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私たちの地元はお世辞にも発展した街とは言えない。ボウリング場は駅前に一軒あるだけだ。他の場所となると県境を跨いだ隣町まで行かなければない。だから、日曜日の日中に足を運べば見知った顔の一つや二つ合ってもおかしくはない。
「あら」
「あらら」
ボウリング場には北島さん他男女数名の『偏差値六十』たちの姿があった。クラスでよく見る顔ぶれだ。仲良しグループで遊びに来ているのかもしれない。
「ご機嫌よう成瀬さん。今日も一段と酷い顔と髪ね」
「こんにちは北島さん。ボウリングなんてして大丈夫? そんなマネキンみたいな細腕でボールを投げたら手首折れてしまうよ」
アハハウフフとにこやかな会話をしていると、「君たちは仲がいいなあ」と桜庭先輩はのんきなコメントをしていた。先ほどまで一緒にいた美保の姿がない。小動物的本能で危険を察知して逃げたのだろう。
学校であればもう少し嫌味は続いたかもしれないが、こちらには桜庭利雄がいる。北島さんたちは「さよなら」も言わずに私から視線を切った。
割り振られたレーンのところに荷物を置く。
「飲み物買ってくるけど何がいい?」
桜庭先輩が気を利かせてくれた。秋彦は「炭酸なら何でも」とぶっきらぼうに言う。
「千歳は?」
「私は紅茶で」
桜庭先輩は「オーケー」と立ち去った。それと入れ違うようにして美保が戻ってくる。柱の陰に隠れていたらしい。
「ほんと災難」
彼女は顔をしかめて「だから休日は外に出たくないのに」とぼやいた。
「まあまあ。せっかくだし楽しもう」
私は美保の手を引いてボールを選びに行く。秋彦は荷物を見張るため、その場に残らせた。
金属製の棚に並ぶ鮮やかな色のボールは巨大な飴玉のようだった。空色のボールを穴に指を通して持ち上げる。爽やかな見た目に反して重量感がすさまじく、少しよろける。咄嗟に両手で持ち直す。美保が心配そうな目で私を見ていた。
「大丈夫?」
「ちょっとひやっとしたかな」
「そうじゃなくて、北原さんたちのことよ。千歳、いじめられてないかなって……」
「ああ」
頭をかく。そんな心配されていたと思うとどうにも気恥ずかしかった。
「腹は立つしうっとうしいと思うよ。でも、子犬がじゃれ合っているみたいなものだ」
「千歳は強い」
美保は暗い顔をしていた。
「どうして?」
「私はそうは思えなかったもの」
「感じ方は人それぞれだよ」
私はボールを選ぶふりをしながら、彼女を励ます言葉を探す。兄たちにつられて、美保まで暗い気持ちにはなって欲しくなかっった。
レーンの方を見るとすでに桜庭先輩が戻っていた。そういえば、美保の飲み物は大丈夫だろうか。彼女は炭酸飲料は苦手で、カフェインは体質的にだめなのだ。
桜庭先輩と秋彦は何とも言えない距離感でお互いを牽制しながら、何かを話していた。しばらく放っておいても良いだろうか。
「美保、アンケートのこと覚えてる?」
「忘れるはずがないよ」
まだ一年生になったばかりの春のことだ。中学校進学に合わせてスマホを買ってもらう子は多い。私のクラスのほとんどはスマホを持っていた。新しくスマホを手に入れた十代の九十九パーセントがチャットアプリの「ライン」を入れる。実際、クラスで「ライン」をインストールしていなかったのは兄のことがあって敬遠していた私だけだった。
クラスメイトたちはお互いを『友達登録』し、クラス専用のグループが作られた。あるとき、そのグループでこんなアンケートが行われたらしい。
『もし、鈴鹿美保のような顔だったら自殺しますか?』
それから、美保は私以外のクラスメイトを敵視するようになった。「敵視」といっても、『偏差値三十五』の彼女ができるのは牙を剥くことではなく、教室の隅で小さくなって震えることだった。
「忘れるのは無理だろうね」
私は小学生でも軽々持てそうな六ポンドのボールを選ぶ。
「そんなんじゃピンに当たっても弾かれてしまう」と美保が言うので、「それくらいが私にはちょうどいいんだ」と微笑む。
「忘れるのは無理でも、気にしない努力はした方がいいよ」
「簡単に言ってくれる」
「もしかすると、美保は重く考えすぎなのかもしれない」
私は口笛を吹くような口調を心がけた。
「『いじめている側』はそんなに難しく考えていないよ。兄をいじめた人もそうだった」
当時の私は探偵小説にはまっていた。主人公の探偵が難解な事件を格好良く解決する姿に憧れた。彼は「すべての謎には必ず答えがある」と事件の度に繰り返した。私も兄のいじめの真相を知りたかった。だから、「聞き込み調査」を行ったのだ。
「ほとんどの人が『あの程度で傷つくなんて思わなかった』って笑ってたよ。兄のことをすっかり忘れていた人もいた」
私は名探偵ではないから、兄のいじめの真相は分からなかった。調べるだけ無駄なのだろうし、考えるだけ意味がないのかもしれない。きっと私が納得できる答えはない。それが答えとも言える。
「それに私は強くない。美保みたいに絵が上手いわけでもない。桜庭先輩みたいにスターではないし、秋彦みたいに友達が多かったわけでもない。失うものがないから、少し無敵なだけだよ」
美保は曖昧に笑った。
「そういう無敵はうらやましくない」
美保が選んだのは十ポンドの玉だった。彼女は三本の指でボールをひょいと持ち上げる。
レーンのところに戻ると秋彦と桜庭先輩が「遅いよ」と私たちに文句を言った。
「何を急いでいるのさ」
「これから勝負をするんだ」
秋彦が言うと桜庭先輩がうなずた。
「俺と利雄が勝負して負けた方が謝る」
「何を?」
私は首を傾げた。さっき「誰かが悪いわけではない」といじけていたのは秋彦ではないか。
「それはまだ決めてない」
桜庭先輩は笑いながら言う。
「まあ、秋彦が俺に何も相談しなかったのは、悪いと言えば悪い。友情の裏切りだ」
「悪いとは思ってないけどな」
「俺だって本当のところ、悪いと思ってるわけじゃない」
それを言ったら元も子もないのではないか。そう思ったが秋彦は「だよな」と笑顔でうなずいた。
「要するに、けじめだ」
「だな」
もう二年も前のできごとなのだ。終わった過去のことを謝るには賞味期限が過ぎている。「ボウリングで決着」というのは馬鹿らしいけど、ちょうどいいのかもしれない。来年からは二人とも高校生だ。
桜庭先輩から紅茶のペットボトルを受け取る。美保に渡されたのはレモンのフレーバーウォーターだった。「おや?」と思ったが、秋彦が「早く始めようぜ」と急かすのでその疑問を飲み込む。一番手は私だった。
私の投げたこのボウリング場で最も軽いボールは、二回ともレーンの中腹ほどで溝に落ちるという目も当てられない結果だった。
「ピッチャーびびってるよォ!」
意味不明なヤジを飛ばす秋彦のすねを蹴る。それが効いたのか、秋彦は両端のピンを弾くだけに留まった。桜庭先輩は危なげのないスペア。こちらに戻ってきながら、桜庭先輩は両手を上げる秋彦は苦々しい顔でサイダーに口をつけていた。
驚いたことに美保はストライクだった。彼女は胸の前で恥ずかしそうに小さくガッツポーズをした。




