5-1 端緒
side-C
「遅い……」
彩華ちゃんは腕を組んで苛立たしげに地面を蹴った。
悠一君のことを心配しているんだろう。こういうところを見ると、やっぱり彩華ちゃんも悠一君のことが好きなんだと分かってしまう。
私はどうなんだろう。
考えるまでもない。きっと私も同じなのだろう。いつの間にか悠一君のことを好きになっていた。いや、多分最初からだ。今思えば悠一君を任務で密かに監視し始めた時から彼に惹かれていたような気がする。悠一君は自分のことより他人を優先して行動する優しい人だ。だからこそみんなからも慕われているんだろう。
私も何度も見て来た。だから悠一君がそういう人間だと私は知っている。だから私も何の抵抗もなく一緒のマンションで暮らすことを選んだ。仕事や自分の償いのためじゃなくて、純粋に悠一君の側にいたいと思ってしまう。
だけど、出来れば彩華ちゃんのことも応援したい。監視していた時から彩華ちゃんが悠一君のことを気にしているのは見ていて分かった。登下校だってそうだ。車で自宅から送迎してもらうことも出来るのに、わざわざ悠一君と歩いて登校していることを私は知っている。
だからこそ罪悪感がある。最初に彩華ちゃんとマンションの前で顔を合わせた時は思わず逃げ出したくなったほどだ。
「神代さん、悠一は向こうに行く前に何か言ってなかったかしら?」
ちょうど彩華ちゃんと目が合った時に、彩華ちゃんが私に言った。
「ううん、少し待っててほしいって言われただけだよ」
悠一君が伝言を聞いた時に私たちもそれを見ていた。一人にするのは危険だから私も一緒に行こうと思ったけど、他人に聞かれたくない話だったら相手も困るだろうって悠一君に言われて仕方なくここで待つことにした。もし悠一君が誰かに告白されてたりしたらどうしよう。それでもし悠一君も承諾したら。
「……ねえ、あなたは悠一のこと、好きなのよね?」
「え?」
頭が真っ白になった。突然何を言っているのだろう。もしかして彩華ちゃんもちょうど今、私と同じことを考えていたのかもしれない。私が彩華ちゃんと悠一君のことを気にしていたように、彩華ちゃんも私と悠一君の関係を気にしているんじゃないだろうか。
そう思うと微笑ましいけど、同時に胸が苦しくなる。
彩華ちゃんはまだ私を真剣な顔で見つめていた。
「だけど、彼はかなり強敵よ? それでも悠一のことを諦めない?」
「えっと、それはどういう……」
その言葉の意味が分からずに首を傾げる。彩華ちゃんは私に話しかけるというよりも、独り言のように続けた。
「確かに悠一は優しいわ。だけど彼は優しすぎるのよ……だからこんなややこしい話になってると思うとモヤモヤするけどね」
彩華ちゃんは何か悠一君に不満があるのか、顔をしかめて愚痴を言い始めた。
「何が『不幸になるだけ』よ。勝手に決め付けないでほしいわ。口では色々と理由を付けて誰かと付き合うのを避けてるみたいだけど、そんなのはただの言い訳でしかないじゃない。悠一は結局、怖がっているだけ」
「何を怖がるの?」
「悠一は鈍感なくせに妙に察しが良いところもあるの。本人は否定するだろうけど、無意識に自分が異性にモテていることを自覚してるのよ。だから誰かを選ぶことで他の誰かが悲しむことを理解している。まったく、面倒な男よね。優しすぎるから誰も選べない」
彩華ちゃんの話から何となく言いたいことの察しは付いた。悠一君と付き合うのは一筋縄ではいかないようだ。それにしても、私の知らない悠一君の一面を彩華ちゃんから聞かされるのは何だか負けたような気分だ。ちょっと悔しいな。
「大体、悠一は他人に甘いくせに自分に厳しすぎるのよ。それでヘタレなんだからタチが悪いわ。本当に魅力的だと思ってるならもっとガツガツ手を出そうとしなさいよ……別に二股だって私は構わないのに」
「え?」
「い、いえ、こっちの話。とにかく、悠一はヘタレで堅物でタチの悪い女たらしなの。だから好きになってもらうのは簡単だけど、付き合いたいと思うならかなり根気強くいかないと難しいわよ……それでも悠一のことは好き?」
「……うん、そうだね……私は悠一君が好き、だよ」
はっきり口にすると恥ずかしかった。だけど彩華ちゃんにはちゃんと言うべきだと思うからこれで良かったんだと思う。
「そう……それなら止めないわ。忠告はしたから精々頑張りなさい……多分、悠一が誰かと付き合うことがあるとしたら、それはあなただと思うから」
彩華ちゃんがぽつりと漏らした言葉を聞いて、私は嬉しかった。でも、どうして私の背中を押すような真似をしてくれるのだろう。私は辛かった。彩華ちゃんの気持ちも知っているから。
「彩華ちゃんはそれで良いの?」
「え?」
「彩華ちゃんも悠一君のこと、好きだよね?」
「っ? わ、私は別に……」
「隠しても駄目だよ。私だってちゃんと言ったんだから。そんなに悠一君のことに詳しいのも悠一君のことをよく見てるからでしょ」
動揺する彩華ちゃんに思わず苦笑が漏れてしまう。彩華ちゃんは悠一君を本気で愛している。私もその気持ちで負けるつもりはないけど、彩華ちゃんも同じくらい悠一君のことが好きなのは間違いない。だからこそ、どうして彩華ちゃんがこんなことを言うのか私は不思議だった。
「……私はきっと駄目よ。こんな性格だしね。あなたには勝てない」
それが理由、なのだろうか。だとしたら彩華ちゃんは自分を過小評価している。
「そんなことないよ。どうしてそんなこと言うの、彩華ちゃん?」
「無理よ、そもそも彼が私の好意に気付いているのかも怪しいわ。ま、それも自業自得なのだけれど……きっと、自分の立場に甘えていた罰ね。あなたが現れて、それで側にいるだけじゃ駄目だと気付いた。今さら嫉妬しても遅いのにね」
「ううん、そんなことない。私は悠一君が誰か一人を選ぶとしたら、それは彩華ちゃんだと思う。悠一君が本当に遠慮せずに話すことが出来る相手は彩華ちゃんだから。私は側で見ていて羨ましかった。だから、遅いなんてことは全然ないよ」
「っ、そんなこと……」
「それに諦めるのは彩華ちゃんだって本当は嫌でしょ? だから、一緒に頑張ろう?」
私は悠一君を簡単に諦めることは出来ない。だけど彩華ちゃんにも幸せになってほしい。だからこれが精一杯の譲歩。一緒に幸せになりたいと思うことは無謀なのだろうか。
彩華ちゃんは恥ずかしそうに視線を逸らして呟いた。
「……あなたも悠一もお人好し過ぎるわ。やっぱりお似合いね」
「うん、ありがとう。でも彩華ちゃんだってお人好しだと思うよ?」
彩華ちゃんの顔がさらに赤くなった。
「……それにしても本当に遅いわね」
「そうだね。ちょっと心配かも」
思わず笑みがこぼれてしまった。彩華ちゃんは本当に可愛い。もう少しだけ素直になった方が良い気もするけど。
でも、この話題転換はありだと思う。私も悠一君が気になっていた。学校の中といっても、あまり長い間、悠一君を一人にしておくのは危険だ。
「一度様子を見に行きましょうか」
「……うん、その方が良さそうだね」
私たちは悠一君の向かった校舎裏に向かった。途中ですれ違う生徒は誰もいなかった。普段騒がしい分、人気のない学校というのはなんだか気味が悪い。
そして私たちは校舎裏に到着する。しかし、そこには誰もいなかった。
「おかしいわね。あの律義な悠一が私たちに何も言わずに先に帰るなんてあり得ないわ」
彩華ちゃんは携帯を見る。私も自分の携帯を見るけど、悠一君からの連絡は入っていなかった。
「行き違いになったのかな?」
「いえ、それにしては未だに連絡がないのは不自然だわ……」
おかしい。嫌な予感に背筋が冷たくなる。とにかく悠一君が今、どこにいるのか調べないと。
携帯で電話を掛けるが、悠一君の携帯は電源が切られているようだった。
焦っちゃ駄目。落ち着こう。まだ何かあったと決まったわけじゃない。
手掛かりはないかと周囲を見渡す。私たちの他に人の気配はなかった。グラウンドで部活動中の生徒たちの声がここまで聞こえる。何気なく地面を見る。ここの地面は殆ど手入れされていないのか、雑草が生い茂っていた。悠一君が何か手掛かりを残しているかもしれない。何となくそう思って、注意深く地面を見渡す。
そこで雑草に隠れるようにして、何やら手のひらサイズの小さな物体が落ちていることに気付いた。僅かに地面に埋まっており、隠してあるようにも見えた。それが何なのか確かめるために目を凝らす。
「これ……」
私はそれに手を伸ばした。




