49:薬探し
補足説明:今回載せる話が、やや表現に際どい部分(若干の性的な仄めかし)があるのを考え、一応念のために小説の設定を15禁に変更させて頂きました。青年漫画程度のものですが、一応気になる方はお気を付け下さい。
翌朝、庭の倉庫の中、ジーニズはまだ太陽の姿が見えぬうちから目を覚ましました。そしてすぐに素早く着替えたら、そのまま街へと出ました。準備することが多いので、まだエウムたちの目を覚まさない早いうちから、今日の仕事を始めていきました。昨夜は深夜まで起きていたので、結局四時間ほどしか眠れなくて、ジーニズは欠伸を噛み殺して、少しぼやけた頭を平手で自ら叩きました。
目指した先は、自身のかつて在籍していた学校。本当はもう二度とそこに向いたくは無かったのですが、ソコでなければ手に入らない薬品や道具があるので、向わないわけにはいきませんでした。やや気の重いジーニズは、白い思い息を吐いて、懐かしい学校への通学路を辿っていきました。その間、ジーニズは脇道や裏道を見つける度に、その方へ目をやっていました。
……路上にたむろする浮浪者……そこに老若男女などの区別は無く、ただ人間が寄り合い群れを成して集合している……
……老爺が幼女を、少年が少年を襲う……老婆は股を開き周囲の者を挑発し、少女は手を己の陰部へと差し伸べて優しく愛でる……濁って響く艶かしい合奏……
……一人が拳を目の前の相手の腹に打ち込んだ……やられた相手はお返しにと拳を顔面に返す……鼻の骨を折り血を噴き出して転び掛ける……と思っているうちに、そこから周りに暴力が連鎖し、右から左から、一人また一人と、その殴り合いに参加していき、激しい殴打の鈍い音……やがて血の飛沫が、辺りに雨のようにビシャリビシャリと飛び散る……「俺こそは世界に名立たる格闘技! 世界の王者よ! この俺の無敵の力で、雑魚どもを蹴散らしてくれるわ!」……血みどろの赤黒い拳を掲げて咆哮する……
ジーニズは、その混沌の中へと、入っていきました。するとすぐに気付いた赤黒い拳の男が、その手を下ろして力強く構えると、ジーニズに向けて突進してきました。
「死ねぇエェエェエ!」
ジーニズは素早く懐に手を突っ込むと、透明な液体の入ったビニールのケースを取り出しました。そしてケースの先っぽ……細く尖っている方を男に向けて、そのケースの中央を勢いよく指で押しました。中の液体が押し出されて、それが先を通り霧となって噴出され、男の顔に吹き掛けられました。その途端に、男は目玉をグルンと回して、次の瞬間、突然、力が抜けたように倒れ込みました。ケースの中身は、一種の眠り薬で、男は一瞬にして気を失ったのでした。
そして、ジーニズはそこにいる全員に、それを一人一人吹き掛けていきました。やがて全員が意識を失い、早朝の静寂が訪れました。ジーニズは、一人一人の眼を覗いていきました。それぞれ、ほとんど真っ白に飛んでいました。ジーニズは怪我した者に、それぞれ簡単な応急処置を済ませると、その中の比較的怪我の軽い……腹部に打撲を受けただけの青年の足に、懐に持っていた、ある塗料の缶を取り出して、塗りたくりました。そして、一瞥を投げて、その場を離れました。
空は大分明るくなっていました。しかし、まだ街の路上には人の影は疎ら。しかし、気にせずにジーニズは学校の前へと到着しました。ジーニズの行っていた学校は、二十四時間、緊急の患者も受け入れられるようにと、昼も夜も無く開いている窓口があります。ジーニズは門をくぐり、その窓口へと向いました。外のベルのボタンを押すと、窓の横に取り付けられた黒いスピーカーから、女性の声が聞こえました。
「ハイ」
「スミマセン、救急の患者じゃないのですが、私は昔この学校の生徒だったジーニズ・ホーチという者です。早朝からお訪ねして申し訳無いのですが、中に入りたくて、ここの窓口に来ました。応対お願い出来ないでしょうか」
「……ハァ……少々お待ち下さい」
そして暫く待ちました。二十分は経ったでしょうか……ようやくといった感じで、扉から姿を現したのは、パリッとした白衣をキッチリ着込んだ、若い背の高い男でした。
「どうも、はじめまして! ジーニズ・ホーチさんですよね」
「え……エエ」
「いやーお会いできて光栄です! あなたの功績の素晴らしさ……よくお聞きします」
男は、ジーニズのことをよく知っているようでした。
「我が学校にご入学され、後、世界中を旅しての治療活動。特に僻地などの無医村に赴かれて、世界でまだ発見されていないあらゆる奇病、難病の、新しい治療法を確立されたりなど、数々のお話は、私たちの仲間の間では伝説として話していますよ!」
「それは……ハハハ……ありがとうございます。よくご存知ですね」
ジーニズは照れ臭そうに、指で鼻の頭を軽く掻きました。
「しかし、びっくりしましたよ。突然あなたのような方がお訪ねになるなんて……どのようなご用件でしょうか」
「今度、少し長い旅に出ることになって、そのために色々準備がいるんだ。ココでしか手に入らない薬品もあるから、どうにかそれを分けてもらえないかなと思って……」
「そうでしたか! ではお入り下さい、私が案内致しますので」
男は快活に響く声で返事をすると、扉を開けて、手を差し出して先を進めました。ジーニズは彼に一度頭を下げて、中へと……何十年ぶりに入っていきました。
「先生がいられた頃とは全く様変わりしているでしょうね、私が入学した数年前に、校舎は改築工事をしていますから。設備は一層充実されて、世界に誇れる学校だと思います!」
「フム……しかし変わらないのは、薬の匂いだね。それに、私はこの学校を中退した者だ。きっと、酷い噂をされていて、追い出されるかと思っていたよ」
「先生のお噂は、よく存じています。でも、噂なんでしょう?」
「……私は、まだ人に褒められるような医者じゃないよ」
「何を仰るんですか」
「私が世界を旅して回って、多くの人を助けたいと思うのは、私自身の懺悔だ。若い頃に犯した罪への悔恨だ。そして、それはまだ、続いている。まだ、人に褒められてはいけないんだ。だから、これ以上、私を持ち上げるような言い方はよしてくれ。その方が、辛いんだよ」
「…………」
男は真剣な眼差しで、ジーニズのことを見つめました。そして静かに足を止めて、先を行くジーニズの背中に向けて、ソッと小さく頭を下げました。そして、早足で近付いて、背後から訊ねました。
「地下の薬品庫の方へ行きますか」
「そうだね、案内してくれ」
「ハイッ」
そして階段を下りて、地下の『薬品庫』とプレートの貼られた扉へと入っていきました。扉の脇の部屋の電気のスイッチが押され、パッと明かりが点けられました。目の前には、棚棚棚棚……の樹海となっていて、種々の瓶や袋に入った薬品が、ギッシリと敷き詰められています。
ジーニズはその方へと歩こうとして、ふと足を止めて、振り返りました。
「君は宿直かね、お疲れだろうに、こうして丁寧に案内してくれて、本当にありがとう」
「い……イイエ! とんでもないです! こうして、先生のお仕事のお手伝いが出来るなんて、光栄です。今回の旅は、とても大変なのでしょうか」
「ウン……秘境の密林へ行くんだよ」
「エエッ ほ、本当ですか!」
まだ鳥の澄んだ声の聞こえる早朝だというのに、男は随分と元気よく大声を上げています。彼は既に徹夜の眠気など、どこぞへ吹き飛んでしまった様子で、非常に舞い上がっていました。
「危険な旅じゃないですか! いまだ森全体の八割以上が、全くの未開の土地だというのに!」
「だから、どうしても来る必要があったんだよ。ここには様々な薬品が揃っているしね。……オォ、こんなものまで常備してあるのかい」
「ああ、それは半年前から、少量ですが必ず置いておくようにしているんです。前に一度、ソレが無くて患者に亡くなられたことがありまして……珍しい病気ですが、それでも万一のことを考えて、あらかじめ準備しておけば、もう同じことは起きないで済みますしね」
「その通り……だな」
そして暫く、二人は色々な雑談を交えながら、ジーニズは必要な薬品を選んで手に取っていきました。ジーニズは久しぶりに、まるで学生の頃の友達との会話のような気持ちで、男と笑いを上げながら話し合いました。男は段々と、最初のような畏まった態度から、良い意味で砕けた、遠慮の無い会話をしてくれたので、ジーニズもそれで気が楽になって、自身の旅での色々な出来事……様々な奇病と出会ってきて、それとの戦いの記憶を、一つ一つ彼に伝える気持ちで話しました。それが彼への勉強になれば、これも一つ自分自身の役目を果たしたことになると思いました。
一時間ほど経って、めぼしいものは全て集められました。
「ありがとう、これは薬品の代金だよ。私はこれで失敬するよ。本当に申し訳無いのだが、薬品庫の無くなった物の説明は、私の名を出して説明しておいてくれないか。勝手に持ち出しているんだからね、私の名を出せば、君への咎めは無いだろう」
ジーニズは丁寧に頭を深く下げてお願いしました。男は狼狽して、何と言っていいのか分からず、ただひたすら「やめてください」と、頭を上げてもらうように言い返すばかりでした。
そしてジーニズは、そそくさと学校を後にしました。それを見送った男が呆然と立ち尽くしていると、背後の方から、物凄い勢いでこちらに近付いてくる足音が、硬い床を踏んで冷たく響いてきて、男は後ろを振り向きました。それは、厳つくたくましい肩で風を切って走ってくる、学校の教授でした。
「オイ、ジーニズ・ホーチが来たというのは本当かね」
「エ……ハイ、今ちょうど、お帰りになられました。いや〜突然来られてビックリし……」
「何で中に入れたんだ」
「エ、えっと……」
「それと、薬品庫へと案内したそうだな。何か持っていったのか」
「ハイ、あ、それで、これがジーニズさんからお預かりした代金です」
「そういうことじゃない、お前、何で、無許可であの男を薬品庫へ入れたんだ?」
「どうしても必要な薬品があって、お困りでしたので……今度はかなり大変な旅みたいですよ。珍しいものばかり持っていかれましたよ。まあ、すぐに困るようなものではないので、すぐに業者の注文すれば大丈夫ですよ」
「お前な……あの男が犯罪者だってこと、分かっているのか?」
「噂じゃないですか」
「馬鹿者、お前らはそう捉えているかもしれんが、私らの世代では有名な話だ。おかげで、あの男が学校から消えて以降、学校の医療機関としての信頼が一気に失墜して、入学者もガクンと減ったんだぞ。私はその頃入学して、周りから随分冷たい目で見られたものだ。それを再び、世間に信用されるようにと頑張ってきたんだ。それが、あの男が学校に出入りしていると噂されたら、また信用を失いかねんぞ」
「でも、教授もご存知でしょう? あの方の医療活動のご活躍を」
「……勿論、知っているさ。だがな、あの男はうちの学校においての汚点なんだよ。『ろくな学生を出さない』というな。だから……」
すると突然、教授はグラリと姿勢を崩し、よろけました。
「ど、どうしたんですか?」
「いや……私は……部屋に戻るよ……君は宿直……なんだから……早く……戻り……なさい……」
最後の方は言葉が濁ってよく聞き取り辛かったのですが、教授の方はそう言い終えると、きびすを返して、フラフラと……少し背中を上へ突っ張らせるような様子を見せながら、ぎこちない足取りで、廊下の向こうへと行ってしまいました。
男も、それを暫く見送ってから、背中を向けて、急ぎ足で戻りました。