それが…」
イヴリスはトワとは魔獣騒ぎのゴタゴタではぐれたことを話した。
すると彼女に続いてゼフォンが口を開いた。
「そもそも治安局の連中が、トワがドラゴンを召喚して人間を殺したとデタラメな嫌疑で俺たちを逮捕しようとしたことが原因だ。…だがあの後、ホールで何があったのかは誰も見ていない」
「あのトワがそんなことするわけないよ。あの時魔力を消耗してたから、ドラゴンが暴走した可能性もあるんじゃないかな」
優星はあの時、イシュタルがトワの魔力が少ないと注意していたことを思い出したのだ。
「待て。今、ドラゴンと言ったか?」
「ああ」
「その、トワという者がドラゴンを召喚したのか?」
マクスウェルが念を押すようにゼフォンに尋ねた。
これに答えたのはエリアナだった。
「そうよ。あたしたち皆見てたんだから。確か、カイザードラゴンって言ってたっけ」
「カイザードラゴンだと…!」
「そのドラゴン、普段はトワのネックレスに封じられてるらしいわよ」
マクスウェルは思わず椅子から身を乗り出した。
「カイザードラゴンは魔王様と共にあの大戦で死んだはずだが…魔王様は復活なされたと聞く。共に復活したということか…?いや、しかしそのトワとやらがなぜドラゴンを…」
彼の疑問にはマルティスが答えた。
「トワは魔王とデキてるんだよ」
「何…?」
「マルティスさん、その言い方やめてくださいって言ったでしょう!」
「そういや、そのドラゴンの封じられてるネックレスは魔王からのプレゼントだって言ってたな」
「そうそう、魔王に告られたらしいよ。トワのために専属の騎士団まで作ったってさ。もうどんだけ惚れられてんだって感じだったよね」
将と優星の話したことは、マルティスたちが知らないことだった。
「それは本当か?魔王様とトワがいつの間にそんなことになったんだ?」
「そうですよ!私たちずっと一緒でしたけど、魔王様がいらっしゃったことなどありませんでしたよ?」
ゼフォンもイヴリスもショックを受けていた。
トワはそんなそぶりを一度も見せなかったからだ。
「でも、あたしたち本人から聞いたわよ?」
「だって…!魔王様が相手では、勝ち目がないではありませんか…!」
「は?イヴリス、おまえ何を言って…」
「トワ様は私が一生をかけてお守すると決めた方なんです!」
「おまえマジだったのかよ」
マルティスは涙目のイヴリスを見て茶化すのを止めた。
「だけどあいつは人間だぞ?」
「種族なんて関係ありません。好きなものを好きと言って何がいけないのです?」
「うわ~、正論きたー…」
マクスウェルは2人の漫才には興味がなかったらしく、エリアナに向かって話しかけた。
「ふむ。そのトワという者は人間なのか。もっと詳しく聞きたい。ゴラクドールに監禁されているのか?」
「たぶんね」
「それにトワはすごいんだよ!魔族を癒せるんだから」
マルティスは優星がまた余計なことを云ってくれたと頭を抱えた。
彼が危惧した通り、マクスウェルはその話に食いついた。
「なるほど、それは魔王様が放っておかぬわけだな。ならば、その娘を助けるのは臣下の役目だ」
マクスウェルはそう云って膝を叩いて椅子から立ち上がった。
「増援が到着次第、わが軍はゴラクドールを攻め落とし、そのトワという娘を取り戻す」
マクスウェルの思わぬ宣言に、一同は言葉を失った。




