1-2 隣人
朝食を終えて、再び本部へ戻るために外を歩く。今日は平日で、高校生が歩いているには不自然な時間帯だ。もっとも、ここにいるのは内務省直属の公務員たちなので警察に厄介になることはない。それに最悪の場合は暗示を使うという奥の手もある。
そういうわけで、俺たちは堂々と公道を闊歩していた。
「それで、今から俺たちは誰に会うんだ?」
「今から会うのはお兄ちゃんに暗示を掛けた人だよ」
「っ!」
そういえば希が魔装部隊なのだからあの少女も魔装部隊の人間ってことになるのか。俺にとっては忘れることが出来ない人物だ。今は成長して見た目も変わっていると思うが決してあの顔を見間違えることはないだろう。
「それよりもお兄ちゃん、お願いがあるんだけど……」
「何だ?」
「もう暗示も解けて騙していたのもばれちゃったし、またお兄ちゃんと一緒に暮らしたいな、って思うんだけど……どうかな?」
「ああ、もちろんそれは問題ないぞ」
「だけど、今は琴音先輩も一緒に住んでるでしょ? だから私は邪魔かなって思って」
「ああ、そういうことか……俺が希のことを邪魔なんて思うわけないだろ」
元々あのマンションには両親も含めて四人で住んでいた。少々手狭だが余裕がないこともない。三人で暮らせば良いのではないかと俺が提案しようとした時、希が言った。
「でも、二人でその、色々としたいこともあるでしょ? ほら、夜とか。私がいるとそういうのも出来ないと思うんだ。だから私がいない方が本当は嬉しいんじゃないの?」
「なっ? お、お前は何を言ってるんだ!」
「え? 違うの? てっきりもうそれくらい進んでいると思ったんだけど……」
「違う! ほら、琴音も何か言ってやれ」
俺は琴音に振るが、琴音の反応が鈍い。何だか別のことを考えているように見えた。
「琴音?」
「……ねえ、悠一君、やっぱり私、悠一君の部屋を出ようと思う」
「え?」
あまりにも突然のことに俺は固まる。いくらなんでもいきなり過ぎないか。別に希の言うようなことをするつもりは全くないが、琴音がいなくなるのはやはり寂しい。
「ど、どうしていきなり?」
「そうですよ。これじゃあまるで私が琴音先輩を追い出したみたいじゃないですか!」
希も驚いて琴音を引き止める。
「琴音、俺たちに気を使っているのか?」
「ううん、ずっと考えてたんだ。元々これは私の我儘なんだ。いつまでも悠一君の好意に甘えるのはやっぱり駄目だよ……だから、私は隣の部屋に引っ越そうと思うんだ」
「え、隣?」
予想外の言葉にぽかんと琴音を見る。てっきり全然違うところに行ってしまうとばかり思っていた。
「だ、だけど前の住人は?」
「えっと、私も詳しいことは何とも……でも、元々空き部屋だったって管理人さんに聞いたよ? 悠一君は何も聞いてないの?」
「いや、そういえば引っ越したって聞いたな。それで最近、隣に新しく他の住人が入ったって聞いたんだが……もしかしてそれが琴音のことだったのか?」
「うん、多分ね。実は前から用意はされてたんだ。だけど私が勝手に悠一君の部屋に上がり込んだんだ」
「先輩、よろしければこっちで一緒にご飯を食べましょう」
「ありがとう、希ちゃん。あっ、それなら私が毎日料理を作りにいこうか?」
「え? 良いんですか?」
「うん、二人に私の料理を食べてほしい」
「それじゃあ、よろしくお願いします。先輩、料理上手ですもんね」
それだと今と殆ど変らないような気がするが良いんだろうか。もっとも、その方が俺も嬉しいので文句はない。
それにしても、俺と一緒に暮らすことにしたのは任務ではなく琴音の独断だったようだ。琴音は控え目な性格のようで思い切りのいい面をたまに見せるところがある。
「あいつ、あれでちゃっかりしてるからな。困ったもんだ」
冬耶は俺にそう言うと、呆れるように首を振った。そして冬耶はぽつりと続ける。
「まあ、それであいつの気が済むのなら反対する理由もないが……」
その言葉の意味が俺には分からなかった。冬耶に尋ねようとした時、その前に彩華がふと疑問を口にした。
「ねえ、でも悠一の護衛ってまだ必要なのかしら? いつまでも張り付いているわけにもいかないでしょう?」
「あっ、そうか!」
確かに彩華の言う通りだ。俺も希もすでに適応者なのだから襲われても対処出来る自身がある。そして二重契約の問題もある。魔導書と結んだ契約を解除する方法がまだ確立していない今、魔装団がすぐに狙ってくる可能性も低いのではないか。ただ、そうなると心配なのは琴音の立場だ。出来ればこれからも琴音と一緒にいたい。
「正式な決定は上の命令を聞いてからになりますが……現状、煉条君の護衛レベルは下げても問題ないですね」
「それじゃあやっぱり……」
神宮寺の言葉に俺は少なからずショックを受けていた。それだけ琴音と一緒の生活に居心地の良さを感じていたのだ。琴音は魔装部隊に戻ってしまうのだろうか。
「ですが、一応まさかということもあります。ですから神代さんには護衛を続けてもらった方が良いでしょう」
「ほ、本当か?」
「ええ、神代さんもその方が嬉しいでしょう?」
「う、うん、もちろんだよ」
「それではそのように手配しておきます。もし手続きが難航しそうなら私から柊さんに直接意見しておきますよ」
「ありがとう玲ちゃん」
琴音は嬉しそうに微笑む。俺も嬉しかった。神宮寺がそこまでしてくれるならきっと大丈夫だろう。
そしてそれを聞いた彩華は苦笑を浮かべて言った。
「……まあ、私もあなたがいなくなるのは寂しいから歓迎するわ。もし護衛をしなくていいなら学校に通う必要もなくなるわけでしょう? そうなったら困るもの」
「珍しいな、彩華がそんなことを言うなんて」
「ふん……勝ち逃げなんて許さないんだから」
その言葉の意味が分からず首を傾げる。だが彩華は「何でもないわ」と言ってそこで話を打ち切った。ちょうど本部のビルの前まで来た。俺たちは中に入る。後方にいる冬耶と神宮寺の会話が耳に入ってきた。
「良いのか、神宮寺? 琴音にさらにアドバンテージを与えることになるんだぞ?」
「何の事ですか、神代君?」
「お前だって奴のことを少なからず気にしているんだろ?」
「……それは面白い冗談ですね」
「お前も素直じゃないな」
やけに含みのある言い方だ。何のことを言っているのだろう。考えようによってはまるで神宮寺が俺に気があると言っているように聞こえなくもないが、それは自意識過剰というものだろうな。
俺がその言葉の意味を考えていると、ちょうどそこで課長室の扉の前に到着した。




