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 私と美保は喫茶店を出て、駅に向かって川沿いの道を歩く。春は桜、秋はイチョウが色づく並木道は、冬の季節は寂しげに針金のような細い枝を広げているだけだった。


「あのときは美保に絵以外の特技があるなんて驚いたよ」


 先ほどコンビニで買ったレモンのフレーバーウォーターに口をつけながら、美保は笑う。


「特技ってほどでもないけど」


 結果は確か桜庭先輩は二百点超えと圧倒的だった。美保は後半調子を落としたものの、百点台後半。それに秋彦が続き、私はというと五十点にも届かないという悲惨さだった。

「なんかよく分からないけどごめん」と桜庭先輩に頭を下げる秋彦を微笑ましい気持ちで眺めたのをよく覚えている。


「私は仮に北島さんに謝られても、許したいって気持ちにはなれないと思う」


 美保の頭の中にも、二人の仲直りが思い浮かんでいたのだろう。


「君と北島さんと、あの二人の関係はまったく違うものだよ」

「分かってる。でも、例えばの話でそう思っただけ」


 美保は瞳に暗い影が落ちる。


「千歳は何歳くらいまでサンタクロースを信じてた?」

「どうだろう。初めからいないって思ってたかもしれない」


 幼い私は周りの大人をがっかりさせないように、無邪気に信じているふりをしていたような記憶がある。


「私は小学六年生まで信じてた」


 彼女は恥ずかしそうに笑う。


「でも、今では分かるよ。サンタさんはいない。いじめっ子は悪いことをしていると少しも思ってない」

「少しくらい思っているかもしれない」

「信じるだけ無駄だよ」


 美保は冷めた口調で言う。


「でも、あのときそう分かっていても、私はやっぱり傷ついたと思う。だから、少しも気にしない千歳をすごいと思った。無敵に見えた」

「だから、君は私を身代わりにしたの?」


 美保は私の方を向く。いたずらがばれてしまった幼い子供のように小さく舌を出した。


「やっぱり気づいてたのね」

「一応ね」

「いつから?」

「サッカーの試合のとき、覚えてる?」


 私は美保に聞いた。彼女は小さくうなずく。



 試合といっても公式のものではない。サッカー部で行われた、卒業する三年生と一、二年生の交流戦だ。それでも桜庭利雄の最後の勇姿を見ようとたくさんの応援、主に女子生徒が集まった。私と美保もその観戦をした。

 女子生徒たちは黄色い声を上げながら、「あれが桜庭利雄のカノジョ?」と敵意のこもった視線を私に容赦なく向けた。それに気づかないふりをしながら試合を眺めた。サッカーのことは、「ボールがゴールに入ったら一点」ということくらいしか分からない。必然的に私は桜庭利雄の姿を追うことだけを努力した。

 私に跳び蹴りをされて泣いていた男の子の面影はどこにもなかった。激しいタックルをものともせず、ボールを器用に動かしてひらりとかわす。桜庭利雄が走り出すと、一、二年生チームの誰も追いつけない。彼がシュートを放つと、ボールは吸い込まれるようにゴールの中へ入っていた。

 桜庭先輩がこちらに向かってガッツポーズをする。けれど、彼は照れたようですぐに上げた両手を下ろして所在なさげにぷらぷらとさせた。私はその様子を見て笑う。


「桜庭先輩は何をしても絵になる。格好いいとはああいう人のことを言うのだろうね」

「え……あ、そうだね」


 美保は顔を朱色に染めていた。その顔を隠すように前髪を両手で触った。

 そのときアイスティにガムシロップが溶けるように、頭の中で納得が広がったのだ。「そういうことか」と。桜庭先輩が私と嘘の恋人になったのは、そういうことなのか。

 それ裏付けるものが頭にいくつも過ぎる。同じ日に「好きな人」について聞かれたこと。ぎこちない自己紹介のこと。レモンのフレーバーウォーターのこと。ボウリングのこと。

 二人はときどき人目を盗んで出かけていたのではないだろうか。例えば、わざわざ県境を越えて隣町のボウリング場まで。噂になっていた「隣町で女の子」とは美保のことではないだろうか。だから、桜庭先輩は美保の好みの飲み物を知っていた。

 あのガッツポーズは成瀬千歳に向けられたものではない。あの場でそれに気づいたのは私たちだけだろう。



「でも、あのときまで全然気づかなかったよ。君と桜庭先輩が仲良かったなんて」

「頑張って隠していたから」


 二人が仲良くなったのは、夏休み前のことだったという。


「放課後、図書室で漫画を書いてたら、利雄さんが読ませてって言ってきて。それから仲良くなったの。勘違いしないように私は気をつけていたけど、彼の方が勘違いしてしまった」


 美保は弱々しく笑った。


「正直なところうれしかったよ。でも、ようやく収まってきたのに、またいじめられたくないって思って……」


 桜庭利雄のような「憧れの存在」と恋人関係になったとしても、自分の『人間偏差値』が変わるわけではない。私たちはそれをよく理解していた。私たちは「恋バナ」をすることはおろか、聞き耳を立てることも許されない『偏差値三十五』なのだ。


「だから、千歳を身代わりにしようって思ったの。あのときの私に、千歳は無敵に見えたよ。だから大丈夫だって。正直、今も少しそう思う」

「前にも言ったけど、全然そんなことないよ」


 それは過大評価というものだ。私だって傷はつく。ボウリングの玉で殴れば死ぬ。


「どうして気づいたときに言わなかったの?」

「まだ君と友達でいたかったからね」

「え?」

「気づいているって言ったら、君はそれをすごく気にしただろうから。気にしなくてもいいことを気にするのは君の得意技だ」

「そんな……」


 牛乳瓶の向こうの目に涙が浮かんだ。彼女はそれを隠すように私から視線を切って、「千歳は本当に馬鹿よね」と呆れたように言った。

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