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凍京愛徒  作者: 蒼原悠
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08




 風邪は翌日には快方に向かって、高校にも通えるようになった。もちろん、独り暮らしの身であまり身体に無理を言わせてはいけないのだろうけれど、休んでいる期間があまり長くなるといよいよ試験勉強が追い付かなくなってしまう。その危惧の方がいくらか大きかった。何より、なまじクラスメートの大半と交流がないおかげで、休んでいた分の板書やノートを写させてもらえる(あて)もほとんどなかったから。

 とうとう医者には行かずじまいだった。両親にもいっさい報告しなかったけれど、それで治ったのだから結果オーライだろうと思う。

 ようやく回復した頭と手で、止まってしまっていた試験勉強を再開した。

 周囲のクラスメートたちは勉強会を頻繁に開いていたようだった。もちろん、おれがそこに誘われることはない。それでも手元に話し相手がいてくれるから、おれの勉強はひとりぼっちではない。時おり手を止めて[ゆう]への返信に時間を()きつつ、自分のペースで勉強に励んだ。

 [ゆう]との話の内容は、もっぱら『二十五日に何をするか』に焦点が当たっていた。

【せっかくクリスマスなんだし、プレゼント交換とかもしてみたいよな】

 何気ない感覚で送ってみたら、[ゆう]はいくぶん困惑したみたいに【プレゼントか……】なんて返してきたっけ。聞けば、他人にプレゼントを贈ったのは小学六年生の時が最後で、贈り慣れていないから作法も品定めのやり方も分からない、という。

 その“小学六年生の時に贈ったプレゼント”というのは、もしかして……。

 まだ確証は何もないとはいえ、[ゆう]の正体の見当がある程度ついてしまうと、彼女の言動の裏も何となく読み取れるような気になってくるから不思議だった。無論、実際には[ゆう]=侑莉という等式は成立していないのかもしれないし、それはそれでおれにとっては望ましいことだった。

【じゃ、お互い欲しいものを教えておけばいいんじゃない?】

【クリスマス会の方でもプレゼント交換とかあるんじゃないの?】

【いや、あっちはないんだって。六本木の駅前のレストラン数時間借りきってはしゃぐみたいなんだ】

【そっかー。いいと思うんだけどな、プレゼント交換。……その、参加、するの?】

【まだ伝えてないんだけど、行こうかなって考えてるよ】

【そしたら早く伝えておいた方がいいよ!】

 返信の後ろには相変わらずのかわいらしい顔文字が二つ、三つ、はしゃぎ回るみたいにして画面の下端を跳ねていた。

 せっかく柴井にも誘いをかけてもらったんだ。[ゆう]の懸念も少しは払拭できただろうし、クリスマス会、、行ってみようかな。前向きな感情に支配されるのは楽しくて、おれは[ゆう]の勧めに従って柴井へのメッセージを打った。

 参加を伝えるや、

【よっしゃ! 店に連絡入れるわ】

 と、勇んだ返事が跳ね返ってきた。

 [ゆう]とのプレゼント交換の話も進んでいった。これといって特に欲しいもののなかったおれは、真面目に【新しい財布】とか送ってしまった。冗談でも【恋人】とか【親友】とか書くのは(はばか)られたし、そんなことで[ゆう]の機嫌を損ねたらたまらないと思った。

 ところが[ゆう]は、おれの配慮をやすやすとぶち壊しにかかった。【彼女とか欲しくないの?】と返信してきやがったのだ。しかも、

【そ、そういうゆうはどうなんだよ】

【わたしは()らないかな。いないし、要らない】

 おれの抱きかけた幻想は一撃で粉々に打ち砕かれた。[ゆう]にしてはあっさりしすぎている、いささか妙なようにも思える口ぶりだったが、適切な突っ込みを入れられる自信もなかったおれは早々に追及を諦めてしまった。……仕方なかった、と、思う。

 かく言う[ゆう]の望むプレゼントは二つだった。【なんかいい感じのかわいいぬいぐるみ】、そしてあろうことか【手書きの手紙】だという。

 そんなもの、何を書けばいいのか分からないよ。手紙なんかどこの誰にも出したことがなかったのに……。そう正直に伝えると、【思ってること書いてくれればいいよ!】などと至極大雑把な回答が飛んできた。

【マジで思ってることしか書かないけど、そんな内容で本当にいいの?】

【心がこもってるなら何でもいいよ】

 警告のつもりだったのに、[ゆう]はあっさり受け止めて流してしまった。

 仕方ない、書こう。期末試験が終われば時間もできる。

 二日間の期末試験のあいだ、暇な時間を見つけるたびにおれは手紙の文面を考えるようになった。きっと[ゆう]はおれの苦労なんか何も知らないで、おれに押し付ける財布を選んでいるのだろう。CORDELⅰAの鼻唄でも歌いながら。学校帰りの暗い夜空を見上げるたびに、つくづく、そうであってほしいものだと願った。

 [ゆう]の正体が侑莉だろうと、そうではなかろうと、今のおれと[ゆう]はそれなりに楽しくやれている。

 願わくは、こんな呑気で穏やかな日々がクリスマスまで続いてほしい。……そして叶うなら“約束の二十五日”が過ぎても続いてほしいと思った。冬晴れの空に輝く太陽のように、[ゆう]にはいつでも画面の向こうで(まぶ)しく笑っていてほしかった。




「盛岡にもプレゼント交換の相手がいるだなんて思わなかった」

 ショッピングモールの自動ドアをくぐりながら、しみじみと浜崎はつぶやいていた。

 大変に失礼な口をきいているという自覚は彼女には少しもないようだった。ともあれ、数週間前のおれが今のおれを見たとしても同じことを思っただろうから、おれは「()()()んだ」とだけ補足することにした。

「えー、何それ。彼女ってこと?」

「そういうのじゃないよ。普通に仲良くなっただけだし、その子も彼氏は要らないって言ってるから」

 ふーん、と浜崎は鼻から抜けるような笑い方をした。バカにしているのではなくて、単に面白がっているだけのようだった。

 期末試験の終わった十二月二十日、おれは浜崎に頼み込んで[ゆう]へのクリスマスプレゼントを選びに複合商業施設『六本木タイムズスクエア』を訪れていた。最初に声をかけた時、浜崎の見せたすっとんきょうな反応はしばらく忘れられそうになかった。自分から女子に声をかけるというだけで、どれだけの勇気と心労を費やしたか分からないというのに。

「でもさぁ、探してるのってぬいぐるみなんでしょ?」

 賑わうフロアのなかを歩き回りながら、浜崎は辺りに視線を配った。「ぬいぐるみなんてこっちじゃ扱ってないと思うよ。キャラものだったら、なおさら」

 おれも薄々、そんな気がしてきていた。周囲には高級そうな衣料品の店がところ狭しと軒を連ねていて、風景はショッピングモールというよりデパートかファッションビルのそれに近かった。

「タイムズスクエアのエリア内で探すにしても、キャラものだったらあっちの全日本テレビのスタジオ覗いた方が揃ってると思うな」

「それ、どうやって行ったらいいんだろう」

「そこに道案内あるじゃん。えっと、ひとつ下の階に下りて右……か」

 すいすいと浜崎は人波の合間を縫って進んでゆく。都会慣れしている人の強さを、こういう環境に出くわすたびに痛感する。こうして恒常的に数多の人と接しているから、都会の人間は他人との物理的な距離の取り方、縮め方を感覚的に理解しているのだろうか。おれにはない才能だった。

 大手不動産会社の再開発で誕生した『六本木タイムズスクエア』には、超高層オフィスビルのスクエアタワーを中心に、商業施設や住宅、ホテル、ホール、公園、それにテレビ局の本社スタジオまでもが一体的に構えられている。完成から十五年、いまや六本木の象徴として市街の真ん中に君臨する『タイムズスクエア』の街区内は、目映(まばゆ)いほどのクリスマスイルミネーションに彩られて鮮やかだ。赤や緑、それに金のあふれる世界のなかを、こうして目的を持って歩く日が来るだなんて、一ヶ月前のおれに想像することはできなかった。空を見ないように、華やかな地上を見ないように、あの頃はいつも足元を睨みながら歩いていたっけ。

「最近どんどん変わってくよね、盛岡」

 急に浜崎がそんなことを言い出した。

「そうかな」

「そうだよ。自分じゃ気付かない?」

 本当のところを言えば、気付いている。自信が持てなくて黙っていると、浜崎は後ろ手に握った(かばん)をぐるんと振り回した。

「前の盛岡だったら私に話しかけたり、秀哉と仲良くしたりしなかったでしょ。CORDELⅰAのこと知ってたって、私たちと関わろうなんて考えなかったんじゃない?」

「あっ、あれは……。つい口をついちゃっただけだよ」

「歌が口をついちゃう程度には、(つぐ)んでた口が(ゆる)んできてるってことだと思うけどな」

 一理ある見解だった。[ゆう]と話していて他者との距離の作り方、測り方を学んだことが、警戒する心を解きほぐしてくれたから、おれはあの日〈セカンドガール〉を口ずさむことができたのかもしれない。

 絶対そうでしょ、と浜崎は不敵に微笑んだ。彼女の自信は底なしに思えた。

「どんな人なんだろうなぁ、盛岡がプレゼント交換しようとしてる人。盛岡みたいなのとも仲良くし続けてるんだから、きっとすごく素直で優しい人なんだろうな」

「……どうなんだろ」

「ね、本当に興味ないわけ? その子のこと」

「興味ないわけじゃないよ」

 迷いながらも答えた。「彼氏は要らないって、本人の()から聞いたんだ。だから興味を持たないようにしてるだけ」

 それに、もしも本当に彼女の正体がおれのよく知っている幼馴染みだったら、それはそれでどんな風に接したらいいのか分からない。“二十五日まで”という仲良しの期限がつけられてしまっている真意も分からない。今の段階では何も言えないし、考えられないのが実情だった。

 浜崎は空を見上げた。

「今朝の天気予報で言ってたよ。クリスマス、雪が降るらしいね」

「言ってたな。二十三日あたりから降り出すって」

「しかもけっこう積もるってよ。東京(ここ)じゃ珍しい、ホワイトクリスマスになりそう」

 おれも浜崎にならって空を見上げた。白濁した雲がビル群の向こう、スクエアタワーの指す空のいただきを隅々まで覆い尽くしていた。普段なら機嫌の悪い天気だと思って敬遠するところだけれど、今はあの暗い雲が東京(ここ)に来て初めての降雪の予兆にも感じられて、ちょっぴり好感を持つことができた。

「もしもその子のこと、内心では好いてるんなら、ちゃんと伝えておくのがいいよ。姿が見えなくなってから後悔したって遅いもん」

 朗らかに、歌うように浜崎は言った。

「ちゃんと伝えないと、そのうち融けて消えちゃうよ。雪みたいに」

「触れたら触れたで消えちゃいそうな気もするけどな、それ……」

「どっちにしたってそのうち消えるでしょ。ここは東京なんだから」

 それじゃ、告白を選ぼうが選ぶまいが結果は同じじゃないか。

 浜崎はやっぱり面白がっているだけなのだろう。得意気に先を歩く彼女の背中に投げやりな視線を放りつつ、それと同時におれは少しだけ、さりげなく心の持ち方を教えてくれた浜崎に感謝した。

 そうだよな。

 伝えたって伝えなくたって、二十五日が来れば[ゆう]との関係は切れてしまうのかもしれないんだ。

 どちらの道を選べば、おれは後悔せずに済むのだろう。答えを出すのにはもっと時間が必要だった。






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