〆 下弦夜月
喧騒に包まれた騒がしい教室で俺は一ヶ月前ほどに流れたニュースを思い出してため息をついた。そのニュースの名は『私立霜月学園、苛め飛び降り事件』という名前である。その被害者は月籠雛であり、中学時代の俺の友人である。ニュースというものは中途半端なものできちんと結果までを皆に伝えることは少ない。だから飛び降りた雛が今どうしているのかなんて俺は知らない。あの高さから飛び降りたのだとすれば死んでいる可能性の方が高いだろう。
この周辺は緩い傾斜になっていて上から、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走と一連に私立高校が並んでいる。位置的に一番高い高校(睦月)が治安や成績が一番よく、低い位置になっていくと、成績、治安共に低くなっていく、よくある落差社会のような構造にこの周辺はなっている。俺が通っている葉月高校は中の下、下の上ぐらいということだ。
俺の成績的にはもう少し高い高校を目指してもよかったのだが、一番近いし校風も俺にあっていると思ったのと………雛が同じ高校に来ると思っていたから葉月高校にしたのだが、受験間近に雛が「ねーねー、いずき。僕の成績じゃ無理そうだから霜月? 高校だっけを受けるよ。それに学費が免除されるんだってー!」と言って雛からしてはかなり下の霜月高校に行った。その時は普通に「まあ、雛の家には金がねぇし仕方ねぇのか」とか思っていたが今から考えると雛の家庭状況だと学費を免除されたとしても制服を買う金がまずないし、葉月高校の近くにすんでいる雛の交通費を考えると霜月高校に行ったとしても金が足りないんじゃないかと思う。
それに雛の性格を考えると苛められるとはとてもじゃないけれど思えない。
………いや、性質と言った方がぴったりかもしれない。
雛は基本的ににこにこと笑いながら中立の立場にたっておりどんな状況でも相手に合わせてきて嫌われるなんていうことはまず、ない。そして、裏で暗躍してすべての出来事をそれなりにいい形で閉めてしまうという、クラスの裏委員長のような事もしていた。雛が暗躍していたなんて誰にも悟られないようにして(俺は別だぜ? 何かと雛と行動していたから嫌でもわかっちまう。)いい感じで全てを閉じられる。
すべての言葉が雛のためにあるといわれているような、空気が雛の味方にいるような奴だったのに。
何故、苛めなんていうものに巻き込まれたのか。いや、その中心部に被害者という形で関わってしまったのか。それが俺にとって不思議で仕方ないのだ。
霜月高校がそんなに治安が悪い高校だったのか? ………いや、この場合は治安とか関係ないだろう。雛だったら周りが苛められていたとしても『苛め』というルートから逃げて逃げて逃げ切るであろうから。高校で急に雰囲気が変わって雛がついていけなくなったのか? それとも俺が雛を高く評価し過ぎなのか? 雛も周りの人間とは何も変わらない弱小な生物だったのか?
と。
そこで朝のホームルームを告げるチャイムが、キーンコーンカーンコーンと鳴り響いた。最近の高校事情ではチャイムを無くして、自分で時間管理をしようというのが流行っているらしいが葉月高校では流行りに乗る、というのはあまりしないようだ。
いつも教師はこのチャイムが鳴って暫くしてから教室にやって来る。教師が時間ぴったりにこない癖に時間管理とか自己管理とか生徒にだけさせるのか、みたいなことを中学まで考えていたが、よくよく考えてみたら教師はチャイムが鳴るずっと前から学校にいるわけで、別に遅刻をしてきているわけではない。と言うことだ。朝の時間とか休憩時間とかを生徒のように満喫している教師などいたとしても数えるほどしかいないだろう。俺が別に教師が好きなわけではない(むしろ、嫌いだ。)が、その無駄な働きっぷりには関心をしてしまう。
俺は簡単に感嘆してしまうのだ。
我ながら俺は単純明快な性格をしていると思う。(昔、一週間連続で弁当がパクられたときにマジギレをして学校に行かなくなった、という単純な子供らしいエピソードがある。)中学の頃はそれが伝って少しばかり悪さをしていたが高校に入って一年と五ヶ月たった今では六時間の授業時間を座ってられるようになった。中学当時は一時間の授業ですら座っていることが困難だった俺だが今では成長したもんだ。
世界中の人が俺を見本にすればどんな悪でも品行方正な生徒になれてしまうのではないかと思ってしまうほどに高校と中学の俺の態度の差は激しい。中学の頃はチーマーなんじゃね? (死語)って思うぐらい大人数で動き回っていたが今では何だか副学級委員長とかやっちゃってるし、学校ではあまり集団的に行動することは無くなった。
…………そう考えると雛も何らかの高校デビューをしようとして失敗したんじゃないかとも考えられる。もしそうだったら「何やってんだ、馬鹿」としか思えない。生きていたら三百回ぐらい殴ってやろう。
それにしても教師が来るのが遅すぎないか? 流石に朝学活の時間を過ぎてから学活を始めたら生徒たちは黙ってはいないだろう。短くなる分には文句は言わないが長くなると文句をいう生徒がこの学校にはたくさんいる。(どこの生徒もそうか。)チャイムという名の約束は守らないと後で教師が困るだろうに。
多少は静かだった教室が少し騒がしくなってきた時、教室の前の扉が開いた。外から担任という名の教師が入ってきて、その後ろには、見覚えがある―――――
「雛?」
葉月高校の制服を着て、松葉杖をつきながら頭に馬鹿みたいな包帯を巻いていて申し訳なさそうに入ってきたのは……入ってきたのは。『私立霜月学園、苛め飛び降り事件』で噂になっていた月籠雛なんだから。
ふと、一年ちょっとぶりに雛と目があいそうになって俺は目を反らした。俺は机と見つめあって考える。
いや、考えてはいた。
もし、雛が生きていたとすれば、精神が大丈夫だとすれば、転校してくるのは近所であるこの葉月高校ではあるだろうとは考えてはいた。いや、しかし、ここで俺が疑問を持つとすれば。
何故、雛が葉月高校の制服を持っているんだ?
転校生と言えば他校の制服を着ているものだ。お金の問題か、単純に制服が間に合わなかったかでその学校の制服は普通持っていないはずだ。さらにいうならば、雛の家は生活難なので制服を買うお金など……ないのではないか? 中学の制服ですらかき集めてきた金で冬服だけ買って夏を乗り越えてきたような奴が。なぜ。
ざわついている教室で教師が何らかの説明をしているが、そんな誰でも考えれば分かるような下らない話は俺の頭に入ってこない。確か、ニュースでは雛の名前は出ていなかったような気がするが(犯罪者じゃねーからな)近所にすんでいれば流石にクラスの奴等でもあのニュースの生徒だと分かるか。それに、あんなに仰々しい包帯を巻いていたら事件を知らなくても、まあ、ざわつくだろうな。
「―――弦――――下弦!」
「え、あ、はい?」
考え事をしている最中にどうやら声をかけられていたらしい。俺は机から目を話して前にたっている教師の方をみた。
「昼休みに学校案内してやれ」
「嫌です」
「は?」
俺は立ち上がって前の方にずかずかと歩いていって雛の腕をつかんで教室の外の方へと歩いた。
「うえ! え、いず………うぅー」
雛はごちゃごちゃ戸惑っていたが諦めたのか俺に連れ去られるままについてきた。……今は雛に聞きたいことが山ほどある。
「では、先生」俺は先生の方を向いて言った。「今すぐ、案内してきます」
そして、教師の回答を待たずに教室のドアを閉めて雛を引きずって暑い廊下を歩いていった。取り合えず、屋上の手前の階段まで歩いていこうと思って行動しているが、なんだか雛の歩くペースがめちゃくちゃ遅い。………ああ、そういえば松葉杖とかついてたな、こいつ。
「掴まれよ」
「え?」
俺は雛を背中に無理矢理引き付けて、背負った。その説明のない突然のおんぶに驚いたのか雛は「うわぁあ」とか驚きの声を騒がしくあげた。その時に、左手で掴むべきであろう脚が片方ないことにあえて触れずにそのまま、階段をのぼっていって屋上に出る扉の前(屋上には出られないように鍵がかかっている)に雛を下ろして、俺はその横に座った。
「…………」
「…」
「ねぇ、いずき」
「いずきじゃなくて、夜月だって言ってんだろーが」
「あーうん、ごめんごめん、所でいずき」
「直す気ねぇ………」
懐かしい。この会話は中学のとき毎日のようにやっていた会話だ。雛が『いずき』と言ったのを俺が訂正して雛が謝るけれど直す気はない。みたいな会話をずっと飽きずに続けてきた。
「いずき、いずき、何で僕は天候草々に拐われたの?」
「天候草々? ああ、転校早々って事か漢字変換間違えるなよ」
「何で、口頭で漢字間違いがわかるんだよー!」
「何で、拐われたかって?」
俺は雛の言葉をスルーしつつ話を続ける。ちゃっちゃとはなさないとチャイムが鳴ってしまい、授業が始まってしまう。今のところ、俺は無遅刻無欠席なのでこんなところで遅刻なんて物したくない。
「皿、割れた?」
「何で自分から質問してきたくせに聞き間違えるんだよ、句読点をわざわざ入れるんだよ。「何で僕は転校早々に拐われたんだぁぁ?」って言ってたじゃねーかよ、自分で」
「似てない」
「悪かったな。で、まず、言うべき事があるだろ」
「え?」
雛はそういわれて戸惑ったような顔をした。今のタイミングで何を迷っているのか。一年ぶりに会ったとなったらいう台詞はひとつだろうに。
「えー、えー、と、いずき。中学の時にお弁当を一週間連続でパクってたの僕なんだ。ごめんなさい」
「今はどうでもいい! そして、あれはお前だったのか!」
「あのあと、いずきがキレて学校を休んでたから謝るタイミングが無くてさー」
「ああ、そう。じゃあ、今度弁当箱返せよ」
「ん? ごみの日に出しちゃったよ」
「血も涙もねぇんだな、お前」
俺が泣きそうだよ。もしかして、雛の中に流れている血液は全て緑だったり紫だったりしないよな。今度、雛の指先にライトを当ててみよう。そしたらきっと血管が透けて緑か紫色に見えるだろうからな。
なんだか、雛といると会話が進まねぇな。今が暇な時間だったらいくらでも訳がわからない雑談でもなんでも付き合ってやるんだが、残念ながら今は急ぎたい気分である。雑談をしている暇があったら質問攻めをしたい気分だ。
「で?」
「謝る気ねぇんだな、俺的にはどちらかというと弁当のことより一週間分の弁当箱のことについて謝って欲しいよ………じゃなくて、久しぶりに会うんだから、久しぶりって言うもんだろ?」
「あー、久しぶりいずき」
「久しぶり、雛」
雛はうんうんと頷いた。
「いやぁ、勘当の災害ができて僕は喜ばしい限りだよ」
「感動の再会だろ、何一つ合ってねぇじゃねぇか」
「あ、勘当の再会か」
「何が、「あ」だよ。ちげぇよ。誰に追い出されたんだよ」
「久しぶり兄上」
「コントしてるんじゃねぇんだよ、ツッコミを無視すんな」
「しかし、兄上、我はまだ戻る気はないどすこい」
「続けるなよ、しかも、なんだよ。語尾が「どすこい」って。どんな弟だよ。相撲やってる人でも言わねぇよんなこと」
「どすこい兄上、我は修行の旅にいってくるどすこい」
「家にはお母さんがいますよ、雛さん。本当に出ていってもいいんですか?」
「え、それは大変、帰らなくちゃ」
と、言って雛は立ち上がって松葉杖をつきながらゆっくりと下に降りていく動作をした。
「いや、まてまて、帰るなよ!」
俺は立ち上がって雛を引きずっていって元の位置に座らせたが雛はすぐに立ち上がって「あ、いずき居たんだ。久しぶり。じゃ……」と言ってまた下にゆっくりと危なっかしく松葉杖をつきながら降りていった。
「何で、そんなに帰りたがるんだよ! 俺が前世で何かしたか!?」
「君の前世がサキュバスだったからいけないんだぁあ!」
「サキュバス!?」
サキュバスって知らない人はマジで知らないようなのを取り出してきたな。確か、妖精かなんかで男を虜にしちゃうんだけど虜にできなかった男には奴隷のようにつかえるとかいうなんか。
……もし、それが本当に俺の前世だったとしたら雛と何があったんだ。恐ろしすぎて考えたくない。
「全く、さっきからいずきが騒がしいなぁ。金魚迷惑だよ」
「騒がしいのはお前のせいだよ? それに近所迷惑な? どこの金魚が迷惑してんだよ。あと、ツッコミどころを一言で二ヶ所作るな」
雛は階段をあがってきて、俺の隣に座った。とんだ情緒不安定である。そして、暫くの無言が続いたので(時間が勿体ない)俺は雛に話を振ることにした。さて、どこから話したものか。飛び降りた事? それとも脚の事か? はたまた雛が質問してきた「僕が天候草々に皿、割れた訳について」否、「僕が転校早々に拐われたわけについて」か。雛は馬鹿だから一度話始めると中途半端に止めたり嘘をついたり出来ないそうだから、少しは気を付けないと。
……なら、詳しいところまであえて触れない方が俺と雛のためになるのか………。まあ、いい。とりあえず声をかけてみてなるようになってみよう。
「なあ、雛」
「なんですか? 僕はあなたと話したくないんですけど」
「質問する隙もねぇ。え、なんか俺、嫌われてんの?」
「前世がサキュバスだから…」
「まだそれを引き摺るか」
「あ、そういえば。明日は燃えるごみの回収日だよ。行ってらっしゃい」
「燃えとこいと!?」
「男って燃えない部分があるらしいねぇー、どこだと思う?」
「知らん」
「ここ、喉仏」雛は自分の喉を指差した。「火災の時に死体を男女に見分けるのに役立つのだとか」
「へー」
「反応が碓いよぉ」
「薄い、な」
「臼だよぉ」
「猿蟹合戦かよ」といってから俺は少し上を向いて考えるような仕草をした。「いや、雛が俺に知識を披露するなんて珍しいな、と思って」
すると、雛は目を白黒させたあとに明らかに戸惑ったような顔をした。
「あ、ああれ、そぉだけっけ?」
「うん、まあ。んー、でも一年も経てば人も変わ――――」
雛は突然俺の前に右手をつき出してきて「待って」と言った。そのまま雛は俯いて何だか数字を数えているらしいが俺にはよく聞こえない。まさか羊を数えているわけでは無かろうが。そして、数秒後、満足したのか雛は顔をあげて首を傾げながらにこりと笑った。
そういえば、雛が笑っていない所をあまりみたことがない。………あるとしたら笑う必要がないとき、つまり一人の時で。偶然見かけてしまったとき俺は、幽霊を見たわけでもないのに背筋が凍り、こいつは誰だ、と考えてしまった。
「なんの話だっけ? あ、カレーのナンについて語り合ってたんだっけ」
「閃いたところ悪いけれどそんな話一瞬たりとも出てない」
「じゃあ、なんの話だよ。どすこい」
「どすこいが懐かしく感じるぜ」
俺は、腕を組んでまっすぐと雛をみた。雛は「いやーん、見ないでぇ」とかほざいているが無視して、そろそろ本題に入ろうかと覚悟を決める。うまくやらないと話が暗くなってしまうから気を付けなければ――――って雛だったらこんな心配しなくてもいいのか。雛が人と話しているときに最低のところまでテンションを下げるわけがないんだから。
演じているのであろう、テンションで。
演じている、というのが雛の醍醐味である。
「なぁ、雛」
「なんですか? 僕はあなたと話したくないんですけど」
「え、これってループするの?」
「餅の論」
「どんな論だよ、言うならば勿の論な」これではいつまでも話が進まないので俺は半場無理矢理話を進めることにした。時計はないがもうすぐでチャイムがなってしまうはずである。急がねば。「脚、どうしたんだよ。俺の知っている生物学上一本足りないような気がするんだが」
「じゃあ、いずきの生物学が間違えてるんだよ」雛は俺を脚をみた。「うわ、脚が二本ある! きもっ!」
どんなだよ。
俺の脚が二本あるのは普通だろう。人間なんだから。それともなんだ? 雛は俺とは違う生物なのかもしれない。えー、と、雛はサキュバスかもな。
「脚は生物学上、二本だよ。小学校の理科の教科書見てこい」
「そんな机上の空論を述べられても。ねぇ?」
「机から飛び出てるだろうが! 脚が二本ある! 今、俺が証明した!」
「何だか、さっきからいずきが煩いな……」
「本当に困ってるみたいな口調でいうなよ!」
「んで、さっきから葦、葦言ってるけど、なんの話なの?」
「通じてすらないなかったのか……、今の会話」
「葦って何?」
「人間は考える葦である。だから俺はお前に問う。考える葦君、脚はどうした?」
「あー………えっと…さぁ?」
雛は首を傾げながら両手を開いて分かりません、という姿勢をとった。……いや、待てよ。二十四時間くっついている脚について「さぁ?」はないだろ。何で、気づいたら無くなっていました。みたいな感じになってるんだよ。
「ほんとお前、嘘つくの下手だな」
「えへへ、そぉ?」
「誉めてねぇよ」
「嬉しいなぁ………」
「話聞けよ。で、どうした―――――」
そこで、キーンコーンカーンコーンと授業が始まるチャイムが無機質になった。
昔、チャイムの音が日本の学校なのに教会の鐘のようで嫌いだ。と言っていたことがあったのをふと、思い出す。
「あーあ」
と雛はとても残念そうにいった。まあ、初授業で遅刻とかそりゃしたくないだろう。
「走れば間に合う」
「んじゃ頑張って。僕はゆっくりいくからさ」
雛は立ち上がって危なっかしく松葉杖をつきながらゆっくりと階段を降りていった。階段をおりる度に包帯からはみ出している黒い髪がさらさらと揺れる。……こんなペースで歩いてたら間に合う間に合わないではなく、教室に着かないんじゃないか?
「あー、もう、おせぇな。背負うから乗れよ」
「えぇー、やだぁ。勘違いされたらやだよぉ」
「何をだよ」
あれ、もしかして雛はチャイムが鳴るまで話を無理矢理長引かせていたのか? 話しちゃうと全部話してしまうから、最初から話す気がなかった? ………上等じゃねぇか。
俺は雛のところまで降りていって背負って、教室まで走り出した。