〆 月籠雛
「まず、校章を見せあいませんか?」
月立葉月は教室の入り口に立ったまま、そう言った。僕が座っている位置から近い方の入り口に立っているということは、つまり脚が片方なくて松葉杖の僕が何かあっても逃げ出せないようになっている。もし、月立葉月が悪いやつで僕に何らかの遠距離攻撃をしてきた場合、僕は袋の鼠。窓から飛び降りる以外逃げる道はないだろう。その逃げ道を使った際の命が助かる可能性は計算するまでもない。
……いや、駄目だな。
僕はもう、初対面の人とは仲良くなれそうにもない。なんでもかんでも疑ってかかってしまう。月立葉月だって、あの位置に立っているのは偶然で、僕を袋の鼠ちゃんにしてやろうなんて考えていないのかもしれない。まあ、風の噂を聞く限りはその可能性は低いだろうけれど。
月立葉月。
僕が一年と二、三ヵ月かけて、しかも脚という犠牲を払ってやってきたことを、たった二、三ヵ月でしかも五体満足でやってきた人。
警戒するには十分すぎる。
「雛先輩?」
「ん?」
「考え事ですか?」
「ん、んー」僕はできる限り声を眠くしようと心がける。「昨日あんまり寝てなくてさぁ、ぼーーっとしてたかも………」
「それはそれは」
葉月ちゃんはふふっと軽く笑った。
いや、待ってくれ。そんな反応だと、この、僕の駄目な子アピールがうまく行っているのかがわからない。何が正しくて何が正しくないかがわからなくなる。無視、が一番困ると聞くけれど、実際のところは適当な回答が一番困るのではないだろうか? 何が正しいのか分からなくなる、のではなく、正しい事も正しくないと思わせしまうというか。兎にも角にも、僕のように残念な感じに完成してしまっている人間にとってはきついものがある。
「ところでー、葉月ちゃん」
「はい?」
「立ち話もなんだからさー、座りなよ」
「あー、いえ」月立葉月は何だかめんどくさそうな顔をした。「これから、雛先輩を連れていかなくちゃいけない場所があるので遠慮しておきます」
「へーぇ?」
葉月高校に来たばかりのあどけない僕を道案内してくれるわけでもなさそうだし、じゃあ、何だろう。地獄にでもご招待してくれるのだろうか。それとも天国だろうか? どちらにしても、お断りしたい気分だが。
「兎にも角にも、校章を見せてくださいよ。貴方が二重スパイとか訳のわからない存在じゃないことを私に証明してください」
「僕が二重スパイぃ? そんな器用なこと出来てたら僕はこちら側の世界には行っていなかっただろーね………」
僕はそういってポケットから霜月高校の生徒手帳を出して、中に入っていた葉月高校の校章を取り出し、月立葉月に向かって投げた。月立葉月は難なくキャッチして眺める。
「……学舎占争を行うにあたって、関係がないはずの睦月高校がルールを定めました」
葉月ちゃんは手に握った僕のものである葉月高校の校章をじっと見つめながら静かな氷のように冷えきった声で呟いた。
「うん?」
「十一高競走と学舎占争は同じものだと言われがちですが本質は全然違います」
「…………それは」
「十一高競走は被害者を出してはいけませんでしたが、学舎占争は被害者を出してもいい」月立葉月は目を伏せた。「つまり、殺人こそ、許されていませんが、不慮の事故ならば人が死んでもおかしくないのです。許されるのです」
学舎占争。ルール。
一、殺人を犯してはならない。
二、不慮の事故で人が死んでしまった場合は原則、警察より先に学校に報告する。
「学舎占争では、超能力が使える生徒を雇って他校に侵入させることが出来ます」
三、学舎占争のため他校に潜入する生徒は各学校四人までとなっている。
四、その者達を『優良生徒』という。
五、『優良生徒』の潜入が許されているのは自分の学校より、位が低い学校に限られている。
六、潜入をしている生徒は自分の所属している(やとわれている)高校の校章を持っていなくてはならない。
七、それが発見された場合、その『優良生徒』は学舎占争の権利を剥奪されると同時に自校に帰らなくてはならない。
「どうしたの? 急に」
僕は首を傾げ気味にそういった。学舎占争において、初期の初期の初期の初期のルールを葉月ちゃんがいい始める事に驚いた。こんな、一般生徒が普通にいるかもしれないところで学舎占争の事をいうなんて。何番目のルールか覚えていないけれど長ったらしいルールの中に「秘密は守るんだゾ!」みたいな言葉があったはずだ。こんなことが世間一般に広がったらもう、僕の人生は本格的に終わりを告げるだろう。
「………別に」
「?」
月立葉月は僕が投げ渡した校章を嫌そうに見つめた。今にも校章をその辺に投げ捨ててしまいそうなほど嫌悪に包まれた顔だ。
「この校章とかいうやつが私達の存在を縛り上げてるんですよね」
「まあ、学舎占争に参加している人たちは、人間としての権利を剥奪されてるも同然だから」
「私達はそれに従うしかない、争うしかない、陥れるしかない。道がない。未来がない。……きっと、『優良生徒』なんて呼ばれてる私達人間は命令されれば無慈悲な殺戮兵にだってなるでしょう」
はぁーあ、と月立葉月はため息をついてからポケットから何かを取り出して僕が渡した校章と共に僕に向かって投げた。その二つは離れることなく僕の手の中に入ってきた。見ると二つとも葉月高校の校章だ。
これで僕の校章と葉月ちゃんの校章がどっちがどっちかわからなくなってしまった。まあ、いいか。どっちも同じだろうし。ぼくは適当に一つだけ校章をとって、一つを葉月ちゃんに投げ返した。残念な僕のコントロールでちょっと右にそれてしまったが葉月ちゃんは難なくキャッチして、それを何気ない動作で普通にスカートのポケットに入れる。
そうか、ここは葉月高校なんだから別に校章を隠さなくてもいいんだ。校章を隠すにおいて一番大変なのが卒業式とか入学式とか終業式とか始業式とかの儀式系なんだよね。校章をつけないと先生に怒られちゃうからさ。
じゃあ、記念に校章でもつけようかな、と思ったけど、思っただけでつけないで生徒手帳の間に挟んで普通にポケットにしまった。
「ねえ、雛先輩。雛ちゃん、先輩」
「ん?」
「私より長く学舎占争を経験している雛先輩はなんとも思わないんですか?」葉月ちゃんはずかずかと歩いて僕の方に向かって歩いてきた。「嫌気がささないんですか? 嫌にならないんですか? 気持ち悪くならないんですか? 内輪揉めに巻き込まれて、死にそうになって。バカみたいだと思わないんですか?」
「それは……、学舎占争から確かに誘いが来た。けど、それに乗ったのは僕だから――――」
「目を見て話してください」
「嫌」
「そうですか」
葉月ちゃんは少しだけ残念そうな顔をした。顔を伏せるとまつげが長いことに僕は気づく。そういえば、まつげの長さは空気の汚さに比例して長くなるとどこかで聞いたことある。要らない情報? ……だろうね。
「言っておくけど、言わなくちゃいけないから言っておくけど」僕は目を閉じた。「僕は本当に思っていることなんて言わないよ。言いたくもないご託ばかりが口から出るんだ、自分の操作が難しいのが困り者ってやつ」
「……………そうですか」
葉月ちゃんの声が遠くなっていった気がしたので、ゆっくりと目を開けたら、葉月ちゃんはさっきと同じようにドアの前に戻っていた。
「行きましょう」
と、いって葉月ちゃんは廊下の方へ歩いていってしまったので僕は、慌てて松葉杖をとって、歩いて後を追った。廊下に出てみると葉月ちゃんはあまり遠くない位置を歩いていた。もしかしたら、松葉杖をついている僕を気遣ってくれているのかもしれない。
散々、人を裏切ってきた無情な僕を気遣う人間なんて何も知らない馬鹿な人間だけだろう。
例えば、下弦夜月。
―――――いずきとか。