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留置所 ABC

作者: nbt234

A室


老人は怒っていた。怒るだけの理由があった。

30年ぶりにぶち込まれた留置所は、驚くほど昔と変わっていなかった。

3畳はんの畳が敷いてあるだけの牢屋。この3畳はんというのは、間違えない数字だ。

なぜなら老人はかって、この畳の数を何千回も数えたからだ。

ようするに時間はたっぷりあった。そのほかのものはほとんどなにもなかった。

しばらくすると、新入りが同じ部屋に連れてこられた。また20くらいのガキだ。

薬中だろうか。左のうでは注射跡で青じみや黄色じみができていた。

若者は部屋に入れられるなりうずくまった。

老人は大丈夫か、と言って肩に手を置いた。

若者はその手を握り締め、額にあてた。若者の手はねっちょりとした汗をかいていたが、冷たかった。

やがて若者は手を離し、起き上がり狭い牢屋内をぐるぐる回り始めた。一心不乱に。ネジでもまくように。

留置係の警官が部屋の前にきた。

大丈夫か?

若者は答える代わりに、牢屋の柵に自分の頭を思い切り打ち付けた。

おい、やめろ!留置係が叫んだが若者は聞こえていないようだった。何度も同じ動作をした。だんだんとエスカレートするのがわかった。

留置係は無線で応援をよび、5秒後におびたたしい数の警官が留置所に流れ込んできた。

あっという間に若者は拘束具を着せられ、奥の保護室にぶち込まれた。

保護室っていうのはフカフカの壁に囲まれた金庫だ。監視カメラ付きの。

コトが済むとあっという間に警官の群れはいなくなり、留置係だけが残った。

若者はときおり、猿ぐつわの隙間から苦しそうな雄叫びをあげた。その声は保護室から微かにもれ、耳をすませると確かに聞こえた。

老人はその声が耳にへばりつき、なかなか寝られなかった。

夜中にふと、目を覚ました。自分の叫び声で目を覚ましたと思った。だがその声は若者の声だった。

翌朝、老人は裁判所送致だった。

久しぶりの太陽も外の景色も、老人の怒りを静めることはできなかった。

裁判官は初老のメガネをかけた線の細い男だった。

席につくなり老人は怒りを爆発させた。

「おまえらは死神だ!澄ました顔しやがって!残酷な人殺しだ!おれも殺してみろ!おれはお前らなんて怖くないぞ!」


B室


朝の運動の時間は老人の話でもちきりだった。

「いくらなんでも、裁判官にタンカきったらいかんよ。量刑重くなるだけだから。裁判官はそれができるからね。検事にタンカ切るならわかるけど。」

中年の男は饒舌に語った。

「あのお爺さん、罪名はなんだい?」

「コンビニの店員に怒鳴ったって。それで強迫って。よくこんな微罪で引っ張れてこれたよ。」

別の男が笑いながらいった。

「とすると、くらっても半年か。そんくらいならタンカも切れるな。」

「タンカ切っただけで半年なんて割に合わないぜ。普通ならこんなの不起訴処分だろ。」

男は気の毒そうにいった。

「おたくは長くなりそうかい?」

「おれは弁当もちだからな。」中年男は暗い顔になった。

「そうか、なにしたんだよ?」

「全部女関係」中年男はため息をついた。

「もうこりただろ。女の森は深いからな。迷ったやつは大勢いる。奥までいったやつはまず戻ってこん。」

「塀の中の格言だな。」中年男は答えた。

運動終了のアラームがなった。


中年男は牢屋に戻され、しばらくすると留置係が手紙を持ってきた。妻からだった。

前回の逮捕のときは、拘束されていた半年間、毎日手紙を書いてくれた妻。

もう二度と悲しませないと誓ったはずなのに、最近は喧嘩ばかりしていた妻。

絶対に戻ることのできない妻との時間。

中年男の心は張り裂けそうだった。

なぜおれはこんなに苦しまなくてはいけないんだ。妻がいるおかげで何倍も苦しいと思った。

中年男は心の底から妻を呪った。

おまえのせいでおれは堕落して、地獄の責めにあうんだ!おまえはおれを救えなかったんだ!

中年男は心のなかで妻に怒鳴った。心の中で妻はごめんねと泣きながら、中年男を抱きしめた。

中年男は叫び声をあげながら妻の首を絞めた。妻は泣きながら謝り続けていた。

これは夢ではない。中年男は涙を流しながら思った。ひとしきり、声をたてずに泣いた後、中年男は妻への手紙の返事を書いた。


C室


男はカシラと呼ばれていた。それは男が組織の中でカシラという地位にいるからだ。さすがに担当の刑事はそう呼ばなかったが、ほかのものは、敬意を込めてカシラと呼んだ。

男の稼業か牢屋にはいることだ。これは男も承知していた。

そのために、着替えのジャージやら差し入れの成人雑誌やらは段取りよく届けられ、牢屋のなかで最大限の配慮が配られていた。

よくヤクザものは刑務所を別荘という。心の準備ができ、組織のバックアップがあれば、まさにその通りなのだ。不自由に慣れることができる。慣れが余裕をうみ、余裕が敬意をうみ、敬意が利益となって組織に帰ってくる。これが男の組織のある種の構造だ。

男の組織の土台はまさに先人のこうした果てしない労苦によって築かれていた。

男の人生もそうした土台の一部になるだろう。

だが、男は最近ある妄想が頭にこびりついて離れなくなっていた。

おれが消えたら、一体どうなるだろう?とういことだ。

組織は血なまこで探すようなことはしないだろう。

しばらく身を潜めていれば、やがて誰からも忘れされれるだろう。

実際に高い地位までのぼっても消えるやつはいる。跡形もなく消息をたって、あとを汚さずにそれっきり。

○○組の××さんもそうだった。綺麗に跡形もなく完璧に消えた。

そういう人間のことを組織ではあまり話題にしない。卑怯者だとか臆病者だとかみんないうが、結局はみんな羨ましいんだ。肩書きも捨てて、うまい酒と女と永遠におさらばするようなドブ板労働者になるとしてもだ。

男は留置係を呼んで、強めの眠剤をもらった。

牢屋のなかで、男はある程度の融通がきくのだ。

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