デート2
「え……? あの……」
「申し訳ありません。初回の受付は終了いたしました。次の回でしたら席は空いております」
「えっ……その、あのぉ……」
彼女はあわてて上半身を窓口に乗りだし、今にも泣きそうな顔しながら僕と窓口の女性の顔を交互に見ていた。
「あ、あのどうにか出来ませんか……?」
やっとの思いで探し出した招待券を女性に見せた。相当焦ったのか券はクシャクシャになっていた。それを見た女性は彼女とは正反対に冷静な声で
「すでに満席となっています。次の回でしたら席は空いております」
と言った。彼女はその場で招待券を握りしめたまま何も言わず固まってしまった。
僕は仕方なく彼女の手を引いて、窓口から離れた。
「ほ、本当にごめんなさい!!!!」
ようやく落ち着きを取り戻した彼女はバスケットを抱きしめながら勢いよく頭を下げた。お尻側のスカートがめくりあがりパンツが見えそうになっていた。目に涙を浮かべた少女が男に謝っている姿を周りの家族連れやカップルが興味津々で見ている。僕は周りの視線の恥ずかしさに耐えながら
「うん、いいよ」
と言った。
先週に雑誌やゲームで散財してしまったので、チケット持ちの彼女の誘いは金欠の僕にはある意味タイミングがよかった。金の掛かる誘いだったら断っていたし、一度断ると次から次へと提案する彼女を相手にしなくてはならないので疲れる。だから一回目の僕の状態とマッチしたのは幸運だと思った。
しかし今の僕は少し不満だった。映画自体を見られなかったことはいいが、ここまで並んでおいて見られないのは何か悔しい。だからといって次の回まで二時間はある。その間、恐らく謝り続ける彼女と一緒に目的もなくこの街を彷徨うなんて耐えられなかった。もうどうせならこのまま解散しようと思った。すると彼女がスマホを握りしめながら
「あ、あの、近くにもう一つ別の映画館があります。私そっちの映画館に行ってみます!」
そう言うと、僕の返事を待たずに走り去ってしまった。一人取り残されてしまった僕を見て
「パパ、あれどうしたの?」
と家族連れの男の子が指を指しながら言うと、「ダメでしょ!」と母親が注意した。カップルもヒソヒソと何か話している。僕は別の映画館がどこにあるかわかっていなかったが、とにかくこの場を離れたかったので彼女が向かった方向へ歩き出した。
彼女に悪気がないのはわかっている。ただ空回りしているだけなのだ。
僕はスマホでもう一つの映画館を検索し、そこへ向かった。大通りを抜けて大型デパートを右に曲がりファミレスや小物を売っている雑貨屋が建ち並んでいる。そこに紛れこむように小さな映画館があった。先ほどの映画館の三分の一ほどくらいの規模で、上映している映画も少なかった。
窓口も一つしかなく、高校生のカップルは外に張り出している映画一覧を見てあれこれと話し、僕が来た道へ歩いて行った。彼女はそこに膝に手をつきながら肩で息をして少し身体を揺らしながら立っていた。僕と目が合うと彼女は小走りのような徒歩より遅いスピードでこちらに近づき
「ハァ、ハァハァ……チケット手に入りました……」
とチケットを軽く僕の胸に押しつけながら言った。それはさっきと同じタイトルで同じ上映時間のチケットだった。「ありがとう」というのも何かおかしい気がしたので、僕は黙ってそれを受け取りそのまま映画館に入り映画を見た。
内容はハリウッドの有名な俳優と有名な監督が手がけて海外の大きな賞をいくつも受賞した、よくありがちなモノだった。おそらく十人が見て八人はそこそこ満足する代物だと思う。スタッフロールを最後まで見て二時間十分して映画館から僕たちは出た。外は相変わらず大勢のカップルや家族連れが笑顔で何か楽しそうな会話をまるで僕に聞かせるかのように話し続けていた。
僕はとりあえず人通りの少ないところへ歩き出した。
「ほ、本当にすみませんでした……」
彼女が映画を見て最初の一言目がそれだった。もううんざりというか、呆れたというかどうでもいい。ここまで思う僕が怒れない理由は、それが彼女の感想で間違いないということ。上映中も終始僕の顔色をチラチラと気にしていたので、映画の内容もほとんど頭に入ってなかったであろう。同情出来なくもないその性格を思い「いいよ別に」
と僕は言った。
「私のせいでこんなことになっちゃって……本当ならわざわざここまで来なくてもよかったのに……」
「もう大丈夫だよ」
「けどそれじゃ……あっ」
彼女が立ち止まるとそこにはお洒落な外観をした洋風のレストランがあった。店の前にはメニューの看板があり、見ているとファミレスの二倍ほどの値段が書かれていた。
「こ、ここでお昼にします……? 私が払いますので、その……」
相当焦っているのか、そもそも何に焦っているのかわからないが僕の返事を聞かずにテンパった彼女はドアノブに手をかけようとしていた。僕は慌てて彼女の手首握り制止した。「え?」と顔をした彼女に無言でバスケットを指差した。すると彼女は「あっ」と気付いた。
「ご、ごめんなさい……。せっかく佐藤くんのために用意してきたのに、忘れちゃって……」
彼女はバスケットを抱きかかえながら言う。僕達はそこを後にして、無料解放されているオープンテラスに行き、彼女の手作りの弁当を食べた。
不格好な彼女の手作り弁当を食べ終わると、彼女が見たいと言ってきたアクセサリーや小物のショップが多数ある裏通りに向かうことになった。そこは表通りとは違い若いカップルが腕を組みながら歩いていた。彼女は「ここ見ていいですか?」と僕に訪ね「いいよ」と僕が言うと、次から次へと店に入ってはネックレスや指輪をあれこれと真剣に見て周り、いいのが見つかると僕のところに来て身体に当てて「こ、これどうですか?」と聞いてきた。
僕からしたら全て同じ店で同じモノが売っているように見えるが、彼女は次の店に入るごとにまるで今までの記憶がなくなったかのように、同じような商品を手に取り目をキラキラと輝かせて夢中になっている。これが家族の買い物だったら一人抜け出して喫茶店に行くか先に帰っているところだ。その後も店を出たら次はその隣りの店へと、黙って僕はついて行った。
やっと彼女の御眼鏡に適うモノが見つかったのか「ちょっと待ってもらっていいですか?」と嬉しそうな顔しながら言いレジに向かった。僕は先に店を出て肺に溜まっていた何ともいえないモヤモヤとした濁りきった空気を吐き出し、代わりに新鮮な空気を取り込んだ。
血の巡りが良くなった僕は、もしも今日家にいたら何をしていたかを考えた。昼頃に起きて新聞のチラシを見ながら朝昼兼用のご飯を食べて、いい広告があったら見に行き、なかったら部屋で音楽をかけてスマホを片手に夕飯までベッドの上でゴロゴロとしていたことだろう。そして風呂に入り寝るまでまたゴロゴロとして就寝する。何も生産性のない休日だが、僕にとってこれが一番『疲れない』休日の過ごし方だ。何も得ることはないが、失うこともない。これが僕に最も適していると自分自身に騙し騙し語りかけた結果だった。
「お、お待たせしました」
彼女は小さな茶色の紙袋を二つ抱えながら出てきた。時計を見るとすでに五時を三十分ほど過ぎて、空もどこか寂しげな夕焼け空が広がっていた。僕はそのまま駅の方角に歩きだし、彼女も黙ってその後をついて来た。
駅前の広場には相変わらず人がごった返していた。僕は彼女に「そろそろ帰ろうか」と言うと
「あ、あの夕食でも一緒に、その……。」
と言ってきた。
「けどもう遅いし」
「は、はい。えぇ……っと、近くに美味しい店があって、それ昨日ネットで調べてて美味しそうだから佐藤くんと一緒に行きたいなぁと思って……」
だったらお弁当なんて作らず最初からお昼はそこにすればよかったんじゃないかと僕は思った。
「それにお母さんに今日は晩ご飯は外で食べて来るって言ったから、あのその……」
確かに親に外で食べて来ると言ったのに、早めに帰ったら「どうしたの?」と聞かれるのは面倒な質問だ。だからといって彼女に付き合う義理はないし、そもそも僕は親にそんなことは言ってないし関係ない。「こんなお店です」と彼女がスマホで検索したお店のホームページを見せてきたが、まるでおとぎの国から飛び出したようなゴテゴテと飾り付けたとても趣味の悪い店だった。値段も高いし行きたいと思わない。僕が無表情で無言で彼女にスマホを返すと、焦った様子で
「お、お昼はご馳走出来なかったので私が奢りますよ」
と言ってきたが「そこまでしてもらうのは悪いから」とはっきり言ってこの話しは終わりにした。
それからまたしばらく沈黙が続いた。駅前の広場には右から左から大勢の人間が現れては消えていく。同じ人間がグルグルとここを行ったり来たりしているのだろうか。そうと思えるほど人の波はいつまで経っても絶えない。
「そろそろ帰るよ」
僕が言うと、それまでモジモジとしていた彼女が茶色の小さな袋を僕に手渡し
「こ、これ今日付き合って頂いたお礼です」
と言った。それはあのとき彼女が買っていたモノだった。僕は一瞬、受け取っていいものかどうか悩んだが、さすがにそこまでするのは可哀想だろうと思い手に取った。袋はザラザラとした感触でハートのシールで止められていた。
「あ、あの開けてみてください・・・・・・」
そう言われた僕はセロハンテープを綺麗に剥がし中身を取り出した。茶色の革のブレスレットだった。
「わ、私もお揃いで買ったんです・・・・・・」
そう言って見せてきた彼女の手首には、僕が持っているモノとまったく同じモノが巻かれていた。多分店から駅に着くまでに付けたんだろうが、今の今までまったく気が付かなかった。僕は少しその演出じみたポーズになんとも言えない感情になったが
「ありがとう」
と彼女に言った。
そのまま袋に戻そうと思った僕だが、彼女の強すぎる期待の眼差しを向けられると身に付けざる得なかったので彼女とは逆手にそれを付けようとした。すると何か紙のようなモノが付いていたので剥がそうとすると、よく見るとそれは値札だった。恐らく店員が剥がし忘れたのだと思うが、運よく彼女は自分のブレスレットを弄っていてこっちを見ていなかった。僕は彼女に気付かないようにしてそれを剥がすと、そこには僕が想像していた何倍もの値段が書かれていた。僕は改めて今身につけたブレスレットを見た。縫い目はしっかりとしていて金具も安物ではない。大量生産ではなく一品モノかもしれない。こんなモノをただで、しかもこんななんでもない日に貰っていいのだろうか……?
さすがに僕も気が引いて財布を出そうとしたが、先週の散財で中身がほとんどないことを思い出した。彼女と一緒にいると何もかもが裏目に出てしまう。一見僕が彼女を振り回しているように見えるが実際は違う。僕が彼女に振り回されているのだ。僕は出しかけた財布をポケット奥深くに戻した。
その後二、三ほど会話をし僕は彼女と別れた。家に着くとすでに空は真っ暗だった。そして母の顔を見て頼まれごとを忘れていたことに気が付き今日が終わった。