再戦
翌朝、私は朝食を一緒にと請われて、魔王と食卓を共にした。
戦場とは思えない豪華な食事に驚いた。まるでフレンチレストラン並みのメニューだ。
食材や魔物の肉は『魔の森』から仕入れてくるのだそうだ。
やっぱり格段に美味しい。
このご飯だけでもここにいる価値はあると思う。
そんな時だった。
サレオスが慌てて報告に来た。
人間の軍が再びこの基地目指して進軍してきているというのだ。
「昨日の今日で、どうしてまた…」
「昨日の勝利で勢いづいたのだろう。奴らはサレオスを討ち取ったと思っているからな。あわよくばこの基地を落とそうとでも思っているのだ」
「昨日、治した彼らをまた戦わせるの?」
「当然だ。ここにいる魔族は全員が兵士だからな」
やっぱりそこはどちらの陣営も同じなんだな。
「やつらがここへ到達する前におまえはここを出て人間側へ合流しろ」
魔王はそう云った。
私がここにいるのが人間側にバレたら、きっとスパイ容疑をかけられる。
彼はそんなことまで心配してくれているのだ。
よし、決めた。
「ゼルくん、人間たちを追い払おう。私も手伝うよ」
魔王は目を丸くした。
「おまえ…いいのか?人間を裏切ることになるんだぞ」
「正体がバレなきゃいいわ。その代わり、人間をできるだけ殺さないって約束してくれないかな?」
「クッ…。おまえって案外、悪いヤツだな」
「食事とお風呂のお礼よ。それに、せっかく治した彼らを、殺されたりしたら悲しいもの」
「ならばおまえのために、人間たちの命を奪うのはやめよう」
「ゼルくん…!なんていい人なの!」
思わず私は少年魔王の小さな体を抱きしめて、「ありがとう」と云った。
心なしか、彼の頬が赤くなった気がした。
・・・・・・・・・・・・・・
私と魔王は基地の屋上にいた。
夕べ私がお風呂として使ったプールが後ろにある。
遠くに土煙が上っているのが見える。
人間側の軍が行進してきているのだろう。
この広い戦場全体で戦っている魔族たちを、正体を悟られずにどうやって癒すべきか、それが問題だった。
「おまえは範囲回復ができる。ならば戦場全体が見れれば良いのだな」
魔王は、黒いマントと白い仮面を何もない空間から取り出した。
「手品?」
「我は空間魔法を使用できるのだ。異空間に自分用の空間を作っていろいろなものをしまって置けるのだ。封印が解ければ異空間を通って一度訪れた場所へ瞬間移動もできるようになるのだがな」
「それ、いいな。瞬間移動」
「実は、昔そういう魔法具を作ったのだ。100年以上前に我が発明したのだが、今どうなっているのか…。いや、今はそんなことを話している場合ではないな」
魔王は取り出したマントと仮面を私にくれた。
「それをつけて正体を隠せ」
「ありがと」
私はそれを身に着けた。
黒マントに白い仮面。完全に謎の人物となった。
「じゃーん!どう?」
「なかなか似合っているぞ」
「フフフ…謎の魔人って感じ?」
「…少しは緊張感を持て。では行くぞ」
「え?行くって…」
魔王は自分の首にかけていたネックレスを握っていた。
「来い、カイザードラゴン!」
魔王が叫ぶと、ネックレスの先端についていた黒い石から、黒い煙のようなものが飛び出し、それが巨大なドラゴンの姿になった。
「ドラゴン…!!」
思わず息をのんだ。
本物のドラゴンだ。
すごい、おっきい!鱗が赤い!
「ちょっと…!こんなのがいたんなら、なんで昨日出さなかったの?」
「昨日?ああ、昼寝をしていたからだ」
「はぁ?昨日って戦争してたはずよね?」
「魔力の回復だ。この基地全体に防御バリアを張っていたのでな」
そっか、封印されてるんだっけ。
だから魔力が足りなくなったのかな。
『久しいな、魔王よ。その姿はどうした?』
「しゃべった!?」
「ああ、まだ封印が解けんのだ。久しぶりに働いてもらうぞ」
『承知した、我が召喚主よ』
ドラゴンが魔王と普通に会話してる!
会話っていうか、頭の中に直接響いてくるみたいな感じだけど。
声帯の代わりにテレパシーみたいなものを使っているのかな?
「このカイザードラゴンの背に乗って戦場を空から回れば良い」
「ええ?でも…乗ったことないし、怖いよ。第一落ちたらどうすんの?」
「安心しろ、我も一緒に行ってやる」
『おい、その人間を乗せるのか?』
「文句があるのか?あ?」
少年魔王の目つきと口調が急にガラ悪くなった。
『…乗るなら早くしろ』
カイザードラゴンは私たちの前に首を低く差し出した。ここから乗れというように。
「ほら、行くぞ」
魔王は私の手を取って、ドラゴンの首の後ろに乗った。
そこから背中に移動すると、魔王はパチン、と指を鳴らした。
すると、私たちが立っている場所が透明なバリアのようなものに覆われた。
「何をしたの?」
「周囲に風よけを作った。それと足元を重力で固定した。これで高速で飛んでも落ちたりしない」
空間魔法に重力魔法も使えるなんて、さすが魔王。
「ゼルくん、すごいのね!そんな小さいのに」
「小さいは余計だ」
『…では行くぞ』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一方、人間側の砦では夜が明ける前から、軍略会議が開かれていた。
「指揮官を失った今が攻め時です!」
そういきり立っているのは、ホリーだった。
彼女は祭司長であり、この場にいる誰よりも階級が上だった。
「しかし、昨日の戦闘でこちらにも相当の犠牲が出ました。回復士の人手も足りていませんし、このまま兵を補充もせず戦いを続けるのは危険ではありませんか」
砦の警備を任されている駐留軍の連隊長イシュタルは、不安な気持ちを正直に話した。
しかしホリーは強気だった。
「魔族の前線基地を押えれば、人間側がぐっと有利になります。数の上ではこちらが有利ですし、これに成功すれば人間の歴史において、100年前の勇者以来の栄誉となるでしょう」
「俺たちは構わないぜ」
昨日、敵の指揮官を倒した将は、余裕の表情だった。
「こちらの将様が昨日、敵の指揮官を倒すという輝かしい功績をあげられました。これを生かさない手はありません」
「それ、私も手伝ったんだけど」
エリアナは少し面白くなさそうにボソッと呟いた。
「まあまあ、いいじゃん。それは将もわかってるよ」
優星がエリアナを慰めるように云った。
「それに、トワも行方不明のままでしょ?どうして探さないのよ」
「シッ。声が大きいよ。ホリーがもう彼女は死んでるって、捜索隊を出さなかったんだよ。君だってトワのこと足手まといだって云ってたじゃないか」
「そうだけど…」
エリアナは複雑な気持ちになっていた。
たしかに足手まといだとは云ったけど、死んでもいいとは思っていなかった。
「わかりました、バーンズ祭司長。そこまでおっしゃるのなら軍を再編して、前線基地を全軍で攻めましょう」
イシュタル連隊長はようやく決断した。
「ですが、こちらが劣勢と判断すれば撤退を優先します。いいですね?」
「ええ。大丈夫、私がいるかぎり誰も死なせはしませんわ」
(やったわ。これで前線基地を落とせば、大手柄じゃないの。100年前の大戦以前からある敵の前線基地は、これまで誰も落とせなかった難攻不落の城。それを私が補佐する勇者候補たちが落としたとなれば、その功績は巨大だわ。枢機卿の座はもらったも同然ね)
ホリーは自分でも気づかぬうちに微笑んでいた。
夜が明けてすぐ、砦の警備に最低限の人数を残して、国境砦の駐留軍は、ほぼ全軍で進軍を開始した。
駐留軍2千にアトルヘイム軍の増援軍5千、大司教公国から派遣された回復士千人の総勢8千の軍である。昨日より3千人程少ないのは、回復が追い付かなかった重傷者を除外しているからだった。
その先頭には将や優星たち勇者候補の乗った騎馬と、エリアナとホリーをはじめとした回復士たちの乗った馬車が続く。
「優星」
将が騎馬を優星に近づけてきた。
「ん?何だい?」
「昨日のあの司令官をやったとき、おまえ、なんで攻撃しなかったんだ?」
「なんでって…必要ないと思ったからだけど」
「…多分、死んでるとは思うけど、確実にトドメを刺す前に敵に囲まれちまっただろ?お前の弓ならトドメをさせたはずじゃないか」
「そうかな?でも君がトドメを刺したってことでいいんじゃない?英雄扱いされてることだしさ」
「てめぇ、舐めてんのか?」
睨む将に、優星は微笑みで返す。
その時、誰かの叫び声が聞こえた。
「見ろ!ドラゴンだ!」
「ドラゴンがいるぞ!」
先頭にいた兵士たちが叫んでいた。
空を見ると、敵の前線基地の上空を巨大なドラゴンが飛び回っていた。
「何あれ…!昨日はいなかったわよね?」
エリアナも馬車の窓から見て、思わず声を上げた。
「ドラゴンは100年前魔王が召喚して、魔王と共に勇者に倒されたはず…」
ホリーが不安気に呟いた。
魔王と共に倒されたドラゴンが復活したということは、魔王も復活した可能性がある。
優星は馬上からドラゴンに向けて弓を構え、矢を放った。
だがその矢はドラゴンに届くことはなかった。
「さすがに遠すぎるか…!」
だが、ドラゴンはすばらしいスピードで彼らの頭上を通り過ぎた。
その羽ばたきが巻き起こす風に飛ばされまいと、兵士らは思わず防粉マスクを押えた。
「ドラゴンに構うな!魔族を倒せ!」
連隊長イシュタルの激が飛ぶ。
ドラゴンに気を取られているうちに、基地から大勢の魔族たちが出撃して来たのである。
やはり敵の指揮官はいなかった。
エリアナたちはそれを確認して、馬車を降りて将たちと合流した。
ホリーには広範囲回復魔法がある。
彼女さえいれば負けることはない、と勇者候補たちも高をくくっていた。
魔族との戦闘が開始された。
その口火を切ったのは、エリアナの広範囲火炎魔法だった。
これは昨日と同じパターンである。
エリアナは昨日も魔族の集団に向けて、広範囲の火炎魔法<大爆炎弾>を放ち、魔族たちの勢いを削ぐことに成功したのだった。
彼女はそれを魔族の集団に向けて右に左に連発した。
その都度、爆炎と共に魔族の悲鳴が上がり、彼らは吹っ飛ばされていった。
その後を将や優星たちが縦横無尽に駆け、生き残っている魔族たちを次々と倒していく。
他の兵士たちもそれに続いた。
いける!
ホリーは確信した。
だが次の瞬間、彼女の目を疑う事態が起こった。
エリアナが魔法を放った直後、その真上をドラゴンが通りすぎると、倒れていた魔族たちが一斉に起き上がってきたのだ。
「何?何が起こったの?」
ドラゴンが戦場の空を駆け巡ると、倒れていた魔族たちが次々と立ち上がってくる。
予想もしない展開に、いつの間にか将たちは魔族に囲まれてしまっていた。
「なんだ、どうなってる?」
「くそっ、囲まれたよ!どうする?」
「このままだと孤立するぞ。後退して合流しよう。俺が切り開く。優星は援護してくれ」
「わかった」
将と優星はかなり戦線より突出していたため、後方の軍に合流しようと考えた。
周囲を囲む魔族の一角を突破しようと、将は剣を構えつつ走って行った。
すると、魔族たちは戦おうとはせず、スッ、と将たちに道を開けた。
「えっ?なんだ?」
「行けって言ってるみたいだね。なら行ってやろうじゃないか」
なぜか魔族たちは、将たちに手出しせず道を譲った。
撤退しながら、優星はチラッと後ろを見た。
道を譲るくらいだから追いかけてこないのかと思っていたら、後ろから魔族たちが大挙して追っかけてきていたのだ。
「うわぁぁぁ!来てる、来てるよぉ!」
優星は前を走る将を追い抜いて行った。
「お、おいっ!待てよ!」
将も負けずに全力で走った。
2人は抜きつ抜かれつ状態のまま、後方の部隊と合流することができた。
「あのドラゴンが何かしたのよ」
エリアナは何度魔法を撃っても、その後魔族が起き上がってくるので、気味悪がってホリーと共に馬車のところまで撤退してきていた。
エリアナは宙を舞うドラゴンをじっと見つめた。
「ドラゴンの背に、誰か乗ってるわ」
彼女の指摘を受けて、ホリーもドラゴンの背を見た。
確認できたのは小さな人物と、もう1人の謎の人物。それは漆黒のマントに不気味な白い仮面を付けていた。
「あれは…まさか、魔王…!?」
ホリーの顔がサッと青ざめた。
「だとしたら、マズイわ。ここにいたら殺される」
彼女は敵に向かって魔法を撃っているエリアナを置いて、1人で馬車に乗ろうとした。
そこへ、傷ついた兵士が、馬車に乗せてくれと彼女の足にしがみついてきた。
ホリーはその兵士を足で蹴って馬車から追い出した。
広範囲回復魔法はそれなりに魔力を消費するため、そう何度も連発できないのが実情だ。
彼女は万が一に備えて魔力を温存することにし、撤退することに決めたのだ。
「早く馬車を出して!」
御者席にいた兵士に命じると、ホリーの乗る馬車は砦方面に猛スピードで撤退していった。
倒したはずの魔族たちが次々と復活したため、人間側の兵士たちはじりじりと後退を余儀なくさせられていった。
魔族の中にも魔法を使う者が複数いて、エリアナと魔法の撃ち合いになっていた。
さすがの彼女も魔力の使い過ぎで疲弊してきていた。
それなのに、上空をドラゴンが通過していくたびに、魔族の数が増えている気がする。
「もう、なんなのよ!魔族って魔力無限にあるの?ちょっとホリー、魔力を回復…」
エリアナが後ろを向くと、ホリーの姿はなく、馬車も姿を消していた。
「嘘でしょ…!」
孤軍奮闘していたエリアナの心が完全に折れた。
周囲の兵たちも、疲れを知らない魔族たちに圧倒され、徐々に後退していった。
「これじゃジリ貧になるわ。撤退しましょう」
このままでは魔力切れを起こしてしまうと思ったエリアナは、周囲の兵士たちに声をかけて、共に撤退していった。
兵士たちは回復士を含むチームを組んで戦っていたが、まずその回復士が魔族に狙われた。
それで、回復士はチームを無視して我先にと勝手に撤退してしまった。
こうなると、力の強い魔族が有利である。
人間側の兵士たちも、頼みの綱である回復士がいない状態で魔族と戦う程愚かではない。彼らも回復士に続いて撤退していくが、魔族たちはなぜか彼らを追いかけようとはしなかった。
勝敗を決定づけたのは、空中からドラゴンが吐き出す火球攻撃だった。
戦場に残っていた兵士たちに向けて火球が放たれ、それを避けようとして兵士たちがぶつかり合い、パニック状態になった。
優星と将は、ドラゴンによる空からの遠距離攻撃になすすべもなく、兵士たちを叱咤しつつ後退を続けることしかできなかった。
撤退する兵士たちと入れ替わりに騎馬の弓部隊が前に出てきた。
彼らはドラゴンに向けて矢を射かけるが、矢はドラゴンの体の前ですべて弾かれ、傷ひとつつけることができなかった。
攻撃が効かなかったことに驚いていた弓部隊へ火球が飛んできた。
火球に驚いた馬があらぬ方向へ駆け出し、落馬する者が後を絶たなかった。
火球自体はそれほど威力のあるものではなかったが、パニック状態になっている兵士たちに恐怖を与えるには効果は絶大だった。
そもそも全員防粉マスクをつけているので視界が悪いのだ。
鎧同士がぶつかり合い、将棋倒しになったり、また倒れた者の体を踏み台にして逃げる者もいて、戦場は混乱の極致にあった。
その中でも必死に戦えと味方を鼓舞していたのは連隊長のイシュタルだった。
そのイシュタルめがけてドラゴンが火球を吐いた。
彼の全身は炎に包まれ、必死に火を消そうと転げまわった。
すでに回復士は全員逃げてしまい、彼を助けようとする者は誰もいなかった。
なんとか火を消したイシュタルだったが、転げまわった拍子に防粉マスクが外れてしまった。
取り乱した彼はついに号令を出した。
「撤退、撤退―!」




