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51:旧友の計画

 さてもう出ようかと、入り口へ振り返ろうと体を回した時、視界の端に、人影を感じました。体を止めて、そこを見てみると、部屋の奥に朽ちた木の扉があって、一杯に開け放たれていました……というより、扉は壊れかけ、もうまともに閉まらないのでしょう。だらしなく口の開いた先には中庭があり、そこにも金花が、ギッシリと隙間が無いほど生えています。あまりに多く生え過ぎて、扉の方へと茎が溢れ返っています。その扉の目の前で、飛び出た金花の一つに……内股になってペタリと座り込んで、茎を掴んでいる男……朝の、あの塗料を足に塗ったあの青年でした。

 青年は、右手……左手……右手……次から次に花を掴んでは、頭から口の中に飲み込んで、ザリザリと茎を引いて、歯で花びらごと種をむしり取るように食べています。彼の側には既に、四本ほどのボロボロになった茎が落ちていました。彼はそれから十本ほどを食べて、ようやく満足したようで、最後の一本を食べ終えて放ると、そのまま後ろに大の字に倒れ込みました。

「ゥ〜……ァ〜……ァ〜…………」

 何とも変なうめき声を上げて、体を左右に可愛らしく揺れていると、ようやくジーニズとエウムの姿に気付いたようです。

「ダァ〜……ダァ〜ダァ〜……」

 二十歳位と思える大きな青年は、まるで本当の赤ん坊のように、両手をこっちに向けて上げて、……エウムを呼んでいるようです。無垢な、あどけない緩い笑顔、その目は彼女の方を見ていました。

「えっ……と……」

 どう対してあげればいいのか……エウムはとりあえず、ニッコリと……少し戸惑ったせいで変な顔付きになってしまいましたが、笑い返してあげました。すると、青年は横に転がって体を反転させると、俯けの格好で、ハイハイを始めました。ゆっくりと、見つめる先の……エウムを目指して歩いてきます。そして目の前に来ると、いきなり両手を勢いよく上に挙げて、倒れ込むようにエウムに抱きつきました。

「キャッ!」

 青年は顔を胸に埋めて、擦り付けるように頭をモゾモゾ回してくるのです。そしてその内に、段々とエウムの上着が……彼女は華奢な体付きで、細い撫で肩なので……大きめの服の左肩の方が、少しずつ下にずれてきて、彼女の胸の片方が……外にこぼれ出ました。

「あッ……」

 と言う間もなく、青年はその胸の先端に、突然しゃぶりつきました。そして……チュウチュウ……と、彼女の胸を吸い出したのです。

「あ……ク、くすぐったい……」

 青年は、赤ん坊のように乳を飲もうと懸命に吸い付きますが、エウムに出るはずありません。それでも、青年は意に介さないように、音を立てて吸い続けます。エウムは一瞬、とっさに払い除けようとしましたが、あまりに真剣に吸う姿を見て、また突然のことで呆気にとられたのもあって、止めるのを躊躇してしまいました。

 ジーニズは側に寄って、しゃがみ込み、横から青年の顔を見つめました。青年の目は一心にエウムの胸元を見つめ……その目には何らいやらしさみたいな色は無く、むしろとても真剣な、一生懸命な眼差しで、彼女に抱きついていました。すると、ジーニズの存在に今気付いたように、目がこちらを向きました。クルリと丸い、大きな綺麗な目で……

「……この目、」


「彼は幼少の頃から、母親から虐待を受けていた。父親は、彼が生まれる前に、家からいなくなった。やがて成長した彼は、あるきっかけで発作的に母親を殺し、そして家を飛び出した。そして街の浮浪者たちと混ざり、泥水をすすって生きていた。やがて、金花の存在を知った」

 年寄りじみた枯れた声……かすれたその声は、ジーニズのものではありませんでした。


「誰だ!」

 ジーニズはとっさに、その声のした方……ここに入った時の幕の張られた入り口、そこに立つ、腰まで届く長い白髪を垂らした、背の低い老人の姿を認めました。

「久しぶりだ、ジーニズ」

「…………」

 老人は右手で額の髪をかき上げ、右目を見せました。目の周囲にクマのように、黒く焦げた痕が見えました。ジーニズは、声無き叫びを上げました。

「……久しぶり、だな」、そう答えました。

 エウムは驚いて、顔を見上げました。ジーニズは、老人を見据えたまま、その者の名を静かに呟きました。

「ユ・ゾーク」

 老人……ゾークは、いかにも、と頷きました。

「ゾーク……さん?」

 不思議なものを見るように……まるで幻を見付けたかのように、二人は目を見開いて、そこに立つ者を見つめました。彼は……確か彼は、生徒に生体実験を行って、その咎で逮捕されたはずです。その人間が、何故こうして白昼の街に、一人、立っているのでしょう。

「ジーニズ、私と会いたかったのではないのか? 何度か私と面会出来るように動いていたのは知っている。こっちへ来ないか」

「お前……」

「…………」

「白い目……瞳が、無い。相当に飲んでいるな」

「ああ。君も同じじゃないか」

「……説明してくれ。どうしてお前は、“ここ”にいるんだ?」

「分かって、いるだろう?」

 ニヤリと、シワだらけの顔が怪しく歪みました。そして、手を伸ばして、いまだ胸をむさぼる青年を指しました。

「この男は、私の研究の対象。そのためにここに来たのだが、こうして君と会えるとは」

「お前、保安隊と繋がっているのか?」

「相互協力だ。声を掛けてくれたのは、あちらの方だが」

「金花の、研究のために?」

「費用は惜しまないと言ってくれる。それまで私は自費で行っていた。願ってもない提案だった」


 二人の視線は、遠い距離からぶつかり合い、探り合いました。しかしその色合いには若干の違いがあり、やや攻撃的に鋭く睨み付けるジーニズに比べ、ゾークの視線にはどこか親しみのような情が混じっているようでした。

「そう睨むことはない。私とお前は同窓だ。お前は中退してしまったが。そうだ、私を強引に眠らせて帰した後、あのお医者様はどうなった?」

「……亡くなられた」

「そうか。私を慌てて帰すからだ」

「何だって?」

「私は、とっておきの治療法を見つけていた。というのに、睡眠薬で強引に帰らせてしまったのが、お前の一番の失敗」

「…………」

「終ったことは、もういいな。それより、今だ。その青年を連れて帰る。そして……」

 ゾークは顎を少し上にあげて、額の髪を軽くどかして、二の句を告げました。

「ジーニズ、お前に協力を求める」

「……何だって」

「お前の深い薬学の知識。世界中を旅して得た知識を、私の研究のために貸してほしい」

「……いきなりそう言われて、易々答えられるものじゃないぞ」

 ジーニズは手を一旦懐に入れ、すぐ外に出して、その手でエウムの手を握りました。そして手を後ろにグッグッと引っ張りました。エウムはそれが何かの合図と気付き、引っ張った先……中庭の方角を、横目で見ました。

 ゾークは、たるんだシワだらけの顔を、さらに深く潰して笑みを浮かべました。

「長らく会ってなかったから、変わったな。そんな、作り笑いなんか止めろよ」

「私は、生まれた時から、何も変わっていない。感情はいつも素直に。この笑顔は、私の心からの気持ちの表れ。そして、幼い頃より研究していることは、今もまだ、続いている」

「風の中の魂と交信……というやつかい?」

「……ああ。今、この愚かな世界、人と人との関係が希薄になり、親が子を、子が親を、殺す。捨てる。裏切り。虐め。差別。嘘。そして、愚かな政治家や指導者たち。荒廃し切った人間関係、どの人間も信用ならない。腐敗した存在しかこの世にはいない。なら、世を律してくれる……正しい方向へと導いてくれる救世主が必要だろう」

「何だって?」

「降臨、だ。悟りを開き、世のまよえる者どもに教えを説いてまわった、唯一無二の真の救世主、神の子」

「神の子を、現世に降ろす……だと!?」

「その通り」

「ば……馬鹿な。お前、霊媒術か何かを施すというのか?」

「私のする手段は、もっと科学的な理論による。ただ霊を呼ぶのではない、この世に、定着させる。つまり、今この時代に『復活』させる」

 ゾークの表情に、何ら誤魔化しやでまかせのような様子を見つけられず、極めて真面目な顔で、淡々と話をしていました。ジーニズは、一つ咳き込んで、喉に詰まったタンを切りました。

「それを、金花を使って、可能だというのか。一体、どうやって……」

「お前は、金花を飲んだことがあるのだろう?」

「ああ」

「何を見た?」

「……過去に出会った人たちと、最後に、母親」

「その存在は、生々しいものだったろう。当然のこと。その時お前は、本当の母親の魂と相対したのだ。金花の、効力の真の意味を知っているか?」

「……いや」

「己の魂と、肉体との分離……魂の離脱だ。肉体より魂が抜け出て、そして過去の人間や母親の魂と交差したのだ。

 現れる魂は、その者が一番に望んでいる願望……その者が心から会いたいと思う者……お前にとっての親や過去の人間。または、こんなことも……力無き者が焦がれる、絶対的な暴力、その象徴である世界一の格闘家、優れた格闘家の魂が現れ、その者は教えを請う、そして己は無敵の力を手に入れたと“錯覚”する……そして、またある者は、憎み切った親を殺し、理想の母を求める」

 ゾークは、エウムの胸の中にいる青年に視線を流しました。

「即ち、現れたるは、聖母。絶対なる安心の……母の腕の中で温かく包み込まれ、ふくよかな乳房によって美味しい乳を与えられる喜び。夢想した世界。その青年は、まさにこの今、聖母に抱かれ、真の安息を得ている。その青年の目を見れば、分かること」

 ゾークは右手で、頭の左の方の髪に触れ、ゆっくりと梳きながら……腕を顔に交差させながら……手を下におろしていきました。

「私の絶対の望みである、神の子との対話……いや、神の子をこの世へと呼ぶこと。私の肉体を、神の子のために捧げる。そのために……」

 おろした右手を、真っ直ぐに、人差し指を立て、ジーニズを射るように指し示しました。

「お前の協力が、要る」


ジーニズは暫く黙り込み、こちらを睨むゾークを見据えました。三歩ほど前に出て、ジーニズはエウムの前に立ちはだかり、ゾークと一対一で睨み合いました。

「……どちらにしても、」

 ジーニズが、乾いた声で言葉を発しました。緊張のため、舌が口の中にベットリとはり付いてしまっていました。

「今は、協力が出来ない。するべきことがあるんだ。お前の言うことが、正しいのか、その答えは分からないが、今の私は、今、己のすべきことを為さなければならない。協力は出来ない」

「その女は、金花の村の娘か」

「…………」

「事情は、その娘のことか?」

「そうだ、約束したんだ。だから、それを反故ホゴ出来ない」

「ならば、仕方が無い、旧友だが、力尽くでも……私の研究所へ案内する」

 すると、突然ゾークの後ろの廊下の闇から、ゾロゾロと十人ほどの、銃を構えた屈強の兵士が現れました。

 ジーニズは、とっさに、背中に回していた左手の手首を、前からは見えないように静かに素早く動かしました。

「確保を」

 ゾークがそう一言呟き、その合図で一斉に兵士が、ジーニズめがけて突進しました。銃を用心深く構えて、全く抵抗出来ない内に、ジーニズは取り囲まれてしまいました。

「ジーニズ・ホーチ、管理番号・零六番、二人を確保! 娘の方は逃走しました、追い掛けますッ」

 戦闘服の胸の辺りに鳥の紋様が描かれた、隊長と思しき男の野太い声が響きました。

「いや、娘の方はいい。それよりジーニズを研究所に案内する。零六番もついでに連れて行け」

 口を半開きにして(涎でベトベトに汚れていました)こちらを見る青年を指差して言いました。

「ハッ!」

 ゾークは、エウムが風のように駆けて行った先……トンネルのようにポッカリかき分けられた中庭の花畑を見て、また顔が潰れたようなシワだらけの笑みを浮かべました。

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