嘆きの乙女
周囲にいたはずの人々もおらず、黒焦げになった跡が点在している。トワは薄々、そこにいた人たちが焼失したことに気付いていた。
「ね、ねえ、ここにいた人たちは…?」
『燃やした』
「…嘘…」
『おまえを守るためだ』
おそらくはそこに人がいたのだろう、人の形に黒く焼け焦げた跡が見られた。骨すらも残さず、その存在は消えてしまったのだ。
「こんなこと、頼んでない…。どうして…?」
『おまえが助けを呼んだからだ』
「…わたしのせい…?」
周囲の人々はドラゴンに恐れおののき、ほとんどが避難したが、犠牲になった女の知人や夫など一部の者はその場に残り、その状況にショックを受けて立ちすくみ、嘆き悲しんでいたりした。
「もう、いいわ。戻って…」
トワがそう云うと、ドラゴンはトワのネックレスに吸い込まれて消えた。
防御壁を張っていたため難を逃れたルキウスたちがトワの傍に駆け寄った。
「トワ、大丈夫かい?」
トワはショックを受けていて、ルキウスの問いにも答えられなかった。
「トワ?」
「わ、私…人を…殺しちゃった…」
「君のせいじゃないよ。君を取り囲んでいた彼女たち、普通じゃなかった。それにあれはドラゴンがやったことじゃないか」
「…でも、私が助けてって言ったからよ…。私、止められたのに、止めなかった…」
ルキウスはふいに何かに気付いてトワを背中に庇った。
「トワ、下がって!」
彼の前にはザグレムの姿があった。
「ありえないんだ。私のスキルが通じないことなど、ありえない。何かの間違いなのだ。もう一度、試してやる」
ザグレムはしつこくもトワを奪おうと再び現れた。
ルキウスは短く詠唱し、ザグレムに向かって風の魔法を放った。
ザグレムは不意打ちをもろに食らって、後ろへ飛ばされたが、翼を出して空中ですばやく態勢を立て直した。
「邪魔をしないでもらえるかな」
「それはこっちのセリフだ」
ルキウスのチームはザグレムの前に隊列を取り、彼に向けて攻撃を始めた。
トワはルキウスチームの回復士に促されて逃げようとしていたが、その彼女を取り囲むように、5、6人の人間たちが歩み寄ってきた。
「見たぞ。おまえがあのドラゴンを召喚したんだ」
「俺の妻を焼き殺させたんだな!」
「おまえが殺させたんだ」
「そうだ、おまえのせいだ!」
彼らは、トワのネックレスにドラゴンが吸い込まれて行くところを見ていた。
それで、自分たちの妻や知り合いの女性たちが、ドラゴンに殺されたことを、彼女のせいにした。それは魔獣に追い詰められ、閉じ込められたフラストレーションも伴って、彼女にイライラした気持ちをぶつけたかったからかもしれなかった。
彼らは、もちろん女性たちがトワを追いかけていた理由を知る由もない。
責められたトワは、ドラゴンのしたこととはいえ、結果的には彼女らの命を奪うことになってしまったことへ、謝罪するしかなかった。
「あ…、ごめんなさい、私…」
「おまえのせいだ!」
騒ぎを聞きつけた他の人間たちも集まってきた。
トワは魔獣を倒すためにドラゴンを召喚したのだが、彼らは外の様子を知らない。この事態に関係のない人々には、彼女がドラゴンを召喚して、ホール内で女性たちを殺したという事実だけが伝えられたのだった。
トワは大勢の人々に囲まれ、口々に罵倒されることとなった。
違う、とも云い切れない彼女は、云い返すことをしなかった。
「人殺し!」
その言葉に、彼女はショックを受けた。
「おまえは僕の彼女を殺したんだ!彼女を返せよ!」
「俺の妻もだ!どうしてくれるんだ!」
「死んで詫びろ!」
トワは顔を両手で押さえ、膝から崩れ落ちた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
トワは謝り続けた。
間接的とはいえ、人間を殺してしまった事実に、彼女は震えていた。
人を助ける仕事をしていた彼女にとって、この言葉は精神的にこたえた。
知らぬ間に彼女の目には涙が浮かんだ。
その時、ネックレスからカイザードラゴンの声がした。
『なぜ謝る?おまえは悪くない。あいつらが悪いのだ』
「それでも、殺すべきじゃなかった。あんたを止められなかったのは私の責任よ」
人々に詰め寄られ、「人殺し」と罵られることに耐えているトワを見かねて、カイザードラゴンは人々に聞こえるようにネックレスの中から叫んだ。
『下がれ、下郎ども!きさまら全員食ってやろうか!』
カイザードラゴンの声が人々にまで伝わって、トワを取り囲んでいた人々は怯んで後ろに下がった。
『そもそもあの女共がトワを傷つけようとしたせいだ!殺されて当然なのだ!』
人々は、どこからドラゴンの声が聞こえるのかと辺りを見回したが、出てくる気配がないことを察知して、再び勢いづいた。
「デタラメを言うな!彼女たちが殺されるほどのことをしたっていうのか?」
『下郎が。貴様からまず食ってやろうか!』
「ドラゴンを使って脅すなんて、卑怯だぞ!」
売り言葉に買い言葉の応酬だ。
彼らの怒りは姿の見えないドラゴンにではなく、トワに向けられた。
「やめて!もうやめて…!」
『トワ…』
トワは泣きながらゆっくりと立ち上がって、周囲の人々を見回した。
「ごめんなさい…。ドラゴンを押さえられなかった私が悪いの。…謝って済むことじゃないのはわかってるわ。でも私には謝ることしかできなくて…ごめんなさい」
トワは深々と頭を下げた。
「ごめんで済むか!」
誰かが投げた石がトワの頭部に当たった。
つう、と彼女のこめかみに血が一筋落ちた。
それでも彼女は頭を下げ続けた。
『トワ、なぜだ。なぜ頭を下げる』
「…悪いことをしたら謝るのは、当たり前のことよ」
『おまえは悪くない。謝る必要はない、人間などに頭を下げるな』
一方、ルキウスチームと戦っていたザグレムは、人のいない中央のステージ上の空間が歪むのに気付いた。そしてそこから3人の魔族がゆっくりと現れるのを見た。それは彼の良く知っている人物だった。
「チッ…!邪魔が入ったか。ここまでだ」
ザグレムは漆黒の翼を広げてホールの外へと飛び去って行ってしまった。
ルキウスたちはそれを追いかけようとしたが、見失ってしまった。
ステージに現れたのは、魔王とサレオス、アスタリスだった。
3人は、すぐに周囲の状況が呑み込めなかったが、アスタリスがホールの隅にトワの姿を見つけた。
多くの人間たちが、トワを取り囲んで詰め寄っていた。
「土下座しろ!」
「そうだ、謝れ!」
トワは膝をつこうとしゃがんだ。
『トワ、やめろ…!』
カイザードラゴンが悲痛な声を上げた、その時だった。
「おまえたち、我のトワに何をしている」
ふいに、トワの目の前に、黒衣の人物の背中が現れた。
それはもちろん、魔王ゼルニウスだった。
彼は、トワを背に庇い、取り囲む人々の前に立ちはだかった。
「な、なんだおまえ、魔族か」
「どけ!その女は人殺しだ!」
「そうだ、そいつを吊るすんだ」
魔王は人々に向かって手のひらを掲げた。
「おまえたち、少し黙れ」
魔王がそう云うと、トワを囲んでいた人間たち全員が、まるで見えない大きな力で上から押さえつけられるようにその場で地べたに這いつくばった。魔王の重力魔法により、彼らは地面に寝たまま、身動き一つ取れない状態にされてしまった。
「魔王…なの!?」
「ああ、そうだ」
トワは振り向いた魔王を視認すると、途端に顔をくしゃくしゃにして、彼の胸に飛び込んだ。
魔王は彼女の身体を受け止め、抱きしめた。
地面に這いつくばっていた人間たちはトワの「魔王」という言葉に慄いたが、彼らの身体には呼吸をするのも必死なほどの激しい圧力がかかっていて、逃げるに逃げられない状態だった。
「どうした、何があった?」
トワは答えず、魔王の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。
こんな風に泣く彼女を初めて見た魔王は、どうするべきかわからず、泣き止むまでそのまま抱きしめていた。
遅れてから来たサレオスとアスタリスは、地べたに寝た状態の人間たちを見下ろしていた。
「トワ様が人殺しって、どういうこと?」
アスタリスの問いに、倒れている人間の男が、体を圧迫されながらもぜーぜー云いながら答えた。
「あ、あの娘が…ドラゴン、に…女たちを…殺させ、たんだ…!」
「トワ様がそんなことするはずないだろ!」
アスタリスは叫んで、その男の頭をゴツンと拳で殴った。
その男の言葉を聞いていた魔王は、トワを抱いたまま、カイザードラゴンを呼び出した。
すると、カイザードラゴンは小さなドラゴンの姿で空中に浮かんだまま現れた。
「カイザードラゴン、どういうことか説明しろ」
カイザードラゴンは事の一部始終を語った。
それを聞いた魔王は、素朴な疑問を口にした。
「そもそも、その女共はなぜトワを追いかけていたのだ?」
すると、倒れていた人々のうち、殺された女性の身内らしき男たちがうう、と何か云いたそうにした。
魔王は彼らの上半身にかかる重力を軽くして、話せるようにしてやった。
「あの直前、黒髪の男が彼女に話しかけたんだ…。それから急に様子がおかしくなったんだ」
「う、うちの妻もだ。急に列から離れて…」
それを聞いていたサレオスは、「なるほど」と頷き、心当たりがあると語った。彼はここに到着した際、見知った魔力を感知していたことを魔王に話した。
「その女たちは魅了スキルで操られていたのだろう」
サレオスが云ったことを聞いて、魔王の胸に顔をうずめていたトワはふいに顔を上げた。
「魅了スキル…?あの人たち、それで操られていたの?」
「ああ、そうだ。ザグレム、という者に会わなかったか?」
「!…会ったわ」
「奴に触れられたりしていないだろうな?」
「触られたわ…このあたり」
トワは自分の顎のあたりを指でなぞった。
魔王は驚いてトワをじっと見つめた。
「…なんともないのか?」
「気持ち悪かったから、その人の手をはたいてやったのよ。そしたらあの女の人たちが怒って追いかけてきたの」
トワの言葉に、魔王は目を丸くした。
「おまえ…すごいな」
魔王はトワのこめかみから血が流れていることに気付き、眉をひそめて血のあとを指でなぞった。
「この怪我はどうした。こいつらにやられたのか?」
「あ…、いいのよ。こんなのすぐに治せるわ」
「…良くはない」
明らかに魔王の顔色が変わった。
魔王は地べたに寝たままの人間たちを見下ろした。
「誰だ。トワに怪我をさせたのは」
「ひっ…」
声を上げた者が1人いた。若い男だった。
「おまえか」
「ひいっ…!ち、ちがっ…」
魔王がフッと息を吹きかけると、その男の身体は瞬時にその場から消えた。
アスタリスが見上げると、その男は悲鳴を上げる間もなくものすごいスピードで空中を飛ばされて行った。他の者にはその男がどうなったかはもう見えなくなったが、アスタリスには、ホールの外の高層建築物の壁にめり込んで気絶している姿が見えていた。
目の前で男が1人消えるのを見て、他の人間たちは動揺を隠せなかった。
「魔王、やめて。あなたもカイザードラゴンと同じことをするの?」
「罰を与えただけだ」
「私、人を殺したのよ。あの人たちが怒って当然のことをしたのよ」
「おまえのしたことではあるまい」
「私、カイザードラゴンを止められなかった。いいえ、止めなかったの。心のどこかで、あの人たちをやっつけて欲しいって思ってたのよ…」
『私もあの人間の女たちには怒りを覚えていた。殺したのは私の意志だ。トワは悪くない』
ミニサイズのカイザードラゴンはトワの目の前に浮かんで云った。
「そもそもおまえが悪いのだな、カイザードラゴン」
『あいつらがトワの悪口を言ったからだ。おまえならトワを傷つける者を許せるのか?』
カイザードラゴンは魔王に問いかけた。
その間にトワは魔王の腕をすり抜けるようにして、地面に寝ている人々の前に立った。
「魔王、お願い。彼らを自由にしてあげて」
魔王は仕方がない、という顔で人間たちへの魔法を解いた。
人々はようやく立ち上がったが、魔王が睨みを利かせているので、かなり怯えていた。
「本当にごめんなさい。私にできることがあれば何でもします」
トワは再び頭を下げた。
そのトワを前に、1人の男が云った。
「この国からとっとと出て行け!」
トワは静かに顔を上げた。
「それであなた方の気が済むのなら…」
すると別の男がトワに云った。
「おまえ魔族だったんだな!」
「違うわ、人間よ」
「嘘つけ!人間がドラゴンなんか召喚できるものか!」
「それにそっちの男、魔王って何だよ?本物か?ハッタリか?」
男の無礼な物言いに、魔王は振り向いた。
男は震えあがりながらも、思いもよらぬことを云った。
「そうか、わかったぞ、あの魔獣もおまえらが召喚したんだろ!」
トワは信じられない、という表情で男を見た。
「違うわ!私たちは魔獣を止めようとしただけ…」
「騙されないぞ!やっぱり魔族なんて信用できん」
「おまえだって謝るフリしてそんな男を呼び寄せて、俺たちを殺すつもりだったんだな?」
人間たちは自分たちの勝手な解釈と想像を現実として話し出したのだ。
「そんなはずないじゃない!話を聞いて!」
トワは声を振り絞って叫んだ。
「魔族の女め!」
「おまえの言うことなど、信用できるか!」
人々は再びトワを責め始めた。
「トワ、無駄だ」
魔王はトワの肩に手を置いた。
「どうして…」
「奴らの根底には魔族への畏怖がある。いくらおまえが謝罪をしても、奴らは受け入れぬ」
見るからに強そうなサレオスが腕組みをしたまま、
「貴様ら、魔王様に無礼な口をきくのは許さん」
と、人間たちをひと睨みすると、彼らは短く悲鳴を上げて後ずさりした。
「魔族なんか皆殺しにされちまえ!」
人間たちは、そう捨て台詞を云って、その場から逃げ出した。
カイザードラゴンは小さな体でありつつも、鋭い眼光で人間たちを見送った。
『あのまま見逃してよいのか?』
カイザードラゴンの問いかけに、トワは無言で頷いた。
そして彼女は、すがるような目で魔王を見上げた。
「ねえ、魔王、どうしよう?私、取返しのつかないことしちゃった…。どうしたらいい?」
「おまえは十分謝罪した。奴らがそれを受け入れられぬのは、おまえを恐ろしいと思うからだ」
「恐ろしい…?私が?」
「ドラゴンを使役する者を、人間たちは恐れるものだ」
「…私、調子に乗ってたんだわ。ドラゴンを召喚できるって、いい所を皆に見せたかった。今まで私を見下してた人たちに、認めさせたかったのかもしれない」
「そうか」
「カイザードラゴンは私を守ってくれただけなの。私のために、人を殺したのよ。でも私、止めなかった。止めなきゃいけなかったのに、カイザードラゴンだけを責めて…」
トワの瞳からはみるみるうちに涙が浮かんできた。
「泣くな…」
魔王はトワの身体を抱き寄せた。
腕の中で嗚咽を漏らし続ける彼女の耳元で、魔王は優しく語り掛ける。
「1人で思い詰めなくても良い。おまえには我が付いている」
魔王はトワの黒髪をそっと撫でた。
「過ぎたことを悔やむな。これからどう行動すべきか考えれば良い」
「うん…」
トワは魔王の背中に両腕を回して抱きついた。
魔王の胸に彼女の耳が当たると、彼の鼓動がまるで子守唄のように聞こえた。
「魔王…」
「うん?」
「ありがと…大好きよ」
トワは安心したように云い、そのまま意識を手放した。
その一部始終を少し離れた場所からルキウスたちが見つめていた。




