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凍京愛徒  作者: 蒼原悠
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05





 朝の光が窓から差し込んでも睡魔は出ていかなかった。翌朝、ビル街の空っ風に巻かれながら、目をこすりこすり登校したおれを、柴井が待ち受けていた。

「なぁ、盛岡」

 おれの顔を覗き込んできた柴井は、言った。「イブって暇だろ」

「……うん」

 決めつけられても仕方ないのかもしれないが、それにしたってそんな断定口調で言わなくてもいいじゃないか。抗議の目を向けたが、柴井は特に気に留める様子もなくスマホの画面をおれに押し付けてきた。

「俺ら、イブにクリスマス会やることにしてんだ。お前も暇なら来いよな」

 おれは目を丸くした。睡魔はどこかへ吹っ飛んでいった。

 にわかには信じられなかった。このおれが、クリスマス会に? 悪い冗談か? 冷やかしか?

「お、おれが行ってもいいものなのか」

「当たり前だろ、別にメンバーに制限かけたりしてねぇよ。あ、でも女子は二、三人くらいしか参加しないから期待はすんなよな」

「そうじゃなくて……。その、おれ、柴井と浜崎くらいしか話すクラスメートいないし」

「そんなこと知ってら」

 おれの懸念など少しも念頭にないかのように柴井は笑う。

「別に俺ら、お前のことハブろうと思ってるわけじゃねーんだからさ。今から仲良くなればいいんだろ。俺とお前がそうだったみたいに」

 ……そりゃ、そうだ。

 胸のつっかえは残ったままなのに、何と言えばいいのか分からなくなった。柴井の言う通りだ、仲が良くないなら良くなればいい。そのための会にすればいいだけなのだ。そうではなくて、せっかくの楽しみの場におれみたいな根の暗い人間が加わって、楽しい空気を台無しにしてしまわないか、そのことの方をおれは心配しているのに。

「駅前の和洋バイキングのレストランでやろうって話してんだよ。『TikTak(チクタク)』って店。知ってるか?」

「いや……」

「心配すんな、オンライン地図で場所は調べられるから」

「待って」

 やっと言葉を挟むことができた。「その、言いにくいんだけどさ……。もうちょっと保留させてくれないかな。すぐには参加って決められないんだ」

 拍子抜けしたように目をしばたかせた柴井だったが、すぐに「おう」とうなずいてくれた。店の予約の都合上、期末テストの頃には確定してほしいらしい。

 それまでに決めなければ。

 せっかくのチャンスを生かすべきか、見送るべきか。

 冬色の街並みに視線を送って、柴井の前ではつけなかった溜め息を、そっと足元へ転がした。こうなると[ゆう]の投稿していた写真どころではなかった。

【あのさ】

 机の下でスマホを打ち、[ゆう]に宛てるメッセージを書き出した。

【クリスマス会に誘われたんだけど、おれ、行くべきかな。自分のせいで場の空気が悪くなったりしないか心配なんだ……】

 [ゆう]はおれと違って友好的な子だから、きっと過去にはクリスマス会に参加したことだってあるだろう。こういうときにアドバイスを求められる相手を、おれは[ゆう]の他に持っていなかった。


 その日、[ゆう]からの返信は一通も来なかった。


 来たらすぐにでも気付けるようにとサイレントモードを解除しておいたのに、午後九時を回っても、十時になっても、スマホはうんともすんとも音を発さなかった。ひととおり家事を済ませて単語帳を片手に布団にもぐったまま、いつしかおれは無言のスマホをじっと睨んでいた。

 初めは楽観視していたけれど、これだけの時間が過ぎてしまうとさすがに不安を拭えなくなってきた。一通も返信のなかった日なんて、今までのうちで初めてだった。

 何か、あったのかもしれない。

 [ゆう]の私生活を垣間見るすべのないおれには、あの子が大事を抱えていないことを祈る他に、できることは何もない。

「……もう、いいか」

 つぶやいて、解除していたサイレントモードを再び設定した。うっかり設定を忘れて、授業中に鳴り響かれたら困る。

 それから、スマホを放り出して空いた手を、頭の後ろに持っていって(あて)がった。

 クリスマス会の件、どうしようか。[ゆう]からの返信がないことには決めようがない。天井を白亜の光で縁取(ふちど)る円形の照明に目を細めながら、その光のなかに、ずっと昔に参加させてもらったクリスマスのイベントの光景を思い浮かべた。

 クリスマス会なんてものに最後に参加したのは小学生の頃だった。坂上(さかうえ)小──当時の通学先だった小学校で、教室を借りきってクリスマス会が催されたことがあって、それが最後の思い出になる。もう六年も昔の、遠い過去の出来事。しかも残っているのは実施されたという事実の記憶だけで、会の細かいことはちっとも覚えていない。

 ……あの頃は、よかったな。

 今ほど孤独に陥ることなんてなかったんだから。

 家に帰れば両親が迎えてくれたし、弟がいつでも遊び相手になってくれた。クラスの仲間たちとも、中学や高校のそれと比べれば遥かに楽しくやれていたんだ。()りが合わないとか根暗だとか、小学生のうちはそこまで意識して人付き合いをしないから。

 あの頃はもっと毎日が輝いて、希望に満ちていたのに。……物悲しい気分に背中を押されて立ち上がった。ホームシックになった時のためにと思って八丈島から卒業アルバムを持参してきていたのを思い出して、ほこりっぽい押し入れに腕を突っ込んで捜索に取りかかる。じきに、青色の表紙に彩られた小学校の卒業アルバムが、爪の伸びた指に引っ掛かった。

 一枚、一枚とページをめくるたび、懐かしい顔ぶれが脳裏を弾けては、冬空に放った花火のように漆黒の底へ落ちていった。サッカーが得意でクラスの英雄だった子のこと、いつも絵本を読みふけっていた子のこと、こっそり片想いをしていた子のこと……。

「やり直したいな」

 ぽつり、声がこぼれた。

 たった一度でいい、小学校の頃からやり直せたら。そうすれば未来の今日、柴井たちの前で惨めな思いをしなくても済む。無数の人のひしめくこの都会を、大手を振りながら生きてゆけるのに。しても仕方のない願いに身を預けて、ぼんやりとアルバムを見つめていた。




 その夜、夢を見た。


 五年前、小学校の卒業式当日の夢だった。おれもクラスのみんなも、見に来てくれた両親も、黒っぽい礼服のような格好に身を包んでいた。冬の厳しい寒さの抜けきらない三月の上旬、八丈島には季節外れの雪がちらほらと舞っていたが、体育館の中にいるおれたちがその冷気に触れることはほとんどできなかった。

 体育館は紅白幕に彩られて華やかなのに、身にまとう服の深い色だけが妙に大人っぽくて、なんだか落ち着かなかったのを覚えている。懐かしいな、そういえば雪の降る日だったんだっけ。式の終わりに全校生徒で校歌を斉唱しながら、中身だけがオトナのおれは一人、クラスメートたちのそれとは別物の感動に胸を温めていた。俗にいう明晰夢という代物のようだった。

 目元の潤いを懸命にこらえている卒業生たちの中に、ひときわ泣いている女の子がいた。左の目元に泣き黒子(ぼくろ)のある、背の低いボブカットの子だった。ぶかぶかのブレザーに()()()()()()ようだった彼女は、壇上を下りても体育館を出ても、ずっと肩を震わせながらうなだれていた。

 あんまりにも哀れだったものだから、つい声をかけてしまった。

『泣くなよ』って。

 その子は何かを答えようとしたみたいだったが、いくら口を開いても嗚咽が喉を詰まらせるばかりで、ちっとも声になっていなかった。それで仕方なく、ハンカチを貸してあげた。ぐしゃぐしゃの顔のままでいたら恥ずかしいだろう……って、たぶん、そんなようなことを考えて。

『ごめんね』

 ハンカチを顔に押し付けながら、その子は声を振り絞った。『心配、させちゃって』

 それを聞くなり、幼かった頃のおれはずいぶん恐れ知らずの行動に出た。あんまり苦しそうな声だったものだから、背中をさすってあげたのだ。無論、今のおれには女子に指先を触れることさえ叶わない。

『無理ないよ。島、出るんだもんな』

 うんといって彼女はうつむいた。『もう、ここには戻って来られなくなっちゃうんだって思うと、寂しくて……っ』

『そんなこと言うなよ。大きくなったらお金貯めてさ、そんで飛行機とか船に乗って戻ってくればいいんだよ』

『何年先になるかも分からないのに……?』

『何年先になったって、おれも、みんなも、この島で待ってるよ』

 あの子は力を込めて目を拭った。『ほんとに?』

 現実には、それから三年でおれも島を離れてしまうことになるのだけれど。もちろん当時のおれがそんな未来を予測できるはずもなく、おれは自信たっぷりの笑顔で返していた。

『ほんとだよ』

 今にして思えば、それは目の前で泣きじゃくる彼女を励ますための空元気に過ぎなかったのかもしれない。それでもあの笑顔は、女の子の背中を押すのに多少なりとも役立ってくれていた。彼女はおれの手を離れ、おれの正面に立って、泣き顔のまま笑ったのだ。

優大(ゆうた)は優しいね』

 その笑みの意味を、当時のおれは理解しなかった。幼かったからではない。こうしてオトナになってしまった今も、分からない。


 記憶が正しければ、親の転勤か何かが理由だったと思う。その子は数日後、おれたちクラスメートの家の郵便受けに一枚ずつ手書きの手紙を投函してから、本州を目指して海を渡っていった。その後の行方は誰も知らない。

 さして広くはない島の中でも、とりわけその子の家はおれの家の近所だったからよく覚えている。……幼馴染みだった彼女の名前は、赤羽(あかばね)侑莉(ゆうり)、といった。






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