46:光輝原野
やがてたどりついた先は、一軒の古い木造の家の前でした。柱が斜めに湾曲し、壁には亀裂が入り、その上に、壁一面にツタのような長い植物が這うように生えている、ボロボロの家でした。ツタは、干からびた土地に、長年生えているせいか、一部が枯れてさえいます。
エウムは、ゴクリと唾を飲み込んで、正面の入り口……扉が朽ちて無くなった、家の玄関の穴の向こうを覗き見ました。穴の先は全くの暗闇で、まるで光を中に寄せ付けない洞穴か何かのような、無気味な四角い穴でした。しかし、その中の闇の奥の方に、四角い光が見えるのです。洞窟の入り口とは反対側にある、出口のような光……その幻のような光に、エウムの目は釘付けにされました。あの穴の向こう側に、何か未知なる世界が待っているような……そんな幻想をエウムは抱きました。まるで知らない未知の街へと来て、いつしかエウムは街を探索する冒険者のような気持ちになっていたのでした。
エウムはまた唾をひと飲み……そして足元のウジカの頭と金花を見て、一緒にその暗い穴の中へと入っていきました。
床のあちこちが相当痛んでいて、歩くたびに嫌な軋み音を立てます。フト油断したら、ウジカの車椅子の車輪が下に落ちて、はまってしまいかねません。なるべく変な力は加えないように、慎重に気を配って、目の前の四角い光を目指します。周りの壁は、その光のおかげで、おぼろげながら何とか廊下の形は分かりました。
やがて、その先に到達しました。四角い光は、思ったとおり、部屋の中の扉の形がそのまま光っていたのでした。中の扉も朽ち果て無くなり、その前に幕のような物が、天井から吊るして張ってあったのです。しかし、この幕をよく見て、エウムは少し驚きました。小さい頃に母親から聞いた、光を通さない遮光の布だったのです。しかも目の前のものはかなり厚い布地で、ちょっとやそっとの光は完全に遮断してしまうほどのものです。それが、暗闇の中とはいえ、輝くほど光っているというのは、この先によほど強く光を発する何かがあるということ。そして、おそらくその光を発しているのは……。
エウムは、ウジカの車椅子を少し横に退け、手を幕へと差し伸べていきました。
「ッ、熱い……」
熱い遮光幕は、もう少し熱が強ければ燃えてしまうのではないか……と、触った手が少し痛く感じるほどに、強く熱せられていました。かいていた手のひらの汗もすぐに乾いてしまうほど、そのまま強く握って、恐る恐る、幕を開いていきました。隙間が少し開くと共に、細いわずかな間から、光が光線のように漏れ出しました。暗闇の廊下に射し込まれた、幾筋もの鋭い光……暗黒を鋭く駆け抜けて、あっという間に入り口の先まで到達すると、廊下の様子がさらに明るく映りました。真っ直ぐ進んだ廊下は、途中には幾つか道の左右に穴が開いていました。その様子からして……ここはアパートか何かの後のように思えました。丁度歩いてきた所が中央の廊下で、左右の穴はそれぞれの部屋の入り口でしょうか。そういえば廊下は随分と縦長でした。そして、その廊下の先に、一つの大きな部屋。輝く光の部屋。
エウムは、幕の残りを、一気に横に引きました。途端に、パッと恐ろしいほどの真っ白い光が、エウムを一杯に包み込みました。それは常人なら、瞬時に目が潰れてしまうほどの激しい刺々しい光でしたが、生まれた時から金花の咲き誇る光の村に住んでいるエウムには、本来は……さほどのものでもありませんでした。が、しかし、村から離れて久しい今の彼女にとっては、かなり辛いほどの眩しさで、思わず手をかざして目を覆いました。やがて、ただ白いだけだった世界に、エウムの目も慣れてきて、少しずつ辺りの様子が見えてきました。エウムは掲げた手を、ゆっくりと下げました。
そこは、まさに“光の園”ともいうべき世界でした。朽ち果てた壁や梁の只中に、一面に咲き誇る金花畑。花は壁やタンスの木などを突き破り、侵食するように生えています。家の中に、あの懐かしい金花の畑が、自然のように育っているのです。既に家の元の形は失いかけ、壊れ、そこには生命の原野が形成されていました。
とりわけ目を引いたのは、その原野の中央に咲く、何本かの、長い、太い金花です。それらは周りのものより背が高く、天に向って突くように(天井も壊れ一部に穴が開いています)、立派に咲き誇っています。よく見れば、その辺りの地面が少し盛り上がっているように見受けられます。
辺りには、濃密な香りが立ち込めています。そして、中央のその金花からは、その香りを一層強く漂わせているようなのです。
エウムの目は、もうすっかり光の明るさに慣れました。そして、ウジカは入り口の外に置いたまま……彼女はすっかりウジカのことを忘れてしまっていました……中へと歩き始めました。背の低い小さな金花を踏みしめて、中央へと、どこか吸い寄せられるように近付いていきました。そして……あと数歩というところまで近付いて、エウムは……ハッと、手を口元に当てました。
「リンゴッパラ、さん……?」
エウムはしゃがみこみ、盛り上がりの土をなぞるように手を当てました。半分が土となりかけていたそれは、元の姿をほとんど残していませんでしたが、エウムは直感的に彼だと悟りました。
「どうして、ここに、こんな姿に……」
エウムは驚きと共に、反射的に両手で、口と鼻を塞ぎました。林檎腹の背の花からの強烈な匂いに、むせそうになったのです。彼の花は、死しても、その肉体が土と変わり、本物の土と混じり、スクスクと育ち続けていたのです。丁度、彼の倒れた真上の天井の穴から、神々しく射す太陽の光が、彼の金花の成長を鼓舞するかのように光が当たっています。そしてその光が、金花の花びらに当たって反射し、辺りの金花も反射させ、恐ろしい勢いで光が渦巻いているのです。
「リンゴッパラさん、」
突然、ガタリと何かが崩れるような音がして、エウムは驚いて顔を上げました。辺りを窺って、林檎腹のいる奥……そこには元は何か棚と思しき大きな木の箱が、やはりボロボロに崩れて倒れていました。その後ろに……何かがいるような気配を感じました。
エウムはソロソロと、膝をついて背を低くして、その木箱へと、忍び足で寄って行きました。そして、恐々……その後ろを上から覗き込んでみました。
「…………ァ……ゥ……」
そこには……そこには、小さな小さな裸の赤ん坊が……半ば土に埋もれるように、泥だらけになって蠢いていました。
「……ァ……」
赤ん坊の口元が、モゴモゴと動いています。……土を口に含んで、噛んでいるのでした。
「アァッ」
エウムはとっさに手を伸ばして、赤ん坊の体を抱き上げました。赤ん坊はその間に、口の中の土を飲み込んでしまいました。エウムは少し驚いて慌ててしまいましたが、ふと、そういえばと、幼き頃の長老様のお話を思い出しました。肥沃な、元気な土は、食べてみれば分かる、良い土は美味しいのだと。
エウムは、しゃがみ込んで、ソッと……赤ん坊がいた辺りの土を、ひと摘み取って、恐る恐る舌の上にのせてみました。そして、ひと飲み。
「…………」
もうひと摘み……今度はさっきの二倍くらい取って、今度は少し噛んでみて食べました。美味しいです。
「(この子は……この土を食べて生き長らえたのかしら)」
エウムは腕の中の赤ん坊を見つめました。フゥと息を吹きかけて、顔に付いた土をはらってあげました。赤ん坊は眠っているのか、目をつむって、口をモゴモゴ小さく動かしています。
そして、林檎腹の花の方を眺めました。
「(……ここは一体……?)」