1-1 天国
side-A
「……て……くん……」
「ん?」
何やら近くで声がする。だけど眠い。あと五分待ってほしい。
「起きて、悠一君。ご飯出来たよ?」
「っ!」
だが、その美声で俺の意識は完全に覚醒した。
「おはよう、悠一君」
目の前に天使がいた。目が合うと、彼女は俺に優しく微笑んだ。
「ここは天国か……」
「? まだ寝ぼけているの?」
琴音が可愛らしく小首を傾げる。
「な、何でもない! おはよう、琴音!」
「朝ご飯、出来てるから。先に向こうで待ってるね」
琴音がやや苦笑気味に微笑んで部屋を出ていった後、俺はゆっくりと体を起こす。
そうだ。昨日から琴音と二人で生活することになったんだった。寝起きだったとはいえ、すっかり油断していた。まだ心臓がドキドキしている。
「……やっぱ夢じゃないんだよなぁ」
実感が湧かない。ふわふわした気分だった。しかし俺は間違いなく、あの女の子と一緒に暮らすことになったのだ。
リビングに行くと、すでに制服に着替えていた琴音は、食事用のテーブルで座って待っていた。もう一度琴音と挨拶を交わすと、テーブルの上を見る。シンプルな和食。だが、いつもの朝食とは比べ物にならないくらい立派な和食がそこにあった。
「和食で良かったかな? もしパンが良いなら準備するけど」
「いや、大丈夫だ」
首を振って俺は琴音の対面に座る。
「食欲はある? 量、ちょっと多かったかな?」
「普段よりも豪勢だから戸惑ったけど、多分大丈夫だと思う」
「初めてだから、つい張り切っちゃった。あ、もし嫌いな食べ物があるなら言ってね」
「ああ、サンキュー。特に嫌いなものはないぞ。出されたものは何でも食べる」
「そっか、よかった」
「それに琴音の料理は美味いしな。文句なんて言えるわけがない」
昨日の夕飯で俺は琴音の料理に心奪われた。見た目の通り味も最高だった。
「ふふ、ありがとう」
琴音は微笑む。その笑顔を見る度に俺も心が安らいだ。昨日会ったばかりだというのに、琴音といると落ち着くのだ。
向き合って一緒に食事を取る俺と琴音。やはり琴音の料理は美味い。しばらく黙って食べていたが、ふと疑問に思ったことがあった。
「そういえば、食費とかどうする? 琴音って金はあるのか?」
「あ、うん、心配しないで。私が自分で払うから」
「無理はしなくて良いぞ。一応俺も蓄えはあるから」
両親の残した金はまだ充分に余裕がある。大学に行くための学費や、将来叔父さんたちに貰った分を返すつもりで貯金しているので無駄遣いをするつもりはないが、最低限の生活を維持するためになら使ってもいい。琴音と生活出来るならそれくらい安いものだ。
「大丈夫、無理なんてしてないよ」
「そうなのか?」
「うん。それより私の方こそ自分の分だけで良いのかな? もし悠一君が言うなら家賃も払うけど……」
「いいって、家賃なんて渡されたら俺が気を使っちまう。生活費は二人で半分ずつ払うのが妥当だろ」
「そうだね……そうしようか」
琴音はまだ渋い顔をしていたが、一応納得はしてくれたようだ。何もそこまで気を使う必要はないのに。
しばらくして朝食を食べ終わる。時計を見るとちょうど良い時間だった。
「そろそろ準備しないといけないな……琴音も今日から登校だよな」
「うん、ちょっと楽しみ。あ、食器は洗っておくから、そこに運んでくれるだけで良いよ」
「そうか、悪いな」
何から何までやってくれて申し訳ない。食器を片づけると、俺も制服に着替えて学校へ行く準備を済ませる。鞄を持ってリビングに行くと、琴音も準備を終えて待っていた。
「それじゃあ行くか」
「待って、悠一君」
琴音はキッチンから何かを持ってきた。
「はい、お弁当」
それを俺に手渡す。ということは、この布に包まれた四角い箱は弁当なのか。
「……俺に?」
「うん……迷惑だった?」
琴音が不安そうな表情をするので慌てて首を振る。それにしても弁当まで作ってくれていたのか。いつも昼食は食堂で食べていたから頭になかったな。
琴音を真っ直ぐ見つめる。本当に琴音は理想的な女の子だ。出来ればこのまま嫁になってほしいくらいだ。
「ありがとう、琴音。嬉しいよ」
「よかった」
琴音はそれを聞いて安心したように笑顔を浮かべる。ああ、やっぱり可愛いな。
両手に荷物が無ければ思わず抱きしめていたかもしれない。




