2-3 同居
とりあえず落ち着け。何だか知らないが外堀は完全に埋められているようだ。彼女がただの家出少女ではないのは間違いない。ストーカーともちょっと違うような気がする。
「とりあえず理由は何だっ? 何が目的だ!」
「それは、ちょっと言えないかな。私だけの問題じゃないし……」
「……どういうことだ?」
「ううん、忘れて。とにかく、悠一君……不束者ですがどうかよろしくお願いします」
神代さんはわざわざ床に正座をして丁寧に頭を下げた。
正直まだ混乱していた。動揺して周囲に視線を彷徨わせる。いま気付いたが、テーブルの上にはすでに料理が並んでいた。どれも見た目から綺麗でかなり美味そうだ。
さらによく見ると、神代さんが正座しているその床も、朝より綺麗になっている気がする。まさか掃除までしてくれたのか。
もしかすると、この子は良い子じゃないのか。
俺は気持ちが揺らいでいることを自覚する。神代さんはまだ正座したまま、俺の顔を不安そうな表情でじっと見つめていた。
いや、騙されるな。きっと理由があってこれも俺に媚を売っているだけだ。
可愛いは正義だと誰かが言ったが、可愛いだけでは俺は認めない。いや、確かに神代さんを見ていると全て許してしまいそうになるのも事実だが。だからといって騙されるほど俺は甘くはないぞ。可愛いけど性格が捻くれている奴を俺は知っている。
座ったままじっと俺を見つめている神代さん。そんな心配そうな顔をしないでほしい。心が痛い。まるで俺が虐めているみたいな気持ちになるではないか。
そもそも俺はどうして彼女を拒んでいるのか。それは彼女が得体の知れない人間だからだ。しかし俺を騙して何の得があるのか。そう考えると神代さんが悪人ではない可能性もそれなりにある。人は誰でも秘密の一つや二つあるものだ。神代さんにも何か複雑な理由があるのかもしれない。ここは彼女を信じてあげても良いのではないだろうか。
このマンションにしても、一人暮らしには広すぎるくらいの場所だ。部屋には余裕がある。だが、本当に良いのか。
「……本気で一緒に暮らす気か? 年頃の男女が、一つ屋根の下で暮らすのは色々とまずいだろ」
「そ、それは私も思うけど、でも気にしないよ? 無理言ってるのはこっちだし、ちょっとくらい着替えを覗いちゃっても怒らないから。さ、さすがにエッチなことを要求されても困るけど……」
自分で言っていて恥ずかしくなったのか、頬を赤く染めて俯く神代さん。
「いや、別にそんな要求はしないから安心しろ。あと、こっちも気まずいからそろそろ立ってくれ」
神代さんは立ち上がると、またふわりと優しく微笑んだ。
「よかった。悠一君は紳士だね」
本当に笑顔の似合う子だ。そんな顔をされると惚れてしまいそうになるのでやめてほしい。
「だけど絶対に不便だと思うぞ? 洗濯物とか一緒に洗うのか?」
「悠一君がそれで良いなら一緒に洗うけど。洗濯物は私が干すよ?」
「……じゃあ頼む」
それが妥当だろう。こっちも楽だし。少し恥ずかしいがそのうち慣れるだろう。これくらい気にしていては一緒に暮らすことなど絶対に無理だ。そこまで考えてから、すでに一緒に暮らすことを前提にしていることに気付いて動揺する。
「あっ、あと私のことは琴音で良いよ。私も悠一君って呼ばせてもらうね。もう呼んじゃってるけど……駄目、かな?」
「まあそれは良いんだが……そんなことより、一つだけ聞いていいか?」
「何かな?」
「琴音は、俺のことや俺の家族についてどこまで知っている?」
琴音が僅かに困惑したのを俺は見逃さなかった。
「どこまでって? 悠一君の最低限のプロフィールは頭に入れてあるけど」
「……俺の個人情報はどうなってるんだよ?」
「ごめんね。ただ、資料は合法的な手段で手に入れたから、そこは安心してほしいな」
それで素直に安心出来るわけがない。そもそも本当に合法的な手段なのか。
「じゃあ、俺の両親構成について話してくれ」
「良いけど、何でそんなこと聞くの?」
「それは琴音が答えてから教える。いいから言ってみろ」
「えっと……今、悠一君は一人暮らしをしていて、両親は行方不明、兄弟はいない。祖父母もすでに他界してて、父方の叔父さんが今は後見人になってくれてるんだよね……ごめん」
少し答えづらそうに説明すると、琴音は最後に謝った。まあ、少し特殊な状況だしその反応も仕方ないか。
「何で謝る。同情されても別に嬉しくねえよ」
「だけど……」
琴音はまだ何か言いたそうにしていたが、結局何も言わなかった。
「そもそも俺から聞いたんだぞ? そこまで落ち込まれると逆に俺の方が申し訳なくなる」
「……そういえば、どうしてこんな質問をしたの?」
「いや、何ていうか、俺にこういう特殊な事情があることを知らないと、後から困ることもあるからな。後になって今みたいに気を使われると余計に気まずいだろ」
「うぅ……そうだね」
琴音は自分の反応を振り返って反省したのか、恐縮したように体を縮めていた。
「ほら、元気だせ。試験は合格だ」
「……これで一緒に暮らして良いのかな?」
琴音は少しだけ明るい表情に戻って言った。
「俺としては、余計に琴音を警戒した方が良いんじゃないかと思い始めたけどな」
「ええっ?」
他人の個人情報をそこまで把握してるなんて普通じゃないしな。
すると、一緒に住むことを俺に否定されたと思ったのか、琴音は焦った様子で俺の片腕を両手でがっちりと掴んだ。琴音は必死なので自覚はないだろうが、俺はかなり困惑していた。
顔が近い。しかも、何か女の子っぽい良い匂いがする。
「悠一君、どうしてなの?」
「え?」
「悠一君が望むなら私、何でもするよ。家事もするし、エッチなことだって、悠一君が望むならしても良いから」
「お前っ? なに言って……」
それでも琴音は、真剣な表情で俺を見つめていた。
「だからお願い、悠一君。私をここに置いてください」
とても真っ直ぐで綺麗な目だ。
これでも人を見る目には自信がある。琴音の目的までは分からないが、とても悪意があるようには見えない。
「待て。誤解だ、琴音」
「えっ?」
「なんていうかさ、まあ、信用するとはまだ言えないけど……琴音が嫌じゃないなら、良いぞ。一緒に暮らそうか」
散々悩んだが、はっきり言って一緒に暮らすのは全く嫌ではない。一緒に暮らしたいという気持ちだけは伝わったし、そもそも、こんな可愛い子と一緒に生活出来るのに嫌がる方がおかしい。状況的には怪しさ全開なのだが、それもこの際、気にしない。むしろ、ちょっと着替えでも覗けたらなぁ、なんて不埒なことを考えたくらいだ。
だから心配なのは琴音の方だ。どうしてそこまで俺と一緒に暮らしたがるんだろう。
俺の答えを聞いた当の琴音は、目を見開いて驚いていた。そして次第にその瞳が潤み始める。琴音は慌てて自分の目元を指で拭う。
「ありがとう、悠一君」
そして、本当に嬉しそうに琴音は微笑んだ。
この笑顔を見ると疑う気持ちも失せるというものだ。これがいわゆるハニートラップの一種だとしても俺は後悔しない。甘んじて受け入れようじゃないか。やはり可愛いは正義というのは人間の心理を付いている。
こうして俺の家に美少女がやって来た。
まるで夢みたいな出来事だが、全て現実のことなのだ。




