Loop5 誤った選択肢
息が苦しい、眼の奥が熱い、手足がしびれてきた。鬱蒼と茂った森の中、木の枝や草に引っかかりボロボロになったスーツを着て走り続ける。
深々と斬りつけられた右腕は不思議と痛まなかった。ただ、生暖かい俺の血液が肌を沿って止めどなく流れ落ちる。そしてそれに反して体の芯は徐々に冷たくなっていくのがわかった。
死の恐怖が俺の頭の中を支配し、血だらけの腕を引きずりながら必死で走る。陽の光をも届かないような深
い森の暗闇は、迫り来る自分の死を刻一刻と予感させた。
「☓○※☓○※☓○※!」
深い森の中、野太い男達の声が響いてきた。気味の悪い動物の鳴き声があたりをに響き、心臓が跳ねるように鼓動した。
やつら、やっぱり追ってきやがった。思考がまどろんでいくのがわかったが、恐怖が俺の足を必死に動かした。
手足の先の感覚がなくなり、頭が徐々に重く感じる。体の芯が冷たくなっていき、視界が暗くなっていく。
どうして、どうしてこんなことになった!!
死にたくない。
死にたくない!
死にたくない!!
突然足がもつれ、うつ伏せに倒れこんだ。起き上がろうとしてもどうしても力が出ない。地面は泥まみれで冷たかったが、徐々に暖かくなっていく。右腕から流れ出る血液が血だまりを作りほんのりと温かい。ただ手足の先から冷たくなっていくのがわかった。
顔は泥に半分突っ込んでいるがほんの少しも動かせない、視界が次第に暗くなっていく。
寒い……怖い……これが……これが『死』……。
そこで俺の意識は途絶えた。
「やぁ、どうだった?」
『あの男』の声で気がつくと、例の白い世界でうつ伏せに横たわっていた。さっき森の中で倒れた姿勢のままだった。
体に力が入る、難なく起き上がることが出来た。自分の体を確かめると傷ひとつ無いスーツ姿だった。斬られたはずの右腕をスーツの上から触ったが痛みも無い。
男は興奮を隠し切れない様子で俺を見つめている。
「あの世界へ飛ばされてから時間にして約22時間、内容は『無』に等しかったね。見せ場はあの盗賊達をあとちょっとで騙せそうだったところかな」
そう言うと甲高い声で笑った。まるで新しいおもちゃで遊びだした子供のように。残酷な笑い声だった。
恐怖で足が震える。
「さぁ、もう一回いこうか。準備はいいかい?」
男はもう待ちきれないと言った風に残酷な笑みをたたえながら俺に近づいてきた。
「ちょ、ちょっと待って、もう勘弁してくれ……下さい……。おねがいします……」
自分でも情けない声だと思った。ただあんな思いを何度も繰り返さないと行けないと思うと気が狂いそうだった。
「ちなみに次も、さっきと『同じ時間』に『同じ場所』へ行ってもらうよ」
男は俺を完全に無視しながら続けた。
「コンセプトが決まったんだ。「ゲームブック」だよ。君は知ってるかな?」
「あの……」
「ゲームブックは普通の小説とは違って、読者が選択肢を選べるんだ。例えばAという選択肢を選ぶなら「〜ページへ」という風にね。間違えた選択肢を選んだらゲームオーバー、1ページ目に戻る」
「最初に僕はあの平原に君を飛ばしたね。あそこを起点、1ページ目にしよう。それからの選択肢は君が決めるんだ、選択肢の数は無限大だね。いやぁ楽しみだ」
「あの……おねがいします……」
俺を無視する男に大して無様に土下座をする。もう勘弁してくれ。
「さっき君は間違った選択肢を選んだみたいだ。そもそもあの世界へ行った時点で移動を開始していたら?夜の間にあの場を離れていたら?その分違うルートがあるんだよ!全部確かめたくてたまらないね」
涙が出てきた、助けてくれ。誰か助けてくれ。
「だずげてくだざい……もうゆ゛る゛じで……」
「あぁ、そういうのはいいから、それで――」
涙を流しながら惨めに土下座をする俺に対して、興味なさげな目を向けて話を始めた瞬間、強い殺意が湧き上がった。人をとことんコケにしやがって、『あいつ』の記憶が蘇った。殺してやる……ぶっ殺してやる!!
『あいつ』と同じように……!!
「おああああああああぁあぁあ!!!!!」
俺は勢い良く男に跳びかかった。男はまったく抵抗しなかった。馬乗りになって男の首に手をかける。
「いいねぇ、これは僕も予想してなかった。君は本当に僕を楽しませてくれる。」
人を小馬鹿にしたような表情で男がそういった瞬間、頭の中で何かがちぎれる音がした。全力を込めて男の首を締める。
「死ねええええええぇぇぇええ!!!!!」
男は笑顔のまま抵抗しなかった。ただ時折嗚咽のようなうめき声を上げるだけだった。
俺はもてる全力で首を締め続ける。男の顔色が紫色から白に変わり、口から泡を吹き出した。
俺はゆっくりと手を離す。
死んだ……?死んだのか?
「いや、死んでないよ」
後ろから男の声が聞こえて思わず振り返る、そこには無傷の男が相変わらず嫌な微笑をたたえてこちらを見ている。
ただ見返すと、俺は男の死体の上に馬乗りになっている。
「それはあくまで便宜上の姿だからねぇ。前にも言っただろう?僕は人間じゃなくて概念だって。概念に死は無いよ。」
「それ、君がいま生命活動を停止させたのは僕が作った仮の肉体、まぁ要するにただの操り人形みたいなものさ」
全身から力が抜ける。やっぱり、終わりは無いのか。俺は、俺はこれからどうなるんだ……
「いやぁ、人間の『死』というものを初めて体験したよ。僕は『死』がどういうものか知っているだけだからね。なかなか新鮮だった。あの感覚が『苦痛』なんだねぇ」
男はクスクスと笑い出した。
「やっぱり君を選んで正解だった。僕はやはり『変わり始めている』。それが『歪』なのか『必然』なのか、それはわからない。ただ今までの僕がどれだけ空虚だったのか思い知らされるよ。」
「――まるで君と同じだね。」
男は親しみを込めたような目で俺を見た。
「さて、無駄話はおしまいだ。次を始めよう。」
あたりに轟音が響きだした。空間にヒビが入り、地面が揺れる。
またか、また始まるのか……。
もはや抵抗する気も起きなかった。力なくうなだれていると、地面が崩れ暗闇へとただ落ちていく。
そして俺の意識は再び途絶えた。