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凍京愛徒  作者: 蒼原悠
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 送り主の名前(ユーザーネーム)は[ゆう]となっている。フォローした形跡のない、まったく知らない人だった。

 しばらくして目をこすってから、そのメッセージがおれのつぶやいた愚痴に対応するものであることに気付いた。おれが【友達も知り合いもいない】と叫んだのを、この人は目の当たりにしたのだ。

 既読の印がついたのを確認したのか、先方はさらに一言、文面を追加してきた。

【二十五日までの間だけでいいんです。一ヶ月間、わたしと知り合ってみませんか】

 新手の“出会い厨”というやつだろうか。どこか自分の知らないところで、こういう誘い文句が流行しているのかな。驚くと同時に怪しんでしまった。一人称からして女性のようだったが、“仲良し”というのが具体的にどんな関係を指しているのか、人間関係初心者のおれには見当もつかなかった。

【あなたは誰なんですか】

 放置しておくのも気が(とが)めて、打ち込んだ返信を送った。じきに返答は戻ってきた。

【ツイート、見てました。高校二年生なんですよね。わたしも同い年なんです】

 息が詰まりそうになった。

 現実世界ではまともに話そうとしたこともない、同い年の女の子。とっさに先行したのは嬉しさでも下心でもなくて、わけの分からない──恐怖だった。

【どうして急に?】

 聞き返した。彼女は間を空けずに返信を寄越した。

【わたしと同じ名前の響きだったので、気になって。わたしにも仲のいい人がいないんです】

 おれのアカウントの名前(ユーザーネーム)は、本名の一文字を取って[優]にしてある。確かに、同じ響きの名前だ。しかし“優”や“ゆう”なんて、街中で石を投げれば当たるほどにありふれた名前のはず。

 ……気になって、か。

 なぜか、何気ないその言い回しに違和感を覚えてしまって、おれは返信を考えあぐねた。待ちかねたように[ゆう]からのメッセージが飛んできた。

【あの、無理に仲良くしたいとは思っていないんです……。嫌だったら嫌だと言ってください。わたし、それに従います】

 その末尾にはしょんぼりと眉を下げる顔文字が張り付いて、おれの視線を嫌でもそこに引き付ける。

 おれはスマホを握りしめた。

 自分から要求しておいて、そんな突き放すような言い方をしてくれなくてもいいじゃないか。……これじゃ、脅されているようなものだった。要求を飲んで“仲良し”とやらになるか、それとも拒むか。拒んだら最後、彼女は二度とおれのアカウントに接触して来ようとはしないだろうと思った。

【“仲良し”って、具体的に何をするんですか】

 あえて直前のメッセージを無視して、尋ね返した。[ゆう]はすぐに答えた。

【お話したいんです。色んなこと、些細なこと、普通の人たちが友達同士でやっているみたいに】

【ツイート見たんですよね。おれ、普段から愚痴るばっかりですよ。話しても別に楽しくないと思いますけど……】

【わたしなんか、普段は何もつぶやいていません。それに、楽しくなかったら仲良しじゃないなんて、そんなの……寂しいです】

 心に鈍い痛みが走った。

 そりゃ、そうだ。だけど楽しくなかったら、普通は仲良しや友達になんて発展しない。[ゆう]を名乗る彼女の態度に切羽詰まったものを感じて、なぜか、それをいっそう恐ろしいと思ってしまった。

 本当はおれだって、他人のことをとやかく言える身分ではなかったのに。

【二十五日、クリスマスの日まででいいんです。期間限定の“仲良し”になりませんか】

 画面の向こうから[ゆう]は畳み掛けてきた。

 彼女の言葉を信じるなら、彼女は単に話し相手を欲しているだけなのかもしれない。気味の悪いのは変わっていなかったけれど、悲しいかな、ここで無下に断ってしまう勇気もおれにはなかった。

 どうせ、おれにだって他に仲良しはいないのだ。話を交わす余暇はうなるほど余っていたし、それに相手は女の子だし……。

 十秒ほど悩んでから、

【いいですよ】

 そう送ってしまった。[ゆう]はすぐさま、喜色満面の顔文字を送り返してきた。

【ありがとうございます! とっても嬉しいです……!】

 二十五日までと言っていたっけ。たとえ、この関係が長続きせずに途絶えてしまうような代物だとしても、この瞬間だけは画面の向こうの[ゆう]を笑顔にできた。他人と関わることを恐れ、逃げ回っているおれが、誰かの心に幸福をもたらしたんだ。それでいい、十分じゃないか。……にこやかな顔文字の笑顔を眺めていると、自然と胸の奥に納得感が落ちてきて、おれは口のなかに貯まったつばを喉へ押し込んだ。


 十二月一日、深夜十一時半。

 それまで面識のなかった[(おれ)]と[ゆう]は、まったく唐突に期限付きの“仲良し”の縁で結ばれた。




 公立高校の名前付けなんて安直なものだと思う。地下鉄麻布十番駅の至近にあるから“都立麻布十番高校”だなんて。でも、進学実績とか部活の成績を買われて学校そのものがブランド化すると、ただ地名を(あて)がっただけの校名にも何かしらの付加価値があるように錯覚してしまうから、名前というのは不思議なものだと思う。

 おれの通う都立麻布十番高校は、ここ本州側の東京では進学校の部類に扱われている。比較的学力の高い生徒たちが、電車に乗って東京のあちこちから集まってきている。明らかに学区でない場所から、わざわざ時間とお金をかけて通ってくるのだ。本州は交通機関が優れているから、自分の住む街から遠く離れている場所にも通学することができる。島の常識はここでも通用しない。住んでいる地域の学校に通うのが当たり前なのだと、おれなんか十五年間ずっと信じ込んできたというのに。

 いいな。

 生きてゆく場所を選べるっていうのは。

 自分に合った生き方を選べるっていうのは。

 選べないというのがどれほど不幸なことか、おれには痛いほどに理解できた。……中学校の頃なんかは、特に。


 休み明けの十二月三日、重たい足を引きずるようにしながら高校に向かった。別に、授業が楽しくないわけじゃない。ひとりぼっちで過ごす休み時間が楽しくないだけだった。

 教室の戸を開いて中に踏み込んでも、誰もおれのことなんか見ようとしない。

 誰も彼も、自分たちの囲う世界に入り浸りながら、時折テリトリーを監視するかのように無関係の世界の様子を視線で(うかが)っている。

 変化なし、か──。心なしか落胆したけれど、別に何かを期待していたわけでもなかったのを思い出して、席に腰かけた。そうだ、いいんだ。クラスメートたちが話しかけてくれなくたって、今は手のなかに話し相手がいる。

 スマホを覗くと返信が届いていた。

【えー! わたしはオレンジジュース好きだけどな。ちょっと酸っぱい感じがいいんだよ】

 何の話をしていたんだっけ。目の前の光景とあまりに空気感が食い違っていて、話の文脈を読み込み直すのに時間を要してしまった。

【おれ、柑橘系の味は全体的に苦手なんだ。グレープフルーツとかも苦くて好きじゃない】

【その苦味がアクセントになってて美味しいのに……】

 よほど暇を持て余しているのか、[ゆう]は一瞬で返信を寄越(よこ)してきた。

 同い年ということは、おれと同じ高校二年生か。おれみたいにクラスでも孤立しているんだろうか。見上げた窓の向こう、灰色に濁った街並みの凹凸(おうとつ)を目で追いながら、あの凹凸のどこかに[ゆう]がいるのかな、なんて考えてみた。

 こうして空いた時間にどこかの他人へ思いを馳せるなんて、おれにしては珍しい、いや……ややもすると人生で初めての営みかもしれなかった。


 休み時間、登下校の途中、家でごろごろしている時間。ひとりぼっちのおれにはスマホをいじれる時間なんて山ほどあった。その時間をおれは、ダイレクトメッセージ機能を使った[ゆう]との会話に費やした。

 まだ“仲良し”になったばかりの頃、[ゆう]は真っ先に敬語を外したいと切り出してきた。同い年なんだから遠慮する必要はない、敬語は堅苦しくて嫌い、という。“仲良し”になったとはいえ、見ず知らずの相手には違いなかったわけで、正直おれとしては外すのには抵抗があったのだけれど、[ゆう]に押しきられる形で敬語を外してしまった。……だって、いちいち何かを叶えるたび、[ゆう]が嬉しそうにかわいらしい画像や顔文字や絵文字を送ってくるから。

 そこからはもっぱら、互いの趣味や趣向の話が続いた。

【わたしは優のこと、もっと知りたいから】

 というのが[ゆう]の言い分だった。食べ物の好みから色の好み、スポーツの好み、応援しているチームや追いかけている俳優、続きの気になる映画や漫画やアニメや小説、なりたい仕事……。とにかく、どんなことであっても[ゆう]は知りたがったし、おれも[ゆう]の好みに耳を傾けた。

 [ゆう]は全体的に見て、柔らかいものに目がない様子だった。ネコとかイヌとか、もふもふと転がる毛玉みたいな存在がお気に入りで、ベッドの枕元にはぬいぐるみを常備しているのだといった。高校二年生にもなって、ぬいぐるみか……。拭い去れなかった違和感を口にしてみたら、[ゆう]は憤慨した。

【ネコさんバカにしないで! 枕元に置いとくとすっごく安心するんだから!】

【でも、ぬいぐるみはぬいぐるみだし……】

【優もやってみたらいいよ。寝るときの安心感が全然違うからっ】

 結局、言いくるめられるままにおれも枕元にぬいぐるみを設置することになってしまった。その日の帰り際、[ゆう]の勧めてくれたのと同じものが駅前のビルのショーウィンドウに飾られているのを見かけた。枕の隣に置いてみると、確かに心なしか、夢見が改善されたように感じられた。

【ねっ、いいでしょ。もふもふは寂しがり屋さんに最適だよ】

 そう言って[ゆう]は得意気に笑っていたっけ。

 慣れてくると、おれの方から[ゆう]に質問をぶつける機会も増えてきた。どこに住んでいるのか、好きな文具のブランドは何か、よく使うのは何の店か。……別に深い意味があったわけでも探りを入れようとしていたのでもなくて、ただ素朴に気になったのだった。

 互いの好きなものを知り合うようになると、それまでは薄ぼんやりとしていた相手の人格が、明確な輪郭を刻んで“人”の姿に変わってゆく。あれが好きならこれも好きかな、それは苦手だろうな。そんな具合に推測を立てられるようになる。その感覚が楽しくて、もっと知りたいという欲が芽生える。やっぱりそれもおれには初めての経験だった。

【なんでも聞いてくれたまえ】

 何かを問いかけると、[ゆう]は決まってずいぶん尊大な、しかし愉快そうな態度ですぐに返信を打ってくれた。

 唯一、しなかった話があるとすれば、それは学校での話だった。あまり交友関係の豊かな普通の学校生活を送っていないという引け目が互いにあったからか、おれも[ゆう]も学校のことを話題にしようとしたことはなかった。そんな、不愉快な現実に繋がるような話題をわざわざ摘み取らなくても、気楽な話題は他にいくらでも転がっていた。


 [ゆう]と“仲良し”になったからといって、おれを取り巻く孤独の世界が変化したわけではない。ふと我に返った時、そこに友達や恋人がいないという事実に変わりはない。教室の風景も変わらないし、窓から眺める街並みも変わらない。

 きっと変化したのは、おれと[ゆう]の関係だけなんだ。

 その優越感にも似た感覚が、いつしか少しずつ楽しくなって、気づけばおれは空き時間が生まれるたびにスマホに目を落とし、[ゆう]の姿を探すようになっていた。






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