48:生き別れた血筋
「じゃあ、どうやって、ウジカを治すんですか?」
ジーニズは立ち上がり、そして扉の横に置いてある自分の鞄を取りました。そして、中から……大きな鼻の豚の絵の、あの手帳を取り出しました。
「この最後の方のページ……ここを見てごらん」
エウムはジーニズの横に並んで、その指差す所を覗きました。そこには……
……『○月○日、ついに秘境の密林に入る。全く開拓の手が入っていない未知の世界、出口の無い迷宮へと入り込んでいくような気持ち。だけど、恐れてはいられない。万全の準備をして、突き進むのみ』……『○月○日、いまだ森の中をさまようように進んでいく。少し、発熱している。風邪か、肺炎に近いような。一応、抗生物質を飲んでおく』……『○月○日、発熱に続き、下痢、全身に虚脱感。書くことも辛い。悔しいけれど、一度引き返すしかない』……
後ろの文章ほど、まともに筆を持つことが出来なかったようで、字がグシャグシャに歪んでいました。
「これは……」
「この“秘境の密林”というのは、この日記の前後の文章から推測して、ちょうど金花の村のある大陸から、南に海を渡った先にある、古代の森なんだよ。この密林はまだろくに研究者や冒険者に足を踏み入れられていない、文字通りの秘境で、研究者の間ではここにいる原住民のことが昔から噂されているんだ。何百年、何千年も、現代の文明とは全く関わり無く、独自の文明を築いている人たちがいるという説。だが、あまりに濃く険しい自然のために、生きているものは、特に生命力の強い獣か、細菌などしかいないという人も多い。人間が住むにはあまりに過酷な世界なんだ」
「ハイ……」、エウムには、いまいち話が見えてきません。ジーニズは、落ち着いて説明を続けます。
「大陸移動というのを知っているかい。今ある大陸は、今の形が昔からあるのではなく、長い年月を掛けてゆっくり大地は動いていて、その結果が今日の大陸の形をしている。だが、かつては大地は一つの形を成していて、それが大陸移動によって、陸地が分かれていったという。そう、金花の村のある大地と、秘境の大地は、かつて太古は、ひと繋がりの陸地だったという説があるんだ。その有史以前の時代に、そのひと繋がりの大地に住んでいた人間達は、大陸移動によって、二つに分かれていった。そこで考えられるのが……金花の村に住む人たちの先祖と、秘境に住む原住民(もし存在するとして)の先祖は、一つの大きな一族だった可能性が考えられるんだ」
「エッ……」
「そうなんだ、だからつまりは君たちの遠い祖先の生き別れが、この秘境の地に存在するかもしれないんだ」
興奮して前のめりになって話すジーニズに対して、エウムは冷静に、質問をしました。
「それは……それが確かだと言えるような証拠があるんですか?」
「勿論だよ。これを見てごらん」
そしてジーニズは、また鞄から、今度は蓋でビッチリ閉められた小さなガラスの小瓶を取り出して見せました。中には、何か白か灰色の粉のような物が入っています。
「今日……一度戻ってからまた保安所の人間に掛け合ったが……ナタールや少年の件は結局、話も聞いてもらえなかった……それは本当にすまない。しかし、その代わりに、必死に頭を下げて嘆願して、療養所の研究施設を特別に貸してもらった。この小瓶の……骨と、あと実はウジカとエウム……少し髪を失敬して、遺伝子検査をさせてもらったよ。この骨というのはね、先の秘境の森の『有人説』を証拠付ける有名な骨なんだ。秘境の森の大陸に、唯一船をつけられる海岸で発見されたもので、人骨が発見されたわけなんだよ。今から五十年以上前の話だよ。反対派の意見では……海流の流れで、他の大陸から流れた死体が、たまたまそこの海岸に辿り着いた……と言っているが、私はそうじゃないと思う。海流の流れなどを計算すると、そこに流れ着く可能性はきわめて低いとみられるからね。この骨は世界各国の有数の研究者に分けて渡されたということなのだが、それをお医者様も手に入れたらしい。
私は最初、この小瓶の中の骨が一体何を意味するのか分からなかった。瓶には何も説明も無かったしね。けど、金花のことや、ウジカの存在、そして手帳の記録などをそれぞれ照らし合わせて、一つの予測を立てた。そして、それを証明するために、ウジカの髪と共に遺伝子検査をしたんだ。それで、どう出たと思う?」
「まさか……」
「その、まさか、なんだよ。骨の遺伝子の中にね……専門用語は避けて、仮に“α”と名を付けるが、その遺伝子情報が、ウジカと小瓶の骨の両方に含まれていたんだよ。これは非常に特殊なモノで、エウム、君の遺伝子には含まれていないものなんだ。ウジカは、エウム……君たちとは同族ながら、遺伝子情報は相当な違いを見せている。このことからしても、ウジカは、君よりずっと祖先の存在だってことの裏付けにもなっているよ。とにかく、その“α”要素を持った骨が、秘境の森の近くで発見され、それがウジカにも共通する……この繋がりは、非常に明るい希望だと思う」
「でも、遠い昔に分かれたということは、仮に私たちと同じ血を持つ人がいるとしても、それは随分違ってくるもんじゃないんですか? あの赤ちゃんと林檎腹さんのお父さんたちは血は近いですけど、遥か太古に別れた一族で、ウジカと近い血を持っている人がいるなんてことは、どうしても想像出来ないのですが……。たとえウジカと共通する祖先の生き別れだとしても……お互いの間には長い年月の流れがあります」
「遺伝子の共通点はね、“α”だけじゃないんだよ。その他の点でも、不思議なことに、ウジカとその骨の遺伝子は、驚くほど多くの共通性を発見出来たんだ。この資料を見て、数値がほとんど一致しているだろう?」
ジーニズは書類の束を二つ、鞄から取り出すと、それらを床に並べて見せました。エウムは上から見てみると、確かに両方の情報の数値がほとんど同じなのです。
「でも……どうして……?」
「私の説だけど、聞いてくれるかな。二つの可能性を考えて、まず一つは、ウジカとこの骨の人物は、単純に遺伝子が全く進化しなかったという説。しかしこれは、人間というのは環境が変われば、それに対応して体のつくりは変わっていくもの。遺伝子が全く変化しないなんてことは、あまりに考え難い。例えば……肉体が冷凍されて、時を超越して現代に生き返った……というような突拍子も無い理屈が無ければ、普通には考え辛いだろう。
だから、私が有力だと思う説はもう一つの方……近親相姦によって、他の血の入り混じりの無い、一族の純血によって代々生まれていったという説」
「エッ……!」
エウムは、驚きのあまり、口をアングリと大きく開けて、呆然とジーニズを見つめました。
「まあ、これも考えとしては非常に突飛だが、しかし何らかの理由か原因があって、一族の血のみで重ねていき、遺伝子情報にほとんど変化の起きないまま、今の時代まで受け継がれた……可能性は高い。もしかしたら……奇跡で、ウジカとほとんど同じ血を持った一族が、その密林に生きているかもしれない」
そこでジーニズは言葉を切り……しかし、と、次なる言葉を続けました。
「その森に入ることは、非常に危険なことだ……お医者様が病になられた、未知の危険な細菌たちが棲む密林だ……無事に生きて出られるかも分からないし、それに血がもし絶えていたら……」
暫く二人とも黙ってしまいました。するとエウムが、ウジカの車椅子に近寄って、彼の肩を抱えて、彼をベッドへと運ぼうとしました。
「ああ、手伝うよ」
ジーニズは彼の肩を持って、エウムは足の方を掴んで、ベッドに静かに寝かせてあげました。勿論、背中の花を上にして、窓に近い方に頭を置きました。
「この部屋の良いところは、日当たりのよさだよ」
エウムはその言葉を聞いているのかいないのか、無言で、ウジカの花を撫でてあげています。まるで、簡単に壊れてしまいそうなガラス細工に触れるように、優しく……穏やかに……。
「ジーニズさん」
「……なんだい」
「あたし、行きますよ。その森へ」
エウムは顔を上げてジーニズを見ました。その表情は、どこか儚げに……薄い不安の感情が混じりながら……しかしまたそれとは逆の、強固な覚悟も籠められた、悲壮な、たくましい顔でした。
「ウジカを治すのに……血縁者が必要……なんですよね」
「ああ」
「……分かりました。ジーニズさん、今日はもう、遅いです。もう今夜は休みませんか」
「そうだね、これからもっと大変になるしね……休める時はしっかり休もうか」
「ハイ」
「それじゃあ寝る前に確認しておこうか。とにかくは、この赤ん坊の回復のために、君たちの故郷へと行こう。そして林檎腹の家族の者にお願いをする。そして赤ん坊を治した後、そこから海を渡り、秘境の密林へと向う。そこが全てだ。
明日は一日、旅の準備をしよう。食料や、あと様々な薬品も手に入れなければ。森にはあらゆる危険がある、あらかじめワクチンを投与したりなど、万全を期せねばならない。あと……エウム、明日は朝一番で、林檎腹の花の所へ案内してくれないか」
「ア……はい」
「私は、そこへ行かなくてはならない」
ジーニズは、赤ん坊のお腹のアザを撫でてそう呟きました。