〆 下弦夜月
「と、いうわけで、なんでも知っているという噂の君に質問しに来たんだ」
「何が、『というわけで』か全くわからないんだけど」
放課後の太陽の光が翳ってきた教室で俺はクラストップの成績をおさめている粗蕋抄夜に声をかけてみた。どうやら粗蕋は教室でずっと寝ていたらしく眠そうに机から顔だけを俺の方に向けている。どうして、授業を真面目に受けていないこんなやつがクラストップの成績をおさめているのか、さっぱりわからない。
「今日、月籠雛ってやつが転校してきただろ?」
「月籠? あぁ、あの包帯ぐるぐるの。脚がないやつか」
「いや、無いわけではないけどな?」
脚が本当になかったら松葉杖とかでどうにかなるわけが無いじゃないか。車椅子が必須になるぜ、それ。………ん? 普通、脚が一本なかったら車椅子なんじゃないのか? あ、でも、車椅子を買うお金がないから松葉杖を借りているのか。
「それが、どうしたの? 副委員長」
「いや、何か隠し事っつーか、不自然というか、らしくないというか………」
「そんな曖昧な情報じゃ、何も分からないよ。僕に関して謎な噂が流れてるみたいだけどあれはでまだから、ね?」
「謙遜してるのか?」
「いや? 僕も歳をとったなぁ、みたいな」
「?」
粗蕋は、あへへ、と変な風に笑ってから顔を下に向けてそのまま寝る姿勢をとった。まさか、そのまま俺を放置して寝るわけは無かろうが、このままではいつまでたっても話が進まない。これなら粗蕋より先に妹に聞いた方が早かったかもしれない。
その時、突然、ガタンと黒板の方から大きな音が聞こえてきた。粗蕋は驚いたようだがあくまで体は伏せたままである。良かった、粗蕋に俺が驚いている姿を見られなくて……。
「よーし」粗蕋は突然、机から体を離して起き上がった。「副委員長さん、一つ貸しにしてくれるなら三分間、僕は機械のように何でも答えるよ」
「貸し?」
「そ、貸し借りの貸し」
「あー」
ここでわざわざ借りを作ってまで聞くんだったら妹に土下座でも何でもして聞いた方がいいかもしれないな。
………いや、待てよ? どうしてここで粗蕋は貸し借りの話をし始めたんだ? 例えば、俺が三分間質問しまくって粗蕋が何一つ有力な情報を流せなかったら俺は貸し借りなんて言うものは無かったことにして粗蕋が「貸しを返してよ」何て言っても無視するだろう。つまり、粗蕋が俺の聞きたいことを知っている自信がない限りこんな契約は成立しない、というわけだ。どうやら法律上では口約束でも守らなくてはならないらしいが、そんな証拠の残らないものをわざわざ守るほど俺は真面目に生きていない。それに向こうが出してきた条件が不十分だった場合は契約は不成立、と言うことになる。
…………粗蕋抄夜は一体何を知ってるんだ?
「何を戸惑ってるんだか知らないけど、早くしないといい方に向いていた僕の気が変わるよ」
「粗蕋、お前は何を知ってるんだ?」
「質問タイムスターット」
「は?」
「僕は、雛君だっけ? についてはなにも知らないけれど今までの行動から、何をやっているのかは察しはついてる。つまり、なにも知らないけれど君が知りたいことは知ってるだろうね」
どうやら、三分間の質問タイムが勝手に始まったようだ。それに三分間とかジブリに出てくる例のあの人みたいである。
こういう、なにもわからないところからの質問の定法は大きい質問からしていって、質問していく方向性を定めていくことだったよな……。三分か。短いな。
「俺が知りたいことってなんだ?」
「え? そう来るの? ……まぁいいや、えっと……君が知りたいことは、そうだな。雛君だかが飛び降りた理由じゃなくて、雛君だかが変わった理由かな?」
「雛が変わった……?」
「あれ、違った? 前からあんな感じなのかぁ、変人だね」
「まあな」
確かに、不自然と思ったということは変わった、ということなのかも知れない。が、時が経てば人は変わるなんて重々分かりきっている事で………。
「雛の何が変わったんだ?」
「だから、雛君のことはなにも知らないんだって。間違えてるよ、する質問」
「ん……………」
「そんなに思い詰めたような顔しないでよ。何? 君達付き合ってるの? ……あー、時間がもったいない気がするけれどそんなに考えたいなら、雛君の何が変わったの? 中学のときと何が違ったの?」
何が違った? 中学の時は馬鹿みたいにはしゃいで遊んで、疲れたら休んで、勉強もして。喧嘩はしなかったけれど空気が悪くなった時もあって。その時は泣きながら雛が謝ってきたっけか。その時、俺は何て言ったんだっけ……どうせそれも演技なんだろ、みたいなことをいった気がする。我ながら最低なやつだな。その時の雛のしゅんとした顔が忘れられない。
……あれ。
「あいつ、何も悲しくなさそうだった」
「ふうん」
「脚がなくなったーとかいじめられたー、とかで悲しんでいるように見えなかった。気丈に振る舞っているわけでもなく……」
「なく?」
「悲愁とか、悲しみの感情がかけてる………?」
「不思議だね」
「どうして?」
「また、大雑把な質問だなぁ。そーだねぇ、必要ないと勝手に判断したとか。もしくは」粗蕋は悩むような動作をした。「そう、自分を騙してるか」
「騙す?」
「雛君のことは予測でしかないけどね、知らないもの。うふふ」
「き……」
まあ、粗蕋が気持ち悪いのは放っておいて(バグったに違いない)まず、なんでも知っているという粗蕋の答えの通り、雛が自分を騙しているとしよう。(できるかどうかは分からないが)そうしたら、なぜ、騙さなければいけないのだろうか。雛はいったい何に巻き込まれているんだ? ……巻き込まれている?
「………粗蕋、雛は何に関わってるんだ?」
そう、俺が言うと粗蕋は「やっと来た」と言う顔をした。
「十一高競争。俗に言う、学舎占争」
十一高競争は、聞いたことがある。確か、ここ一帯に並んでいる、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走、十一個の私立高校が地位と名誉、名声、そして財産のために足の引っ張りあいや潰しあいをしているという、あれ。一時期、ニュースを飾っていたが今は静まり返ってもう、昔の事のように語られている、が……まだ、見えないところで続いている? 純一般の生徒が巻き込まれる程度に普通に続いているのか?
「なあ…粗――――」
「ストーップ」
粗蕋は人差し指を突き立てて俺の前で止めた。これは、静かに。という合図だろうか?
「なんだよ」
「三分たったから、おしまい」
「え……」
「ちょっとサービスしてました。抄夜君、優しい」
粗蕋は机の横にかかっていたスクールバッグを机の上に置いて、机の中から取り出した筆箱とノート一冊をその中に入れた。もしかして、こいつ、教科書持って帰ってねぇのか? つまり、家でも学校でも勉強していないのにクラストップの成績って、どんな脳味噌をしているのだろうか。なんで、もっと上の高校に行かなかったのであろうか……もしかして、中学の時、俺並みに悪さをしていたのかもしれない。
「あ」粗蕋は荷物を持って立ち上がろうとしてから何か閃いたらしく、席に座り直した。「副委員長。今から僕が言うことは全部独り言だから絶対にきかないでね? きいたとしてもすぐに忘れるんだよ?」
「は?」
そんなことを言われても目の前にいるからには聞こえるに決まってるだろ。何をいい始めたんだろうか、この人は。
「学舎占争は新しいステージに移行したみたいなんだよ。今まではただの足の引っ張りあいだったのが、昨今では本格的に潰しにかかっている。勿論、犠牲者も出てるんだよ、雛君よりもっと惨いことになってる人もいるらしい」
あくまで、俺を見ないで淡々と縷縷と独り言をいい始めた粗蕋。
いや、これはサービスタイムということか? 所謂、優しい抄夜君のボーナスタイム。きっとここで質問をぶちこんではいけないのだろう。独り言に質問をする人がいないように、粗蕋の言葉に質問をしてはいけないのだろう。
「私立高校は財産のために企てた人が結構いるもんなんだよ、この辺一帯の十二個の高校は特にそうだ。昔の有力者が裏側で君臨してたりする」
粗蕋は薄く笑った。
「君みたいなノーマルなただの人間が学舎占争に巻き込まれて、どうなるかは分かりきっている。君が何をしたって学舎占争が止められるわけがないし、ね」
粗蕋は、荷物を持って椅子をひいて立ち上がり教室から出ようと扉の方に歩いていった。朝、俺が雛を引きずって出ていった方の扉の方に。
「だから、無関心を貫くのがお勧めだよ」
「でも………」
「ん?」粗蕋は驚いたように振り向いた。「まさか、僕の独り言をきいてたの……!」
「雛は巻き込まれ続けるかもしれないってことだろ」
「さあ? 知らないよ、僕は何も知らない。他言なんかしてないし」粗蕋はケータイを取り出して何かを確認してから俺の方を見た。「僕の情報は貸しになったかな? 委員長」
「ああ、確かに借りたぜ」
「そー、なら良かった」
粗蕋が扉を開けると、クーラーがきいていた教室が少しだけ暑くなった。朝、俺がドアを開けたときもこんな感じだったのか。クラスの人はさぞかし不快な思いをしただろう。俺はなんとなく、申し訳ない気分になった。
「そうだ、粗蕋」
「ん?」
「一緒に帰ろーぜ」
「んん? えっと、まだ訊き足りないの? これ以上僕に喋らせたいなら自白剤でもくれないと……」
ぶつぶつと、なんだか危険なことを言っている粗蕋。確か、自白剤って物によっては死んだりするんじゃなかったっけ。あれって一種の興奮剤みたいなものだろ? そもそも現実にあるのか?
「……いや、お礼いってないし、貸し借りと別にアイス奢ってやるよ」
「アイス?」
「アイス」
「ハーゲンダッツ?」
「なわけねーだろうが、いつでも金欠な高校生だぜ?」
「わかった。……けど、かなかな煩い後輩も一緒にいい?」
「いいよ、別に。アイスは奢らねーけど」
名前も知らない後輩にアイスを奢るような義理なんか持ってないしな。なんだよ、かなかな煩いって。人間か?
「雛君はいいの?」
「断られた」
「おや、可哀想な」
なーんか、避けられてるような気がするんだよな………。めんどくせーなぁ、雛ってやつ。もう、一生帰りに誘わねーからな。覚悟しておけよ、月籠雛。
俺は、自分の席の方にいって机の上に乗っけてあったスクールバッグを持って、粗蕋の方へと歩いていった。