魔獣オルトロス
開きっぱなしだった城門を難なくくぐって市内に入って行った巨大な魔獣を追って、エリアナたちもシリウスラントの城門をくぐった。
「あれ、何ていう魔獣?」
「双頭、蛇の身体…あれは魔獣オルトロスです!」
エリアナの質問にゾーイが答えた。
すると、エリアナの顔色が変わった。
「へ、蛇!?ごめん、あたし無理!!」
「無理とか言ってる場合かよ!」
「だって!蛇とか足のないヌルヌルしたヤツ超苦手なのよ!」
云い合っている間にも市内に入ると、魔獣の巨体が遠くへ駆けていくのが見えた。
それも道路ではなく、家の屋根を踏み潰しながら縦横無尽に跳ねるように駆けていく。
「これはヤバイぞ…」
ドスンドスン、と地響きを立てながら走り去る魔獣の後姿を見て将は茫然とした。
「聖騎士たちに知らせなきゃ!」
「私が官舎へ行ってきます!」ゾーイがそう云いながら走り出した。
「市民を避難させるのってどこへ誘導したらいいの?」
「中央広場が避難場所になっています。そこへ行けば誰か聖騎士がいるはずです」
「わかったわ」
ゾーイは大聖堂方面にある聖騎士の官舎へ向かった。
将とエリアナは中央広場へと走った。
魔獣の姿はもう彼らからは見えなくなっていた。
その揺れは、大聖堂の再建工事にあたっていた魔法士や聖騎士、その近くで復興活動をしていたホリーたちをも襲った。
「な、何?この揺れは…?」
その直後、ホリーは街の西側の城門近くで上がる黒い煙を見た。
その煙はみるみるうちに広がっていく。
ちょうどその時、大聖堂前へ公国聖騎士が馬を走らせてきた。
「た、大変です!旧市街地方面から魔獣が現れました!」
「魔獣ですって?!」
「黒色重騎兵隊にも報告しました。我々もすぐに装備を整えて出ます!」
「待って。あなたたちは市民の避難を優先して。外にいる者には安全な場所に避難するように言って!」
騎士は敬礼し、詰め所へと駆けて行った。
「まったく、他の祭司長は何をしているのよ!」
ホリーは回復士を集めて、聖騎士隊に帯同するよう指示した。
「魔獣なんか一体どこから沸いたというの?」
彼女は視線を上に向けた。
この都市は、高い城壁に守られている。
どうやってこの高い壁を越えて侵入してきたのだろうか。
この都市は、門を閉めてしまえば、強固な要塞となり、外から侵入することは困難となる。
しかし、魔獣の侵入を許してしまった今となっては、強固すぎる外壁は逆に人々を閉じ込める檻となってしまう。
地上は危険だと云うので、動ける市民たちを城門の上に避難させた。
豪雨などで浸水した場合などの緊急事態に備えて、城門の上には避難所がいくつか設けられているのだが、通常は鍵がかかっていて上がれないようになっている。
ホリーは、現状を把握するために城門の頂上に上がった。
地上から数十メートルの高さにある壁の上に上ると、広大な街が一望できる。
魔獣の足跡はすぐに視認できた。
魔獣の通った後には建物が踏み潰され、黒煙が上がっていたからだ。火事が起こっている箇所もあった。
そしてその黒煙の先頭には双頭の獣らしきものが動いている。
「あれは…何?」
「双頭の獣とは…もしやオルトロスでしょうか」
取り巻きの魔法士の言葉に、ホリーは愕然とした。
歴史書に記されているような魔獣が現れたというのか。
オルトロスは家を破壊しながら街中を闊歩し、逃げ遅れた人をその爪で捕らえ、牙で咀嚼しては呑み込んでいた。
「私も黒色重騎兵隊に合流します。動ける魔法士と回復士は同行しなさい」
ホリーは毅然として魔法士たちに云った。
黒色重騎兵隊の居残り部隊は、魔獣出現の報を受けてオルトロスを追ったが、巨体の割になかなか素早く移動しており、騎馬でその後を追うのがやっとだった。
ようやくオルトロスに追いついた黒色重騎兵隊は、背後から攻撃を仕掛けた。
唸り声を上げながら振り向いたオルトロスの口からは人間の足がぶら下がっていた。
「食事中だったから止まったのか」
ノーマンから後を任された副隊長のシュタイフは、オルトロスを見て呟いた。
「散開して取り囲め。この機を逃がすなよ!攻撃開始!」
さすがに黒色重騎兵隊は訓練された精鋭らしく、きびきびとした動きでオルトロスを半包囲した。
「魔法部隊、弓部隊、攻撃開始!」
早速、黒色重騎兵隊による攻撃が始まった。
中央広場で市民の避難の誘導を行っていた勇者候補たちに、聖騎士たちが合流した。
ゾーイが戻ってきたので、彼らもこの先で戦っている筈の黒色重騎兵隊に合流しようと移動を始めた。
すると、遠くに見えたオルトロスが急に方向転換をして、勇者候補たちの方へとドスンドスンと音を立てて向かって来た。
「おおっと!」
「よ、良かった…正面は蛇じゃないのね!」
エリアナは風の魔法をオルトロスの2つの頭に同時に放った。
将も剣に魔法を付与してオルトロスの身体を斬りつけた。
エリアナの魔法は弾かれたが、将の剣戟はオルトロスの体の蛇を跳ね飛ばした。
エリアナの足元に、オルトロスの身体から弾き飛ばされた蛇が数匹ベチャッ!と落ちた。まだその体はウネウネと動いていた。
「ひぃぃ!!や、やっぱ無理ーー!!」
エリアナはずざーっと後ろへ下がっていった。
「おい!こら!」
「あ、あたしは後方から援護するから、将とゾーイは前へ行って!お願いー!」
「俺だって蛇なんか好きじゃねーよ!くそっ、仕方ねーな」
オルトロスの背後には、魔獣を追って来た黒色重騎兵隊がいて、攻撃を続けている。
将はゾーイと共に黒色重騎兵隊と挟み撃ちにする形でオルトロスに攻撃した。
しかし、その都度オルトロスの身体からは斬り飛ばされた蛇が飛んでくる。
エリアナはそれを悲鳴を上げながら避け、足元に落ちた蛇を1体1体燃やしていた。
大騒ぎしながら後ずさりしていた彼女は、後ろにいた誰かにぶつかった。
「あっ、ごめんなさい!」
「いえ」
「あら、あなたなの」
それはレナルドだった。
その直後、西の城門扉が降りる音がした。
「あれ?扉、今閉めたの?」
「ええ、魔獣を逃がさないように」
「っていうか、レナルドこんなとこにいていいの?」
「市民の誘導をするので、同行していただけませんか?」
「いいけど魔獣が…」
「ここは彼らに任せておきましょう」
レナルドはそう云って、魔獣のいる方向とは別の方向へエリアナを連れて行った。
黒色重騎兵隊に公国聖騎士の一個中隊が合流した。
彼らは市民の避難を優先しながらも、オルトロス討伐軍として黒色重騎兵隊の包囲網に加わった。
公国騎士団の中には多くの魔法士が参加しており、魔法士たちはオルトロスの動きを封じようと、魔法攻撃を開始した。
だがオルトロスは魔法攻撃を受けると、体毛の蛇が防御壁となって本体へのダメージを軽減させてしまう。ダメージを受けた蛇は体から飛び出し、攻撃してきた敵に向かってその毒の牙で敵に噛みつく。そしてオルトロスの身体にはまた新たな蛇が生えてくるという無限ループになってしまう。
その蛇に噛みつかれて、騎士が何人か毒を食らったが、途中から合流したホリーたち回復士により解毒を施された。
「蛇による二次被害を防ぐため、魔法攻撃は奴の動きを止めるだけの最低限にしろ」
シュタイフがそう命じた。
「これより物理攻撃をメインに切り替える!弓部隊攻撃開始!槍部隊前へ!」
そこへ、ゾーイと将も参加した。
「蛇が飛んで来たら盾で受けます。将様は存分に剣を振るってください」
「おう!」
将が剣に魔法を付与して剣撃を飛ばした。
その衝撃波は双頭の獣の片方の首に大きな傷をつけた。
ちょうど蛇が生えていない部分だった。
彼の働きに、黒色重騎兵隊員たちからも歓声が上がった。
さすが勇者候補だ、という者もいた。
「蛇の生えていない部分が弱点だ!」
騎兵隊の誰かが云った。
すると彼らは、その首の付け根部分を集中攻撃した。
だが、オルトロスの蛇たちは付け根部分にまで頭を伸ばし、攻撃を防いだ。
まずは蛇をなんとかしなければ、体に傷をつけることもできないということがわかった。
黒色重騎兵隊の弓部隊がオルトロスの一方の頭の片目を潰した。
傷を負ったオルトロスは暴れ出し、その場からジャンプして、再び街中を移動しはじめた。
しかも、興奮したのか前よりも速度が上がっている。
オルトロスは家を踏み潰し、逃げまどう人々をその爪で斬り割いては食らっていた。
騎馬兵はオルトロスの後を追うが、全くついていけなかった。
魔獣は広いこの都市の中を縦横無尽に駆けまわりながら人々を襲っている。
すでに多くの人々が犠牲になっていた。
食われた者、踏みつけられた者、建物の下敷きになった者。
二次被害として、毒蛇に噛まれた者や火事に巻き込まれた者もいた。
将とゾーイも追っては来たものの、街の中央広場まで戻ってきたところで魔獣を見失ってしまった。
「くそっ、攻撃云々の前に追いつけねー」
「せめて動きを止められれば…」
「さすがにあれは無理だろ。止めるとすればどんな方法がある?」
「ヒュドラの時のように地面を割って落とし穴に嵌めるとか、足を凍らせるとか…」
「こんな街中で地面を割るとかありえねーよ。あと氷魔法はエリアナも俺も持ってねーし」
「重力魔法で動きを止めるのも有効ですが…。さすがにあの大きさのものを留めるほどの魔力の持ち主なんかいません。それこそ魔王でもない限り」
「魔王が味方になってくれりゃ苦労しねーよ」
絶望的な気持ちで将は周囲を見回した。
逃げ回る魔獣を追って、市内のあちこちを騎馬兵が駆けずり回っている。
逃げ遅れた一般市民が騎士隊の騎馬に蹴られて犠牲になることもあった。
たった一匹の魔獣によって、都市の中は混乱と恐怖に支配されることとなった。
討伐隊は、オルトロスに翻弄され、被害は広がる一方だった。
「くっそ~!あんなデカブツ、倒せる気がしねえ…」
将のぼやきに、ゾーイも「そうですね」と頷いた。
重い鎧を着ているゾーイは、散々走り回って、肩で息をしていた。これ以上走り回るのは体力的に厳しいようだ。
中央広場には家を破壊されたり焼け出されたりして避難してきた市民たちが保護を求めて大勢集まってきていた。
聖騎士たちはその市民たちを10人くらいの班に分けて1班ずつ安全な城門の上へ避難させようと誘導していた。
魔獣が襲って来た時のために、市民らを公国騎士団一個小隊が取り囲むようにして守っていた。
闇雲に走り回るより、市民を守る方が先決だと将たちもその護衛に加わることにした。
すると、大勢の市民たちがいる中央広場の真ん中で、何もない空間が突然歪み始めた。
人々が悲鳴を上げたので、将とゾーイは何事かと身構えた。
次の瞬間、2人はその異様な光景に釘付けになった。
「なんだありゃ…?」
将の視線の先に、突如複数の人影が現れたのだ。




