9-3 契約
だが、いつまで経っても切れ端は俺の手の中から消えてはくれなかった。
「……えっと、これは一体」
手の中の感触を確かめながら茫然と切れ端を見つめる。人差し指の傷が僅かに痛む。それだけだ。明らかに失敗である。
「どういうことだ? 不良品なんてことはないはずだが……」
公房さんも顔をしかめて首を傾げる。
「まさか俺は適応者候補じゃないんじゃ……」
「それはありえませんわ。あなたは間違いなく適応者になれるだけの器があるはずです。そうでなければ組織もあなたを狙ったりしませんもの」
そうだ、だからこそ辻褄が合わない。それに魔装部隊も俺が適応者候補だからこそ護衛しているのだ。二つの敵対する組織が両方共勘違いしていることなどほぼあり得ないだろう。だが、それならどうして俺は適応者になれないんだ。
「……煉条くん、もしや君はすでに魔導書と契約しているのではないか?」
「え? どういう意味ですか?」
「君はすでに適応者なんじゃないのかい? 適応者にこの切れ端は使えない。二冊以上の魔導書と重複して契約することは不可能なのだからね」
公房さんの言葉に俺は驚愕する。
「そんな、まさか……」
俺が適応者だって。そんなことあり得るのか。契約した記憶さえ存在しないのだ。簡単に納得出来るような話じゃない。
「綾乃、あなたはどう思うの? 公房さんの仮説は正しいと思う?」
「……確かにその可能性もないとは言い切れないですわね……いえ、でも、そんな……」
雪乃さんが一之瀬に尋ねる。一之瀬は口元を手で覆って震えていた。驚愕の、しかし説得力のある可能性を聞いて一之瀬も動揺しているのだ。それでも必死に考えて、正しい解を導こうとしているように俺には見えた。
そして、やがて一之瀬は険しい表情で呟いた。
「……わたくしたちは勘違いしていたのかもしれません。煉条さん、ショッピングセンターでの一件、あなたは人払いの結界の中でも自分の意志で行動出来ていましたわよね?」
「ああ、そうみたいだな」
建物の中から出ていく人たちを見て、人払いの結界が張られていることを俺はすぐに察した。彩華から人払いの結界の効果についてそれより前に聞いていたからだ。だから何の疑問も持たずに適応者の存在を追って中へと進んだ。しかし、本来は琴音のように結界の効果を一時的にでも受けていなければおかしかったのだ。
「わたくしも、それにおそらく魔装部隊の方々も、てっきり強い目的や意志が煉条さんにあるから結界の効果を無視出来たのだと考えていました。しかし、本当は適応者なのだとしたら――」
「っ! つまり魔法への耐性があったから結界が効かなかった」
彩華も一之瀬の言っている意味を察したらしく、信じられないというような表情で俺の顔を見た。一之瀬が頷く。
「はい、そういうことですわ」
「だ、だけど俺は解放してないぞ? 解放しないと適応者も非適応者も関係ないんじゃなかったか?」
「ええ、確かに身体能力や身体機能は解放しないと非適応者と変わらないわ。だけど、魔法への耐性や察知力は通常から非適応者や適応者候補より優れているの。解放とは体内に封印している魔導書の力を表に放出する行為のこと。だから解放しなくても体内に留まっている魔力は常に魔導書の中に蓄えられているのよ。だから魔法への耐性は解放と無関係なの」
「もっとも、あの時の結界は、おそらく魔装部隊の人間が中の人たちを外へ出すために張ったものですわ。もっと強力な人払いの結界を張っていれば適応者といえども影響が出たでしょう」
彩華と一之瀬の説明を聞いても俺はぴんと来なかった。だけど理屈はよく分からないが、とにかく解放の有無は関係ないということは理解出来た。
「そういえば、あなたを魔法で眠らせる時も効き目が鈍いような気がしましたわね。おかげで余計な手掛かりまで残されましたし」
あれも俺の魔法の耐性の高さが原因なのか。そう言われると俺も納得しそうだ。
「でも、だからって魔装部隊や魔装団まで気付かないものなのか? 俺がアルス・ノトリアの器候補だってことは知っていたのに、俺が適応者かどうかを見抜けないなんてちょっと不自然じゃないか?」
すると俺の疑問にそれまで話を聞いていた公房さんが答える。
「それはこうは考えられないだろうか。君は適応者として自覚がない。おそらく解放をしたこともないのだろう? だから魔導書と契約はしたが体は適応者候補のまま、つまりまだ適応者として覚醒していない状態だ。だから何かしらの魔法で簡易的に調べたしたとしても反応が鈍く、誰も煉条くんが適応者であることに気付かなかった」
「……確かに、特定の人物が適応者か調べるのは気軽に出来ることじゃないわ。少なくとも私には出来ない。出来たとしても正確に調べるには大掛かりな魔法を使わないと不可能だと思うわ」
「または、知っていてあなたに伏せていた可能性もありますわね。実際、わたくしがゆうい――いえ、冬耶が適応者だと知っても作戦を続行したのは契約した魔導書を取り出せる可能性があるからです。まだ研究段階ではありますが、その技術さえ確立出来れば適応者であるかどうかは些細な問題ですから」
その仮説が当たっていれば、まだ俺は契約しただけで力に目覚めていないということらしい。本当に俺はすでに魔導書と契約しているのか。
「煉条くん、君の両親の名前は煉条悠馬と雫ではないかい?」
そこで突然、公房さんは俺の両親の名前を言った。
「はい、そうですけど……それが何か?」
どうして俺の両親の名前を知っているんだろう。




