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アトルヘイムの魔獣

 大司教公国でオルトロス討伐がなされていた頃、アトルヘイム帝国の帝都トルマでも別の魔獣が現れていた。

 魔獣は、帝国軍基地の魔法局の敷地内から現れた。


 魔獣召喚の現場になったのは、魔法士が訓練場に使っている広場だった。

 その広場には夜中の内に魔法陣が描かれていて、朝一番に出勤してきた魔法局長コーネリアスが、怪しいローブ姿の男が魔獣召喚する現場を目撃したのだった。

 召喚された異形の魔獣は、魔法局から帝都の市街地へと移動していった。

 コーネリアスが捕らえたその男は魔族で、締め上げると魔獣を召喚したことを認めた。

 魔族は中級の召喚魔法士で、別の強力な召喚士が術式を仕掛け、自分はそれを呼び出しただけだと告白した。

 彼は、大司教公国から来たとしか話さず、あとは黙ったままだった。コーネリアスは、大司教公国に魔族がいるはずがないと本気にしなかった。


 帝国軍基地本部にいたエイヴァン将軍とグレイ将軍が、すぐさま黒色重騎兵隊(シュワルツランザー)を出動させ、なんとか市街地への侵入を止めようと魔獣と交戦を始めた。

 コーネリアスはその魔族の口を更に割らせるため、拷問にかけようと馬車で帝国城へと移送していった。


 帝都に現れた魔獣は、巨大で異様な姿形をしていた。

 それには足がなく、2メートル程宙に浮いたまま、人が歩く程度の速さでゆっくりと移動していた。

 その体は、直径10メートル弱の黒く巨大な丸い球体で、それ全体が巨大な口であった。

 球体の上部からは髪の毛のように100体の大蛇が生えている。


 魔獣の巨大な唇が開くと、すさまじい勢いで周りのものを吸い込んでいった。ある程度獲物が口に入ると唇が閉じられ、今度はそれをぐちゃぐちゃとおぞましい音をたてて咀嚼した。

 帝都にいた多くの市民が、突如現れた謎の物体を見上げていた。やがてその巨大な口が開かれると、逃げる間もなく彼らは魔物の口に吸い込まれてしまい、ぐちゃぐちゃと食われた。


 正体不明の魔獣を観察していた黒色重騎兵隊(シュワルツランザー)は、魔獣の口が吸い込む範囲を割り出し、そのギリギリの距離を保って攻撃していた。

 頭の蛇は近づく者に噛みつき、その毒で死に至らしめた。また蛇は本体から斬り落としても再生してしまうことがわかった。

 魔法士たちが様々な属性魔法で攻撃した結果、火の魔法だけが、わずかにダメージが与えられることもわかった。

 だが、有効な攻撃手段は見つけられなかった。

 あの大きな口に、武器も魔法もすべて吸い込まれてしまうのだ。


 黒色重騎兵隊は、市街地を進んでいた魔獣が、急に進行方向を変えたことに気付いた。

 その方向の先には帝国城がある。

 指揮官は焦った。


「マズイぞ、城の方へ向かってる」

「何としても止めろ!」


 アトルヘイム基地本部から魔獣を止めるために更に大部隊が投入された。

 だが、下手に近寄れば吸い込まれて食われてしまうため、魔獣の進行を止める手立てがなかった。


 魔獣がこちらへ向かってることを知って、コーネリアスは護送用の馬車の行く先を城から郊外へと向かわせた。彼は移送していた魔族がいつの間にか気絶してしまっていたことに気付いた。

 おそらくは、大きな魔獣を召喚したために魔力が尽きてしまったのだろう。

 すると、魔獣も進行方向を郊外へと変えた。まるで馬車についてきているかのようだった。

 コーネリアスは気が付いた。

 魔獣が、召喚主であるこの魔族を狙っていることに。

 召喚された魔獣は、この世界に存在する限り、召喚主の魔力を食らう。その魔力が尽きると、魔獣は召喚主を食らおうとする習性があるのだ。

 おそらくあの魔獣を召喚したこの魔族の魔力が尽きたために、魔獣は魔族を食らおうと追ってきているに違いない。

 幸い、あの魔獣は足が遅い。コーネリアスは、自分が囮になることを部隊に伝えた。

 彼は馬車で魔族を連れて出来るだけ人の少ない郊外を走ることにした。

 魔獣を引き付けて時間を稼ぐ間に、なんとか魔獣の討伐方法を見つけ出してもらおうと期待した。


 そんな中、避難するよう軍から云われた帝都の帝国大学の学生らは、自分たちにもなにかできないかと行動を始めた。歴史を学んでいた一部の学生らが、魔獣の姿を遠目に見てそれがラードゥンという魔物であることを確信した。彼らはラードゥンについての書物をかき集め、校内の図書館で古文書を紐解き、その弱点を見つけた。そしてそれを基地本部の司令部に伝えにやってきた。


 古文書によれば、太古の昔、人間との戦いにおいてラードゥンが魔族に召喚されたとの記述があった。多くの人間を食らい、山に逃げ込んだ人間を追いかけたラードゥンが、たまたま猛毒を持つ蜂の魔物の巣を飲み込んでしまったという。ラードゥンはその毒で死んだと記されていたのである。

 つまり、ラードゥンを倒す方法は、あの大きな口に、猛毒を流し込むことだった。

 しかし問題は流し込む毒の量がわからないことである。あの体の大きさからして、おそらくは大量の毒が必要だろう。それをどうやって調達するのかという問題もあり、司令部は頭を抱えた。


 帝国大学にはグリンブル王の息子シャールが留学していた。

 学生たちはシャールにこのことを伝え、協力を頼んだ。シャールは彼らに協力し、この危機に共に立ち向かうことを約束した。彼はこの国の商人たちに片っ端から連絡し、あらゆる毒物を基地本部まで持ってくるように伝えた。その費用をちゃっかり帝国軍につけることも忘れなかったのはさすが商業国家の後継者だといえた。


 大学の講内に毒物を持ち込んで、大きな酒樽に次々と詰めていった。

 それが一体いくつくらい必要なのかもわからなかったが、とにかくかき集められるだけ集めた分をすべて樽に詰めた。

 そしてそれを、人気のない郊外の広場まで、人海戦術で運んだ。


 コーネリアスは馬車を何度も乗り換え、騎手を交代しながら召喚主の魔族を乗せて走り続けた。

 追い付かれたら吸い込まれて食われてしまうので立ち止まるわけにはいかない。

 ようやく作戦が整ったと騎士から伝言されたコーネリアスは、ホッとして作戦実行の場である郊外の広場へと馬車を向かわせた。

 この郊外にある広場は広大な自然公園となっており、休日には家族連れでにぎわう場所だ。

 だがこの日は入場が禁止され、軍が警備をするという物々しい雰囲気に包まれていた。


 帝都大学から運ばれてきた毒物の入った酒樽は、広場の真ん中に円を描くように二重三重に並べられた。

 その数は300個以上にも上った。

 コーネリアスの馬車は広場までやって来て、その樽の並ぶ円の真ん中に召喚士の魔族を置きざりにして、そのまま馬車で走り去った。

 広場の周囲にはコーネリアスらの他、黒色重騎兵隊をはじめ、帝都騎士団が戦闘態勢のまま待機していた。帝都騎士団の後方には、樽を持ち込んだ学生らもいて、ラードゥンが来るのをじっと待った。

 しばらく待つとラードゥンがやってきた。

 ラードゥンは、予想通り、召喚士の魔族を見つけ、その大きな口を開いた。

 魔族と共に、その周囲に並べてあった毒入りの酒樽を、残らず全部その口の中に吸い込んだ。

 そして口を閉じた後、くちゃくちゃと咀嚼を始めた。

 すると、ラードゥンの様子に異変が起きた。頭の蛇がうねうねと暴れ出し、唇の端から緑色の毒液が滴り落ちた。毒が全身に回ったようだった。

 ラードゥンは口を開き、のべつまくなしにあちこちを吸い込み出した。何とかして毒を中和しようとしているようで、広場にあった木々やバケツ、小動物などいろいろなものが吸い込まれていった。


「退避ー!距離を取れ!」


 黒色重騎兵隊の指揮官が叫ぶと、皆、吸い込まれないよう一斉にラードゥンから距離を取った。


「毒が足りなかったのか?」


 帝都騎士団の後方にいた学生の1人がそう口走った。


「いや、効いてる。見ろ、頭の蛇がどんどん死んでるぞ」


 別の学生がラードゥンの頭を指さした。

 確かに100匹の蛇たちのうち、半数ほどが口から緑色の液体を涎のように吐き出してしぼんでいった。

 その様子を見て、研究熱心な学生たちは様々な考察を始めた。


「あの蛇は毒蛇だけど、毒で死ぬんだな」

「毒はあの蛇の牙の先にだけあって、体内には毒はもっていないんだ。体内に入ると死ぬからなんだろうね」

「なるほど…」


「もう毒はないのか?」


 指揮官が後方の学生に向かって叫んだ。


「さっきので全部です!」

「くそ…あと少しなのに」


 指揮官が悔しそうに云うと、考察しあっていた学生のリーダーらしき者が発言した。


「頭の蛇は毒が回って死んでますよね?蛇の牙には蛇自身の毒も残っているはずです。あれを切り取って本体に戻してやったらどうでしょう?」

「いい考えだ」


 黒色重騎兵隊は指揮官の命ずるままに、その作戦を実行することになった。

 ラードゥンの口が閉じている隙に、毒で死んだ頭の蛇を剣や槍で刈り取って袋に詰めていった。蛇は狩るとまた生えてくる。その都度また同じことを繰り返す。

 その様子をもし将やトワが見たら、まるで『だるまさんがころんだ』という遊びをしているようだと云ったに違いない。

 そしてようやく蛇を刈り取り終わると、次に口が開くのを待った。

 口が開いた時、帝都騎士団は馬を盾にしながら蛇の入った袋をラードゥンに吸い込ませた。

 ラードゥンはそれを咀嚼しはじめた。


 それがトドメになった。

 実はこの頭の蛇自体も毒を持っていた。

 本体から一度蛇に流れた毒が再び本体に戻されたことに加え、この蛇を咀嚼したことによって蛇自身の毒をも本体が取り込むことになってしまったのだ。

 ラードゥンの大きな口はオエッオエッとえずいたかと思うと、唇に当たる部分がピリリとひび割れて剥がれ落ちた。

 頭の蛇をすべて刈り取られたラードゥンは、もう口を開くこともなく、ただの黒い球体と化した。


 黒色重騎兵隊と帝都騎士団はその球体に一斉に攻撃を加えた。

 弓で魔法で槍で剣での攻撃は、黒い球体に吸い込まれることもなく、少しずつではあるが魔獣にダメージを与えつつあった。

 やがて球体はどろりと溶け出して地上に落ちた。後には核が1つ残った。


 こうして帝都の魔獣は退治されたのだが、多くの市民が犠牲になり、建物や馬などの動物なども吸い込まれ破壊されており、市街地の被害は甚大だった。

 報告を受けた帝国皇帝カスバート三世は、作戦会議室に円卓騎士らを集め、状況の把握に務めた。

 そこへ急ぎ足で入ってきたのは情報局長のマニエルだった。


「皇帝陛下、ご報告があります」


 マニエルはあらたまって皇帝の前に出た。


「なんだ、この忙しい時に」

「黒色重騎兵隊第1部隊旗下第5分隊、通称『黒の爪』の隊長ヘルマン・キーファーからの報告です。警邏中に謎の紋章の描かれた一軍と交戦し、敗走したとのことです。その際、敵の一団の将から文書を渡されたと」

「文書だと?」

「こちらです」


 マニエルは丸めた皮紙を差し出した。

 皮紙は丸められて蝋で封緘されていた。その蝋の紋章に皇帝は見覚えがあった。

 封を破って中身を読むと、皇帝の顔色がみるみるうちに変わっていった。


「オーウェン新王国だと…!たわけたことを」


 皇帝は読んだ文書を円卓の上に投げた。

 将軍たちはその文書に慌てて目を通した。

 そして皆、一様に驚いた。

 最後に目を通したのはマニエルだった。


 その内容は、大司教逝去に伴い、大司教公国の旧体制を崩壊させ、新たな王によるオーウェン新王国を建国するという宣言と、周辺地域の独立を求めるものだった。

 現在大司教公国は自治権を認めてはいるものの、帝国領の一部である。

 新王国は帝国からの独立を求めてきているのだ。帝国に認めさせる条件として、サラ・リアーヌ皇女の身柄を帰すこととしている。

 つまり、皇女はオーウェン新王国独立のために誘拐されたのだと、皇帝は認識を新たにした。

 なによりも将軍たちを驚かせたのは、皇女奪還の命を受けていた黒色重騎兵隊第1部隊のノーマンも同じく捕虜になっているという、ヘルマンからの報告だった。

 黒色重騎兵隊第1部隊といえば帝国最強の軍である。その彼らが易々とやられることなど想定外のことだった。

 だが彼らは知らなかった。ノーマンは大司教公国復興のために軍を半分置いてきていて、戦力が半分以下だったことを。


 更に彼らを驚かせたのは最後のくだりだった。

 それは、『目覚めた魔王が人間の国に復讐しようと、各都市に魔獣を送り込もうとしている』という一文だった。

 その文書は、魔獣が帝都に現れる前にヘルマンに渡されたもので、まさにそれは現実となったのだ。

 コーネリアスも、確かに魔獣を召喚したのは魔族だったと証言した。


「しかし解せぬ。魔族の動きをなぜその新王国の奴らが知っているのだ」


 エイヴァンは不信感をにじませた。

 すると、情報局長のマニエルが云った。


「大司教公国へ放っていた斥候からの報告で、大司教が大聖堂の火事で亡くなったというのは以前報告した通りです。しかしその後の調査で、驚くべき事実が判明しました」

「何だ、もったいぶらずに言え」


 テルルッシュに急かされたマニエルは、少し芝居がかった云い方をした。


「なんと大司教の正体は魔族だったというのです。それを知った市民たちによって、大司教は大聖堂内で殺されたとのことでした」

「魔族…だと?そんなバカな」

「ありえん。魔族が大司教になりすましていて誰も気づかなかったのか?」


 円卓の将軍たちは口々に異を唱えた。


「大司教が魔族だったとしたら、魔族排斥を謳う一方で国内に魔族を引き入れていた可能性もあるか」

「私もそう思います。おそらくは本物の大司教は魔族に殺害されてしまったのでしょう」

「…なんと恐ろしい」

「それを、オーウェン王国の生き残りが打倒したということか」

「…魔族に支配されていた国を打倒して新たな国を作るというのならば、我々人間の国としては認めざるを得ん状況だな」


 将軍たちの会話を聞きながらも、皇帝は黙っていた。

 しかし、グレイ将軍は不安を口にした。


「オーウェン王国は大陸一の魔法王国だったと聞く。大司教公国の優秀な魔法士のほとんどはオーウェン王国からの移民の子孫だ。大司教公国の魔法士養成プログラムを継承し、再び魔法王国を作るとなれば、我が帝国にとっても脅威となりはしませんか」


 冷静なグレイ将軍の言葉に、皇帝は頷いた。


「そうだ。新たな国を作るのと、我が領土を奪うというのはまた別の話だ」

「その通り」

「建国は黙認するが独立を認めるわけにはいかぬ」


 皇帝の言葉に円卓の将軍たちは口をそろえた。


「マニエル、とにかく情報を集め、皇女を秘密裏に救出する部隊を結成せよ」

「はっ」


 会議はそれで終わったが、その後、皇帝と将軍たちは、大司教公国で起こったクーデターが対岸の火事ではないことを思い知らされることとなる。

 大司教公国との国境付近の町や村が次々と襲われ、国境砦が壊滅したとの報告が入ってきたのだ。

 村や砦を襲ったのは、不死者(ゾンビイ)の大群と、オーウェン王国の紋章をつけた軍隊だった。

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