〆 月籠雛
僕の事を嘲笑をしているような顔をしながら爆笑をしている葉月ちゃんをみて、なぜか僕は恐ろしく冷静だった。確かになにかを叫んだときは人間らしい感情を持っていたのかも知れない。その辺りは馬鹿な僕では記憶に留めておけなかったようで、何を考えていたのか。とかは何も覚えていない。今、考えると何も考えていなかったのではないかと思うぐらいに冷めきってしまっていた。
冷静に考える。
まず、あの唯一ある出口から出ることは容易いだろう。知性を保っている葉月ちゃんならまだしもここまで錯乱している少女から逃げられないぐらいひ弱な僕ではない。どこを撃てば意識が落ちるとかは散々頑張って覚えてきたし、葉月ちゃんの動きを見る限りスポーツを別段やってきたわけでもなさそうだし、総合的な力業では一応男である僕の方が上だろう。葉月ちゃんの良いであろう頭を危惧して今まで別ルートを探していたが、ああなってしまえばもう、葉月ちゃんは弱小であり、僕程度でも簡単に殺してしまえるであろう。
でも、僕は動かなかった。
葉月ちゃんは、しばらく笑ったあとにゆっくりと息を吐いて、僕の方を薄い笑みを浮かべながらじっと見つめた。どうやら、僕という存在を見下しているようである。
「雛先輩」葉月ちゃんは言った。「私の能力は、人を操る能力です。私はそれを教理雑音と言っています」
「人を操る…………?」
「二回、雑音を発すれば誰でも私に従うのです」
「あ、え………」
僕は自分で自分の顔が強ばったのがわかる。床にはりついた手に汗がにじむのがわかる。手を握り込んでいる訳でもないのに。……嫌な汗が出てきた。
先程の会話で何度、葉月ちゃんは二回言葉を繰り返していただろう。『飛び降りろ』というような言葉は三回以上言っていた。他にも思い当たる節はある。………知らなかった。情報では葉月ちゃんは情報系の能力者だと聞いていたのに、情報なんかと全く関係ない寧ろ情報を破壊する類いの能力だ。信じているものを雑音でかき消される。思考を止める。
「なのに! 雛先輩は――」
「…………君の調教に従わなかった」
「そうです、そう、それです! ねぇ? 雛先輩、ただのノーマルじゃないんでしょう?」
葉月ちゃんは、地面と仲良しに座り込んでいる僕の方に歩いてきて目の前でしゃがんだ。黒いパンツが見えているが、今はそんな事を考えている時間ではないだろう。いやしかし、僕の目の前にしゃがむとか頭が冴えている彼女だったら普通やらないだろう。と、いうことは、まだ、この状況をどうにかすることが出来るのかもしれない。考えろ、打開しろ、崩せ、壊せ。いくら馬鹿な僕でも逃げられる道ぐらい見つけられるだろう。
「先輩の能力は、人を操る能力です」
「………」
「私の能力がきかない。なぜだろうか? 雛先輩は能力をかき消す類いの能力、否、体質の持ち主なのだろうか? それはあり得ない。能力には色々な種類があります。それをすべて弾くなんて、ガンでもインフルエンザでも怪我でもすべてにきく、万能薬を作るようなものなんです」
「僕は――」
「そうなると考えられることは一つしかありません。同じ能力同士の打ち消しあい。つまり、私の能力が相殺されてしまったのです。こういうのは、一度だけ見たことがあります」
「僕は――」
「それに、雛先輩は前の学校で苛めが起こるように人を操っていたような節があります。あそこまでの凄まじい苛めは普通、なかなか起こらないんですよ?」葉月ちゃんは、ふふふ。と笑った。「仲間でしょう? 教えてくれてもいいじゃないですか」
「……ねえ、葉月ちゃん」
「何でしょう?」
「葉月ちゃんって本当に葉月高校の優良生徒なの…………?」
葉月ちゃんは、軽く笑ってから僕に顔を近づけてきて僕の肩を両手で押さえながら僕の首筋に唇を合わせた。……つまり、僕の首にキスをした。
「っ!?!???」
僕は、葉月ちゃんを突き放そうとするけれど、何だか力が入らない。なんだよ、キスの力か? 僕は思春期の男子か何かなのか? こんな何百万という菌が混ざりあうだけの行為に何かを感じているのか? いや、唇と唇じゃないから違うけど。そういや、初キスはお母さんで、その次はいづきだった。(いずきはその場のノリで僕からやったんだけど、結構キレられた。怖かった。あのときのいずきの照れた顔が今でも忘れられないのは秘密である)
長い長い長い長いキスを終えたらしい葉月ちゃんは、肩から手を離して僕の前に正座し、僕の掌にキスをした。全く、何を考えているんだかわからない。
正座なんかされたらさすがの僕でも逃げれるぞ。なんだ? この女、酔ってるのか?
「雛先輩」
「……………」
「逃げましょう」
「………」
「学舎占争から」
「学舎占争………から?」
「助けてください」
「……」
「葉月高校を裏切ってください」