パトロン
闘技場のVIP席で、魔王は苦虫を潰したような顔をしていた。
「魔王様、バリアを壊しましたね」
ユリウスが嫌味を含んだ云い方をした。
「そしてあの魔法士の動きを封じましたね」
「そういうおまえもあの魔法士の真後ろに移動していたではないか」
「…トワ様が弓矢を受けた時点でもう我慢の限界でしたから」
「もしかして自分の出番を取られて文句を言いに来たのか?」
心を見透かされたユリウスは何か云いたげに魔王を見た。
「しかしそろそろ潮時だな。こんな大衆の面前で力を使ったのだ。聡い者には気付かれ始めている」
「客も騒ぎ出していますね」
「早々に連れ帰った方が良いかもしれん」
魔王は席を立った。
その魔王に、カナンが声を掛けてきた。
彼はお願いがあります、と云った。
試合が終わると、トワたちのいる宿舎の周りは騒然となっていた。
コンチェイが宿舎に群がる人々の対応に苦慮していた。
宿舎の中にもプロモーターだのパトロンになりたいだのという人々が押しかけてきていた。
その中でもやはりトワの能力について教えろと食い下がる者が多かった。
他の闘士からも同様の申し込みがあったが、そこはマルティスがうまく収めていた。
急激な周りの変化に、チームの控室にいた彼らは、戸惑うばかりだった。
マルティスが一通り対応して彼らを帰して控室に戻ってきた。
「うっかり外を歩くこともできなくなりました」
イヴリスが苦情を訴えた。
「まあまあ、これも有名税だって。報奨金もたっぷり出るし、いいじゃないか」
「…お金はあるに越したことはありませんが、代わりに何かを失った気がします」
試合が終わった後、座り込んでしまったトワを抱き上げて宿舎まで運んできたゼフォンは、その間ずっと無言だった。
その彼がようやく口を開いた。
「トワを戦闘に出すのはやめよう」
「ちょっとちょっとゼフォン、今日はまあ、アレだったけど次から気を付ければいいだけの話じゃないか」
「今日の試合で、トワが我々を回復させていることが露呈してしまった。普通のパーティなら、トワが倒れても放置するところだが、我々はそうしなかった。少し知恵の回る者ならば、その理由を探ろうとするだろう」
「確かにそうですね…」
「いやいや、大丈夫だって」
マルティスはなんとかトワを試合に出そうと必死だ。
「魔族を回復できる者がいるなんて誰も信じないって。俺らが回復スキル持ってたってことでシラを切り通せばいいじゃないか」
「ではおまえがトワを体を張って助けたことはどう説明するんだ」
「じゃあ、こうしよう。俺が身を挺してトワを守ったのは、トワが俺のパートナーだからだって公表すればいい。それなら納得がいくだろ?」
「個人的には納得いかん」
「どうしてあなたのパートナーなんですか」
「おまえらな…。だいたいトワがいなかったら、スキル連発できんだろ?」
「…奴らの狙いは最初からトワだった。俺はそんなことすら見抜けなかったんだ」
「…私も。自分の力に己惚れていました」
その場がシーン、と静まり返った。
「トワはどうしてる?」
マルティスが尋ねた。
「寝かせてきた。回復したとはいえ、傷の痛みのショックが残ってるんだろう」
「私たち、トワ様が人間だということを、失念していましたね…」
「ああ、痛みに強い魔族とは違うんだよなあ…俺もうっかりしてた」
「むっ」
ゼフォンが急に壁の方を向いて構えた。
「どうした?」
マルティスがゼフォンを振り向いた。
「いや…誰かの気配を感じたんだが。気のせいか…」
その頃、トワは隣の部屋のベッドで眠っていた。
その近くの空間が突然歪んだかと思うと、そこに1人の人物が現れた。
黒髪に金色の瞳をした青年―魔王ゼルニウスだった。
彼は音もたてずにベッドに近づくと、トワの顔を覗き込んだ。彼女は彼の知っている黒髪をしていた。
ベッドの脇には栗色のウィッグが置いてある。
なるほど、これを被っていたのかと彼は納得した。
呼吸で上下している胸の上に乗せられている指には、彼の贈った指輪が嵌っている。
それを見て魔王は優し気に微笑んだ。
彼の指が、そっとトワの頬に触れる。
たった数か月会わなかっただけで、こんなに寂しく、愛おしいと思うことが不思議だった。
もし自分を覚えていなくても、このまま異空間を通って魔王城へ連れて帰るつもりだった。
魔王がトワを抱き起そうと触れた瞬間、ふいにトワの目が開いた。
「トワ…?」
いや、違う。
なぜならその瞳は彼と同じような金色をしていたからだ。
『この娘の意思を無視しないで』
その言葉はトワの口からではなく、直接頭に響いてきた。
「…どういうことだ。おまえは、誰だ?」
『私は… … …』
トワは再び目を閉じた。
魔王は驚いた表情のまま、しばらく彼女の顔を見つめていた。
トワは何事もなかったかのように、静かに寝息を立てている。
魔王はトワの額に口づけをひとつ落とすと、再び異空間へ消えていった。
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翌日、コンチェイからエキシビションの試合があることを聞かされた。
上級トーナメントが終了した後は、一般から募集した腕自慢たちと試合を行うのが恒例なのだという。要はファンサービスだ。
「客サービスの一環だよ。気軽に考えりゃいい」
「客と戦うって、負けてやった方がいいのか?」マルティスがコンチェイに問う。
「いや、怪我をさせない程度に勝ってくれ。まあ、多少の怪我なら回復士が付くから問題ないさ」
「下らん遊びだ」
ゼフォンは吐き捨てるように云った。
「そうそう、君たちのパトロンになりたいと申し出てきた人がたくさんいるんだが」
「おっと、ついに来たか!」
「パトロンって何?スポンサーのこと?」私にはあまり馴染みのない言葉だった。
「ああ。生活周りまで援助してくれる人だよ」
「へえ~。つまりはお金持ちがバックアップしてくれるってことね?」
コンチェイは咳払いをして付け加えた。
「まあ、パトロンになる理由は、有名人を連れまわしたいとか、金持ち仲間に自慢したいとか、パーティとか社交界で横にはべらせたいとか、要は自分の権力を誇示したいってとこだな。だから闘士の衣食住まで面倒みてくれるし、生活レベルを上げさせてくれるんだ。まあ、夜のお相手をさせるなんていう奴もたまにいるから、気を付けんといかんがな」
「夜の…?って、ええーーー!??それ、パワハラな上にセクハラじゃない!そんなの嫌よ!」
「そういう奴もいる、って話だよ。それは人間の話で、魔族のパトロンがつけばそういう心配はない。まあ、今回魔族のパトロンもいるから、一度会ってみるといいよ」
私たちは、その魔族のパトロンに会うために、市内の高級ホテルに出かけた。
上位の闘士は皆パトロンを持っている。有名闘士になると複数のパトロンを持つこともあるんだそうだ。
大抵は大富豪の人間か、どこかの貴族がなることが多い。
その代わり、パトロンの主催するパーティやらイベントやらには客寄せのために出席したりしなければならない。パトロンに対する接待も重要なのだ。
パトロン候補がいる部屋は高級ホテルの最上階のスイートルームだ。
「さすがお金持ちは違うねえ」
マルティスは感心した。
私は茶髪のカツラをしっかりと被っていた。
エレベーターを最上階で降りると、1人の魔族が待っていて、うやうやしく一礼した。
それはユリウスだった。
「ユリウスさん!?」
「ようこそ、トワ様。皆様も、お待ちしていました」
ユリウスを初めて見たイヴリスは「すごい美形ですね」と私に耳打ちしてきた。
「奥で私共の主人がお待ちです」
「パトロンになりたいって、ユリウスさんの主だったの?それならそうと云ってくれればよかったのに」
彼はそれには答えず、ただ笑顔を見せるだけだった。
彼に案内されて部屋へ入ると、だだっ広いリビングルームが広がっていた。
その部屋の中央に置かれた豪華なソファに座っていたのは、10歳くらいの魔族の少年だった。
黒髪で金色の瞳を持つ、超美少年だ。
ドクン。
一瞬、時が止まったような気がした。いや、止まったのは私の心臓かもしれない。
それくらいの衝撃が私の胸の中に走った。
黒髪に金色の目。
私はその子から目が離せなかった。
会ったことないはずなのに、知っている気が…する。
「子供…?」
マルティスは驚いていた。
「こちらはゼル様。魔貴族ネビュロス様の一族の御子息にございます」
この少年は、繁殖期外子で人間の国へ留学しているらしく、たまたま私たちの試合を見て気に入ったということだった。
「おまえたちの試合、見せてもらった。なかなか良かったぞ。今後はおまえたちをサポートしたいと思う」
この少年の声、聞き覚えがある。
やっぱり、知ってる気がする…。
「それで、試合を見ていた我の部下たちが、どうしてもおまえたちと手合わせしてみたいと言い出してな。今度のエキシビションに出すことにした」
「ほう?」
ゼフォンは興味を持ったようだ。
「我の騎士団の精鋭と本気で戦って欲しい」
「騎士団か、いいだろう」
ゼフォンは少年の話を受けた。
「ただし、そこの娘には外れてもらう」
「え…?」
少年は私を指さした。
「わ、私?」
「でないと不公平だろう?」
「な…!」
マルティスは思わず声を上げた。
「何の話ですかね?」
「フッ、とぼけなくても良い。傷や魔力を回復されては分が悪いからな」
「魔力を回復?一体何のことです?」
マルティスはあくまでとぼけるつもりのようだ。
「とぼけるならそれも一興。ともかくその条件で試合をしてくれ」
「ああ。正々堂々と戦ってやるさ」
マルティスは少年に睨まれていることを意識して、わざと挑発するように云った。
私たちはその場を去って宿舎へと戻った。
「あいつ、やべえぞ。トワが魔力を回復させてたことまで知ってる」
マルティスは動揺していた。
「魔力に関してはこれまで誰にも指摘すらされてなかったことなのに、どうしてわかったんでしょう?」
イヴリスも戸惑いを隠せない。
「で、どうするんだ?試合はともかく、パトロンの話は?」
「うーん、正直あのガキ、得体が知れないんだよな。目が怖いっつーか…。ま、いくつか他の話を聞いてみてから判断しても遅くはないかもな」
私はあの少年に見覚えがある。
だけどそれは黙っておいた。
見覚えはあるけど、記憶にはなかったからだ。




