2-2 琴音
高校生が一人で暮らすには広いマンション。両親は俺が小さい時に突然、蒸発したらしい。もう昔のことなので俺は殆ど覚えていないが、大騒ぎになった記憶だけはおぼろげに残っていた。
今は僅かな親戚の援助と、両親の残した莫大な金のおかげで何とか働かなくても生活していけている。今住んでいるマンションもその遺産の一つだ。
自分の部屋の前まで来る。鍵を取り出して、扉の鍵口に差し込む。
「ん?」
だが、なぜか回らない。よく見ると、すでに鍵は開いていた。
思わず嫌な汗が出た。まさか鍵を掛け忘れたのか。それとも空き巣に入られたのか。待て、ただ鍵を掛け忘れただけなら何も問題はない。とりあえず冷静になれ。
一度大きく深呼吸をすると、ゆっくりと扉に手をかける。
そして扉を開けるなり、何やらお腹が鳴りそうな良い匂いがした。その匂いを追うようにキッチンへと行く。
「――おかえり、悠一君」
思考が停止する。
エプロン姿の美少女が、にこりと俺に微笑んでいる。
「……た、ただいま」
殆ど反射的にそう言った。だが、言ってから思う。もっと他に言うことがあるだろう。
「じゃなくてっ、お前は誰だっ?」
その美少女を観察する。すらりとしていてバランスの取れた体型。ふわふわとしたウェーブが僅かにかかった髪は肩まで伸びている。優しげな目元。透き通った綺麗な瞳。どこをどう見ても隙ない美少女だ。
しかもその美少女が料理を作っている。これは夢か。それともまさか、一人暮らしがあまりにも寂しいと思った俺の孤独が幻影を生み出してしまったのか。
思わず頬をつねる。痛い。
「えっと、驚くのも無理ないよね」
美少女は苦笑を浮かべた。そして今度は柔らかい微笑を浮かべる。
「初めまして、私は神代琴音といいます」
おっとりとした口調でそう言うと、ぺこりと頭を下げた。あまりに礼儀正しいのでちょっと拍子抜けする。とりあえず泥棒ではないことは確かだ。泥棒は料理なんかしない。じゃあこの子は何者だ。
「えっと……神代、さん? 何で料理なんてしてるんだ?」
「待っていても暇だから、夕飯の支度をして悠一君を驚かせようと思って」
「確かに充分驚いたけど……いや、そうじゃなくてっ、どうして俺の家にいるんだっ? 鍵はどうしたっ?」
若干引くくらいの勢いで捲し立ててから、つい興奮してしまったことを後悔する。案の定、神代さんは少し困った顔をしていた。
「えっと、鍵は合鍵を作ってもらったんだ。ここに来たのはね……悠一君のお世話をするため、かな」
「作ってもらったって誰にっ? お前はストーカーかっ?」
「ごめんね。でも一緒に暮らすんだから、私の分もないと不便かと思って」
俺のツッコミはスルーされた。意外に図太い性格なのかもしれない。
いや、それよりも、もっと凄い言葉を聞いたような気がする。
「って、え? 俺のお世話をする? てか一緒に暮らすっ? ここでっ?」
「うん、今日からよろしくね」
「いやいやいや、おかしいだろ!」
「どうして?」
神代さんは可愛らしく小首を傾げる。そんな不思議そうな顔をされても困る。不思議な体験をしているのはどう考えても俺の方だ。
「全体的におかしいだろ。そもそも、お前はどこに住んでるんだ? 家族とかはどうしてるんだ?」
「住所は秘密かな。あ、今はここが住所になるのか」
「おい、ここに住む気満々な台詞をいま聞いた気がするけど気のせいか?」
「それと、私の家族のことは心配しなくて良いよ。トウヤの許可もちゃんと取ってるし」
また俺のツッコミをあっさりスルーして神代さんは言った。
「ん? トウヤって誰だ?」
「あっ、き、気にしないでっ」
神代さんは慌てて両手を振りながら苦笑を浮かべる。名前からして男か。親を呼び捨てにするような子には見えない。兄または弟、まさか元彼とかじゃないだろうな。そうだとしたらショックなのでこれ以上は深入りしないでおこう。
逆に疑問ばかりが増えていくが、とりあえず質問を続ける。
「じゃあ学校は? 俺と同い年くらいに見えるけど、どこに通っているんだ?」
「聖法高校」
「マジでっ?」
こんな可愛い子がいたら知っていてもおかしくないはずなのだが記憶にない。
「知らないのも当然だよ。今日、転校手続きを終えたんだから。私も二年一組だから明日から悠一君のクラスメイトだね」
にこりと微笑む神代さん。いやいや、そんな満面の笑みで言われても納得出来ないから。何でそんなに嬉しそうなんだよ。




