大聖堂の惨劇(後編)
「殺せ!殺せ!」
興奮する市民らを押えながらも、聖騎士たちは大司教を取り囲んだ。
「くそっ!こうなれば…」
大司教はローブの袖の中から宝玉を取り出した。
仮面の人物がすかさずそれを大司教の手から奪い取った。
「はいはい、ずるいことしないの!」
仮面の人物は笑い声をあげながらひらりと大司教の後ろへジャンプした。
「貴様、それを返せ!」
大司教は仮面の人物を追いかけようとして、市民に背を向けた瞬間、聖騎士に背中から剣で刺された。
「ぐわっ!」
別の聖騎士も剣を抜いて大司教の背中を刺すと、大司教は壇上に倒れ込んだ。
倒れた大司教の体には詰め寄ってきた聖騎士たちによって、次々と剣が突き立てられた。
「殺せ!殺せ!」
「殺せ!殺せ!」
民衆の煽りを受けて、聖騎士たちは交代で大司教の身体の上に乗っては、剣を突き刺し続ける。
その様子はまるで熱狂する観客の前で見せる見世物小屋の残酷な出し物のようだった。
それでも大司教はまだ死んでいなかった。
「貴様ら…よく、も…おの…、れ」
大司教が地を這うような低い恨みの声を上げたかと思うと、突如彼の体から炎の柱が立ち上った。
彼の上に馬乗りになって剣を刺していた聖騎士の全身が炎に包まれた。
「ぎゃああ!」
炎に包まれた聖騎士は立ち上がって壇上から転げ落ちた。
大司教だったモノはゆっくり起き上がった。
その体は全身を炎に包まれ、身に着けていたローブは少しずつ焼け落ちていった。
それはさながら炎の魔人のようだったが、多くの人間に刺された傷からは血が滴り落ちていた。
「人間風情が、よくも…」
近くにいるだけでも火傷しそうなほど発火している炎の魔人を前に、聖騎士たちも逃げ腰であった。剣で切りかかろうにも、その熱で近づけないのだ。
「貴様ら、皆殺しにしてやる」
炎の魔人は両腕から炎を火炎放射器のごとくまき散らし、周囲にいた人間たちを次々と火だるまにしていった。大聖堂内に焦げたイヤな臭いが立ち込めた。
「あらら、いいの?大司教様が市民を虐殺なんてさあ」
仮面の人物は再び大司教の背後に現れて、仮面を少しだけずらして「ワタシよ、ワタシ」と告げた。
「貴様、カラヴィアか…?どういうつもりだ。なぜここにいる?」
「フフッ、ずっと傍にいたのに気付かないからさ、大司教っぷり、なかなか滑稽だったわよ。だけどそろそろ鼻についてきたのよねぇ」
「貴様も殺す!」
「あんたみたいなのろまがワタシを?無理無理!でもあんたを倒すのはワタシの可愛い生徒たちに任せるわ。じゃあね~」
仮面のカラヴィアは大聖堂の壁をすり抜けるように消えていった。
「ヒデト、こっちへ」
この騒ぎの中、檀上のシンドウに声をかけたのはダリアだった。
皇女を抱えたシンドウは、彼女に導かれて壇上から降りて裏口へ移動しはじめた。
だが、その行く手をいつの間にか後を追ってきたノーマンに阻まれた。
「ヒデト、皇女はもう必要ないでしょう」
ダリアの言葉に彼は従い、皇女を手放すと、幼い少女はノーマンに向かって駆けだした。
皇女はノーマンに抱きついて、ホッとしたのか、大声で泣き出してしまった。
その隙に、ヒデトたちは逃げてしまったが、ノーマンは泣きじゃくる皇女に抱きつかれていて彼らを追うことができなかった。
壇上にいた勇者候補たちも、大司教が魔族だったことを知ってショックを受けたが、市民たちに被害が出始めるのを見て覚悟を決めた。
「将!」
「ああ、やるしかない」
「アマンダ、しっかりして!」
エリアナは、怯えているアマンダを叱咤した。
アマンダは信じていた大司教が魔族だったというショックから、まだ立ち直れていなかった。その彼女の肩を叩いたのはゾーイだった。
「今すべきことは目の前の魔族から市民を守ることだ。君の力を貸してくれ」
「ゾーイさん…」
アマンダはようやくいつもの自分を取り戻した。
勇者候補パーティは炎の魔人の前に立ち塞がった。
「覚悟なさい!大司教の偽物!」
エリアナの叫びと同時に炎の魔人に向けて、風の魔法を撃った。将は氷の魔法を付与して攻撃した。
炎の魔人の炎の攻撃はゾーイが盾で受け、アマンダは彼らを援護する。
「我らも加勢する!」
大聖堂内にいた黒色重騎兵の騎士たちは、押し寄せる市民たちをかき分けて講壇の前へ駆けつけた。
ノーマン自身は、皇女を保護することを優先し、後を部下たちに任せ、先程シンドウたちが逃げた裏口へと走って行った。
手負いの炎の魔人は、それでも手ごわかった。
だが、勇者候補と黒色重騎兵隊の苛烈な攻撃により、魔人は瀕死の状態になっていた。
「ぐぬぬ…貴様らも道連れにしてや…る…」
魔人はそう最期に云い残すと、その体が倒れる前に爆発にも似た大きな炎が上がった。
爆発は咄嗟に黒色重騎士らが展開した防御壁によって防がれ、エリアナたちはかすり傷ひとつ追うことはなかった。
だがその炎は礼拝堂の天井にまで達し、火は建物全体に燃え広がって行った。
天井からパラパラと火の粉が降ってくる。
「ここは危険です!脱出しましょう!」
アマンダが、叫んだ。
市民たちは逃げようと出口の扉に殺到して、将棋倒しのような状態になった。
なぜか出口の扉は固く閉じられていて、市民たちが必死で叩くが、扉はビクともしなかった。
天井が崩れ落ち始め、火の手が徐々に迫ってくる。
「開けろー!」
「開けてくれ!!」
市民らが扉をドンドンと叩く。
礼拝堂の外にいた公国聖騎士団は、これ以上中に市民を入れないために、外から扉を封じていたのである。彼らは中で起こっている惨劇を知る由もなかった。
「チッ、人が邪魔で扉を壊せないぞ」将が舌打ちした。
「裏口に回りましょう」ゾーイが誘導する。
「皆、こっちよ!」エリアナが市民らに声を掛けながら炎の中を走った。
人々が逃げ出そうとする流れに逆行するように、燃え盛る礼拝堂内を、ただ1人歩く者がいた。
その人物は、燃え尽きた炎の魔人の傍に立った。
魔人はまだ、息があった。
「お…お、イ…ド」
「200年、よくも私を騙していたな」
それはイドラだった。
イドラは、聖騎士が落としていった剣を拾い、炎の魔人の背中にそれを突き立てた。
今度こそ、彼は絶命した。
炎に包まれた周囲を見て、イドラはふと思った。
ずっと、この身は魔王の業火に焼かれたと思っていたが、もしかしたら、邸を焼いたのはタロスだったのではないだろうか。
大司教の脇には燃え尽きたローブから転がり落ちた宝玉がいくつか落ちていた。
イドラはそれをすべて拾い上げ、自らのローブに隠した。
「それ全部独り占め?」
イドラの背後に現れたのは、先ほどの仮面の人物だった。
「おまえには感謝する」
「馬車に乗っけてくれたお礼よ。ラエイラからここまでなんて歩けなかったもの」
「ドラゴンが来たのは予想外だったが、良い方に転がってくれた」
「そいつ偉そうだったから気に食わなかったのよね。いい気味だわ」
「おまえは、タロスと知り合いだったのか」
「まぁね。それよりどうする?これ」
仮面の人物-カラヴィアは先ほど大司教から取り上げた宝玉を見せて云った。
「その宝玉には、何のスキルが封じられている?」
「ああ、これ?ん~っと、<記憶消去>だって。あいつ、あの場にいる全員の記憶を消そうとしたみたいね」
「…やはり、ユミールはスキルを奪われていたのか」
「え?何?これユミールのスキルなの?んじゃあ、いらない。あげるわ」
「何っ!?」
カラヴィアは宝玉をイドラにポイッと投げて渡した。
イドラはそれを受け取って、驚きの声を上げた。
「おまえは、ユミールを知っているのか?!」
「もしかしてあんた、ユミールの一族なの?」
「そうだ」
「ふ~ん…そう。なんかこの前トワって娘と話してから、おかしな方向に転がるわねえ…」
「トワを知っているのか」
「え?ああ、なんだ。あんたが私のこの顔治せる人がいるって言ったのって、もしかしてトワのことだったの?」
「そうだ。私の顔も奇麗に治してくれたのだ。だからおまえの顔も治るはずだ」
「へえ~!やっぱ魔王様の言ったことは本当だったのね!」
「…魔王だと?その顔は魔王にやられたと言ったではないか!だから私は…」
「そうだけど?」
「お、おまえは魔王が憎くないのか!」
「あんたバカじゃないの?憎いって愛の裏返しなのよ?そーんなことも知らないの?」
「愛…だと?」
「そうよ?憎むのは相手が好きだからよ。そうじゃない相手には無関心でしょ?」
イドラはカラヴィアの云うことが理解できなかった。
ラエイラ郊外で、イドラはおかしな仮面を付けてふらふらと歩くカラヴィアを見つけて保護した。
そしてその顔が自分と同じように魔王に焼かれたことを知り、同情して大司教公国へと連れて帰ってきたのだった。トワはもういなかったが、カラヴィアには、必ず治ると話していたのだった。
イドラはカラヴィアの素性を知らない。カラヴィアも多くは語らなかった。
帰国したイドラは大司教の正体を市民の前で暴きたいと云うと、なぜかカラヴィアは手伝うと云ってくれたのだった。
「うん、決めたわ。ワタシ、魔王様の後を追うことにする」
「…勝手にしろ」
「ええ、好きにするわ」
「あのドラゴンならば前線基地に向かって行ったぞ」
「あっそ?じゃあ追いかけようかな」
「待て、おまえは誰なんだ」
「ワタシ?ワタシは魔王護衛将の1人にして魔王様の愛人カラヴィアよ」
「魔王護衛将…!?愛人だと?」
「あんたも飼い主がいなくなって自由になったんでしょ?もう好きにすればいいんじゃない?」
カラヴィアは、イドラに「じゃあねー」と手を振って姿を消した。
「自由…」
イドラは新たに手に入れた宝玉を見た。
「そうだ。もう誰も私に命令できない。私は、自由だ…!私は…ググッ…」
炎の中、イドラは絶命している魔人に視線を落として、奇妙な声で笑った。
礼拝堂から発生した火事は、大司教公国のシンボルであった大聖堂本棟にまで延焼し、炎に包まれた。
荘厳な屋根が焼け落ち、美しかったステンドグラスも粉々に割れて黒い煙に包まれて行った。
異変に気付いた公国聖騎士団は、ようやく大聖堂の正面扉を解放すると、堰を切ったように大勢の市民らが飛び出してきた。中は黒い煙で充満していて、中には体が炎に包まれたまま転がり出てきた者もいた。
遅れて黒色重騎兵隊と共に市内に突入してきたホリーは、変わり果てた大聖堂を見て絶句し、立ち尽くした。




