47:血縁者
ジーニズは息を切らして、街のあちこちを駆けずり回っていました。大通りに差し掛かり、保安隊の派出所を見つけると、入り口の前に立番している保安員に訊ねました。
「車椅子をひいた女の子を見かけなかったですか、私の連れでして……」
「いえ……行方不明ですか?」
「ええ。車椅子には男の子が眠っています」
「私は二時間ほどこうして立ってますが、その間に車椅子をひいた子は見かけてないですね」
「そうですか」
「……何でしたら、捜索願を出しますか?」
「いえ、そんな大げさなことじゃないので。それでは、失礼」
詳しいこととなるとウジカのことも説明しなくてはなりません。それは出来れば避けたいことでした。ジーニズは頭を下げて、また街の中を走り出しました。
あちこち回っているうちに、段々と人通りの少ない道へと出てきていました。通行人のまばらな、静かな裏通りを、コツコツと硬い足音を立てて、幾度か角を曲がった時、
「ジーニズさん」
ハッと気付いて、ジーニズは足を止めました。すぐ側に、泥だらけになったエウムがいました。車椅子のウジカも、いまだ昏々と眠りながら側に連れられています。
「ゴメンナサイ、探してましたよね……夜になってしまって……」
「ああ……まあいいよ。……夜、ああ、もう夜か」
ジーニズは顔を上に向け、立ち並ぶ建物の隙間に見える空を見上げました。ジーニズのその目のせいで、辺りが暗くなっていることに気付かなかったのですが、確かに、既にもう星の光が瞬いていました。
「どこにいってたの? ……エウム、それは、」
ジーニズか指差した先……エウムの腕の中に抱かれた赤ん坊、その小さな子を、エウムは裾を少し上に捲り上げて、体を包み込んでいました。
「よく分からないんです。けど、この子……」
「エウム、貸してごらん」
エウムは赤ん坊を、ジーニズの腕の中に置きました。ジーニズは、眠るその子の顔をジッと見つめました。
「この子は……」
「きっと……多分、林檎腹さんの子だと思います」
「……まさか」
「いえ……さっき、ある家に行ってたんですが、そこにこの子がいたんです。近くに……林檎腹さんが、」
「いたのか!?」
「……いえ、既に……亡くなられていました」
「そう、か……」
「林檎腹さん、あの方の金の花が……輝いていました。とても美しく、眩しいくらいに」
「……そうか」
ジーニズは顔を上げてエウムを見ました。
「……とにかく、ここじゃこの子が風邪を引いてしまうな。とりあえず、今日はもう帰ろうか」
「ホテルに行くんですか?」
「……いや、私名義で買ったアパートがある。そこに行くよ」
そして、赤ん坊を含め四人は、夜の冷たい街並みを歩いていきました。誰も黙ったまま……エウムは密かに、ジーニズの向うアパートが、どこなのだろうか、何となく想像出来ていました。
行く先は、さらに人の気配が薄れた、群立したアパート街の一角で、一軒の小さなアパートの前で立ち止まりました。
「小さなアパートですまないね。庭に小さな倉庫があるから、私はそこで眠ることにする。君たち三人は仲の部屋で休んでね」
ジーニズは深く息を吐いて、感慨深く目を細めて、そのアパートの外観を見渡しました。今にはやや珍しい、一階建ての背の低いアパート。年代の経過を物語る、シミのように、黒く汚れのアチコチ付いた……白い外壁。庭に大きな倉庫が付いて、当時格安に借りれたこのアパート。お医者様の亡くなられた場所。旅立った後も、家賃は払い続けていて、ある時、管理人の人と掛け合って、最終的には部屋を買ったのでした。
とりあえず皆、アパートの中へと入りました。鍵を開け、扉を開けると、ムワッと白い煙のような埃が溢れてきました。
「ウワッ……凄い埃だ。何年ぶりだしなァ……」
クスクスという小さな笑い声が聞こえました。
「少し、掃除しましょうか」
「ああ、そうだね。雑巾で拭いて、サッと埃を取っちゃおうか」
「ハイ」
鞄などは扉の外の横に置いて、ジーニズは庭の倉庫から雑巾を取り出してきました。そして二人で、手早く部屋を掃除しました。エウムは床に屈んで下を、ジーニズはベッドや棚などの上の方を、水に濡らした雑巾で拭いていきました。ベッドは二つあり、一つは二人用なので、エウムとウジカは二人用に、赤ん坊はもう一方に寝てもらうしかありません。二人は一気に、簡単に掃除を済ませました。ジーニズはエウムの使っていた雑巾を受け取ると、彼女に言いました。
「さあ、エウムは先に寝てなさい。赤ん坊のことは私が見ておくから」
「そんな……あたしも見ています。だって、あたしがこの子を連れて来たんですもの」
「見るといっても、どんな具合かを調べるだけだから……先に休んでなさい」
「いえ、あたしも心配なんです」
「……そうか」
「…………」
「…………」
ジーニズは赤ん坊をベッドに寝かせて、携帯の聴診器を当てたり、仔細に調べていきました。
ジーニズは表向きは平静を何とか保とうとしていましたが、心の中では、驚きで必死に考えをまとめていました。かつて、一度だけ金花の村に行った時に、林檎腹に見せられた子供……その時の記憶を思い出すと、浮かび上がってくる子供の姿は……確かに十歳ぐらいの少年だったはずです。しかし、ここにいる子は、赤ん坊の姿……。この子は、あの林檎腹に見せられた子とは別の子なのか……いや、顔にかすかに面影があるし、それにこの子には特徴的な茶色い三角形の大きなアザがお腹の辺りにあり、それが記憶の子と同一であることを、明らかに示していました。縮んでいる……!
「……ジーニズさん」
「……なんだい」
「ジーニズさんは、前にも一度この子を見たことがあるって言ってましたよね。……治りますか?」
「…………」
「……どう、ですか」
「……エウム」
「ハ、ハイ……」
「この子の父親……林檎腹は、もう死んでいる……んだよね」
「ハ、イ……」
「クッ」
ジーニズは悔しそうに唇を歪めて、やりどころの無い怒りを叩くように、拳で空を切りました。
「そして……この子の母親も死んでいる……クソッ」
「あ、あの」
ジーニズはエウムの肩を掴んで、彼女の目を真剣に見つめました。
「いいか、エウム。ちゃんと聞いてくれ。このこと……これから話すことは、ウジカのこととも関係してくることだ。とても大切な話だ。きちんと聞いてくれ」
エウムは少し圧倒され、思わずゴクリと音を立てて唾を飲み込みました。エウムは言葉が出ず、真剣に見つめ返し、頷きました。ジーニズは、ややあって、一つ一つ言葉を丁寧に選びながら、話していきました。
「この子は今、大きく言って、二つの症状に見舞われている。一つは感染症、もう一つは……金花によるもの。
この子を初めて診た時は、前者の方ははっきりと原因が分かっていたが、その感染症に効くワクチンは特殊なもので、手持ちには無かったから、あの時に投与してあげることが出来なかった。だが、今いるこの国……この街の病院なら、そのワクチンは必ずあるはずだ。
だが、もう一つの症状……それを治すには、この子の……血縁者が必要なんだ」
「どういう、ことですか」
「……血だ。同じ一族の血を引く者の血液だ。それがあれば、何とか助けられるかもしれない。それが、私の長年の研究と、お医者様が生涯を掛けての研究を合わせた結果の結論なんだ」
「血縁者……ということは、例えば、林檎腹さんのお父さんやお母さんでも、大丈夫なんですか?」
「ああ、特にこの子と、血の繋がりが近ければ祖父や祖母でも……親子などのように親等が近ければ近いほど、一層理想的だが」
「でしたら! 林檎腹さんのご両親はまだ健在です! 村に戻れば……それで協力して頂ければ……助かるんですね!?」
「そうだね、祖父、祖母……出来れば父方の方の血液を頂けたら、きっと治せる。それが、唯一の……治療法……」
何故か、ジーニズの言葉尻が、穴の開いた風船のように、急激に小さく萎み、調子が沈んでいったことに、エウムは変な感じを覚えました。その時、急にエウムの頭の中には……何か黒い雲が立ち込めてくるような……そんなモヤモヤした不安な気持ちが、膨れるように広がっていきました。急速にエウムの心臓の音が、はっきりと分かるように音を立て始め、それがドンドンと、ひと鳴り毎に煩さを増してきました。最初にジーニズが、真剣な顔で「きちんと聞いてくれ」と「ウジカのこととも関係してくること」と……。
「ジーニズ……さん」
エウムの動揺は隠しきれず、声が崩れそうなほどに震えていました。
ジーニズは、目を一旦瞑りました。そしてまた、硬い眼差しで、エウムを見ました。
「……そうだ。ウジカと、この子の症状は、“ほとんど”同じものなんだ。だから、ウジカを治すためにも……彼の血縁者が、いる」
「そんなの……そんなこと、無理じゃないですか!」
エウムは唾を飛ばして、激しく激昂しました。顔を真っ赤にして、彼女はジーニズに駆け寄り、胸倉を掴んで、幾度も幾度も、ジーニズの胸を叩きました。
「ジーニズさんが言ってましたよね! ウジカは何百年も生きているって! もしそのことが本当なら、彼の両親が生きているはずが無いわ! それに! それに……私も、彼の両親や……家族のことなんて知らない……」
エウムは涙で顔を汚し、力尽きたようにズルズルと体を下ろしていきました。
「ウジカ……ウジカ……」
「エウム」
ジーニズは、しゃがみ込み、彼女と目線を同じ高さに、話を続けました。彼の口調は落ち着いていました。
「エウム、落ち着いて、話を聞いてくれ。私は、ウジカを治せる可能性があるからこそ、君に話をして、そして一緒に旅をすることを決めたんだ。だから……最後まで、簡単に諦めるようなことは言わないでほしい」
エウムは呆然とジーニズの言葉を聞き、ハッと顔の涙を腕で乱暴に拭いました。