Loop2 覚悟とは簡単には決められない
わけのわからない場所でわけのわからない男からわけのわからないことを言われた。
俺の今の状況を説明するとそういう感じだ。俺が死んだって?じゃあ今の俺はなんなんだ?
「聞いてるかい?」
呆けている俺に向かって、男は微笑んだままそう言った。
「あんた、何言ってるんだ?俺が死んだ?」
男はフッと笑うと語り始めた。
「君も薄々きづいているんじゃないかい?僕は人間じゃないし、ここが君の生きていた世界ではないってことは」
「もう一度言おう、君は死んだ。死因は心臓発作だ。あれだけの激務をこなし、毎日のように高濃度のアルコールを摂取してろくに睡眠もとってないんだ、死なないほうがおかしい」
心臓の鼓動が早くなる、喉がからからだ、手足の先が嫌にしびれてきた。
「あんな悪徳企業に務めていたらアルコールで逃避したくなるのもわかる。でもね、いくらなんでも酒に逃げすぎだよ。おまけに酒を飲む時間のために睡眠時間を削るなんて」
何でそんなことを知っているんだ?
「ただ、君にも非がある。君は中学生の時に同級生を殺して少年院に入ったね?その後も決してそれ反省することなく、何も努力することなく君は生きてきた」
何なんだこいつは?
「全て人のせいにして、全てから逃げ続けた」
やめろ
「殻にとじこもって、自分で考えることをやめて、人に従うまま働き、なかば眠ったような毎日を送り続けた」
やめろ!
「そして死んだ」
「やめろ!!」
思わず立ち上がって怒鳴ってしまったが、必死で心を鎮める。バカバカしい、こんなバカバカしい話があるわけがない。
こいつはきっと頭のおかしい奴なんだ。ただの頭のおかしいやつなんだ。俺のことだって調べようと思えば金さえ払えばいくらでも調べられる。きっとそうだ。
「くだらない冗談はやめてくれ、俺が死んだって、じゃああんたは何なんだ?悪魔か?天使か?バカバカしい!」
平静を装ったが、どうしても声が震えてしまう。
「僕が『何』なのか、ねぇ……僕は記録だよ、すべてのね。名前はないけど人間からはこう呼ばれることもある」
「『アカシックレコード』とね。」
アカシックレコード――昔オカルトサイトか何かで見たことがある。それは「元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶」というもので、例えるならば果てのない図書館のようなものだと。そこにはすべての記録が保管されているらしい。
「僕は人間じゃない、それはもう君も気づいているだろう?僕は人間の言葉で言うと「記録」という概念そのものかな。「全知」と言い換えてもいいかもしれないね」
男はじっと俺の瞳を見つめた。すべてを見透かしているような、そんな瞳だった。
男の話はあまりに突拍子もない話だったが、もう俺には否定できなかった。その口調も佇まいも表情も到底嘘を付いているようには見えなかったからだ。
そしてこの現実離れした空間、明らかに人間ではない男、到底夢や幻覚にも思えなかった。
そして、この男は俺のことを知っている。みじめで腐った俺のすべてを。それがわかってしまった。
「なぁ、本当に俺は死んだのか……?」
「ああ、君は死んだ。葬儀は家族だけで行われた。君の両親と兄弟は涙を流していたよ。行き違いはあったようだが君がとても愛されていたのは間違いない。なんせ僕は全て知っているからね」
真実にしか思えなかった。
俺は突然、足に力が入らなくなってストンと椅子にすわりこんだ。
「マジかよ……俺、死んだのかよ……」
頭の中がぐちゃぐちゃしている。俺が死んだ?本当に?あのゴミ共が俺が死んで涙を流している?俺がどれだけ助けを求めても何もしてくれなかったあのカス共が?ゴミのような世の中で必死に働いた俺が死んだ?なにも報われもせず?
友達も彼女も信頼できる家族すらいない寂しい世界で俺は必死に生きてきたんだ……たった一人で……。
どれだけこうやっていたんだろうか、抜け殻のようにうなだれていたが、ふと前を向くと男は相変わらず微笑をたたえたまま、こちらを見つめていた。
「なぁ……何で俺はここにいるんだ?」
「もう大丈夫かい?時間はたっぷりある、それこそ無限にね。ここは時間の流れの外に作ったんだ。君の心が落ち着くまではいくらでも待つよ」
まだ頭の整理はついてはいないが、それよりも「なぜ」俺が「ここ」にいるのかがまず知りたい。
「いや……知りたい。俺は死んだんだろ?死んだ人間はみんなあんたの所にいくのか?」
男は微笑をやめ、真剣な顔をして話しだした。
「いや、今回はかなり特異なケースだよ。僕はあくまで記録だからね。君が死んだ時点で本来なら「君という物語」は「完」とか「Fin」なんだ。本で言うと最後のページだね」
「言ってることはまぁ何となくわかる、だったら余計おかしいだろ?俺が死んだら――俺は今幽霊なのかな、それがなんであんたの前にいるんだ?」
男は関心するようにうなずいた。
「驚いたね、なかなかどうして君は聡明なようだ。こんな気持ちが高ぶるのは初めてだよ」
男はしきりに頷くと続けた。
「君の言うとおり、本来なら君がここにいることはありえない。本来なら君が死んだ時点で君は終わり。僕も君の人生と、その最期が自宅で死亡したということを知って終わりさ。君のその後のことはわからない。だから――」
「ちょっと待て。『わからない』ってなんだよ?あんた「全知」なんだろ?いきなり矛盾してるぞ」
思わず男の言葉を遮ると、男はくすくすと笑い出した。
「良い質問だね」
男は高ぶる気持ちを抑えきれないようだったが、冷静な声で続けた。
「僕は確かに「全知」と言っても良いかもしれない。でも、それはあくまで『僕の領域内』の話なんだ」
「人は死ぬと『魂』、いわゆるその人間を形作る情報の塊が肉体から離れる。そこまでが僕の知っている範囲で、そこから魂、情報がどこに行くのかは僕にもわからないんだよ。それを知っているのはきっと『神』と呼ばれる存在なんだろうね。行き先は天国か地獄かどこか、僕にはそれが存在するのかもわからないけどね」
『魂』とか『神』とかなんとも突拍子もない話だったが、不思議と納得してしまった。
「じゃあ俺が今ここにいるのは、俺が死んで俺の魂?情報がどっかに行こうとしてるのをあんたが無理やりつかまえた、ってことか?」
「理解が早くて助かるよ。おおむねそんな感じだね」
なんとなく理解はできたがまだ解せない点は多い。
「聞きたいことはたくさんあるが、まず知りたいのはあんたの目的だ。俺――俺の魂かな?それをつかまえて何がしたい?」
「さっきも言ったと思うけど、僕はずっと読者だった。物語の読み手だったんだ、そして作者になりたいという欲求が生まれた。でも僕は作者には絶対になれないんだよ。創造とは想像だからね、それを行うには僕はあまりに多くを知りすぎている。ただ、介入はできる。事実君を呼んだことでそれは証明された」
「言ってる意味がよくわからねぇな……。」
俺がそう言うと、男は手を口元にあてて考えるような仕草をとった。
「『君の物語』はまだ終わっていないということさ。『僕』という介入者がいるからね。君がここに来た時から『君の物語』は『君と僕の物語』になったんだ。本で言うと共同著書ってやつさ」
「早い話俺の人生にあんたがテコ入れして、どうなるか楽しむってことか?」
「ま、そういうことだね」
男は満面の笑みでそういった。わかりやすく言えば人をおもちゃにしようってことだ。不愉快極まりなかったが、まだ聞きたいことはあった。
「で?具体的にはどうテコ入れするんだ?とりあえず生き返らせてでもくれんのか?そうすりゃ『あんたが生き返らせたあとの俺の人生』ってのが楽しめるんじゃないのか」
男は感服したように目を閉じると深く頷いた。
「君は本当に聡明だ、自分が置かれている状況を理解している」
不愉快だったが、今までの人生、そんな風にほめられたことのなかった分嬉しい感情もあった。正直な所もう投げやりな気持ちが大半を占めていた。
俺は死んだんだ、あとはどうにでもなれという気持ちだった。
「確かに君を生き返らせる――厳密には違うんだがそれもアリさ。ただ、それはそんなに面白そうに感じないんだよね。なによりも、まず確認しないといけないことがある」
男は柔和な笑顔から一転、真剣な眼差しで俺をじっと見つめた。
「君、覚悟はあるかい?」
男は低く響く声でそう言った。さっきまでの人間味のある声とはまるで違う、ひどく無機質な声だった。
「さっきも言ったが、君をここに連れてきたの僕の『欲求』だ。概念そのものの『僕』が欲求をもつ事自体、かなりおかしな状況なんだよ。ここから何が起こるのか、僕にはまったく予想すらつかない」
「わかるかい?それは同時に「全知」の僕ですら知らないような想像を絶する苦痛や罰がまっているかもしれないということだ」
背筋に冷たいものが走った。男の言うことが到底比喩にも思えなかった。というか勝手に連れてきたのはお前だろうという気持ちが最も強かったが。
「仮に俺が覚悟はないといったらどうする?」
「その時は君をこのまま手放すだけさ、君のそこから先はまさしく『神のみぞ知る』だね」
随分と勝手な話だ。ただどうせこうやってここにいるのもおまけの人生だ、どっちに転んでも同じ『わからない』なら、この男にかけてみるのもアリだ。
そもそもずっとろくな人生を送ってなかった。思い出は辛いことばっかりだ。せめて、せめて何か一つだけでも報われたい。俺という人生に一つでも得るものが欲しい。
このチャンスを逃したら、「俺」という存在すらなくなるかもしれないんだ。なんせ「全知」すらわからないっていうんだからな。
「いいさ、あんたに賭けてみるよ。どうせ糞みたいな人生だったんだ、こっからテコ入れされたら少しでも幸せになれるかもしれねぇ。今より悪くなる可能性のほうが少ないだろ」
「いいのかい?」
男は少し驚いたような顔をするとそう言った。
「ああ、覚悟を決めた。あんたを楽しませてやるよ」
男は少しの間じっと俺を見つめると、表情を崩してうなずいた。
「あ、ちょっと待て。もうひとつ聞きたいことがある」
「なんだい?」
「なんで『俺』なんだ?なんで『俺』をあんたは選んだんだ?」
男はフッと笑うと俺の目を見ながら答えた。
「それは君の人生が僕の見てきた人生の中で最も『無意味』だったからだよ。つまらなくもない、当然おもしろくもない。まるで白紙に近い薄っぺらい本を読んだようだった」
それを聞いた瞬間一瞬かっとなったが、それは俺自身が一番感じていることだった。
「だから今から意味をもたせよう。一緒にね」
その笑顔は美しく見えたが、同時に酷く冷たく、恐ろしくも見えた。