表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/56

39:ニースキーの父・保安官ナタール

 私らは彼の家に行く前に、服屋へ寄った。私のボロボロの身なりを見直して、もう少しまともな格好で会うべきだと思ったからだ。布が厚手の丈夫な旅衣は、風雨にさらされているうちに、破れたり泥に汚れたり、酷い有様だった。これから会いにいく相手が相手だし、キッチリとパリッとしたスーツにでも着がえようと思った。安いスーツを買うと、さっさと手洗い場で着がえて、ついでにボサボサに縮れていた髪を、水に濡らして適当に整えて、とりあえず多少は様になる格好になって、ようやく向った。

 その考えはどうやら間違ってなかったようで、ニースキーという青年の家は、なかなか立派な邸宅だった。彼の家の周り一帯は、広く高級な住宅街になっていて、敷き詰められるように建てられた家々の一角に、彼の家があったんだが、立派な門構えの中を覗いてみれば、大きく立派な木の扉がデンッと立っていた。大人三人は並んでくぐれそうな大きな扉だ。木の表面は美しいツヤを持っていて、さぞ良い建材を使って造られた代物だろう。いや、今私たちのいるこの小屋も、私が自分で修繕をしたりしたもので、その時に色々、建築について勉強したものでね。とにかく、その家を見ただけで、この家に住む人間の品格みたいなものが、強烈に伝わってきたよ。浮浪者のような格好のままだったら、きっとつまみ出され……いや保安隊に逮捕されていたかもしれないな。


 まあともかく、今一度、襟元や袖を真っ直ぐ綺麗に整えて、イーア君の方を見て頷いて、彼を先頭に、入り口へと入っていった。時刻は夕方頃、もしかしたら家には誰もいないかと思ったが、幸運なことに、扉を叩くと、すぐにパッと開かれた。

 細く整えられた立派な口ひげをたくわえた壮年の男……ニースキーの父親だ。一瞬間、お互いがお互いの姿、様子を舐めるように見合って、イーア君が先に口を開いた。

『こんにちは、お久しぶりです。イーアです』

『……なんだ、どうしたんですか?』

 父親はあからさまに不快そうに、一歩右足を後ろに退いて、体を斜めに傾けてこちらを見た。

『ごめんなさい、今日は私の方ではなくて、あなたにご紹介をする人をお連れしていまして……』

 イーア君は横に退いて、私を招き入れた。私は一歩前に出て、丁寧にお辞儀をした。

『はじめまして、突然、お訪ねしまして申し訳ありません。私は、ジーニズ・ホーチといいます』

『……ナタールといいます』

 父親……ナタールは硬い口調で返事した。

『私は……医者でして、今は金花についての研究をしているのです』

 この言葉を喋った瞬間、ナタールの表情がハッとなり、私を見る眼差しがとても真剣なものに変わった。思ったとおりだった。この国に来て、街中を歩いていて気付いたんだが、どうも金花がこの国に蔓延しているらしい……ということを薄々感じていた。私の変な癖で、街にいる人間の様子に、意識をよく配って観察してしまうのだが、街の隅の汚れた吹き溜まりにいる浮浪者たち……彼らの何人かに見られた体の異常な震え、それはおそらく金花によるものだろうということが想像出来た。いや、浮浪者だけではない、街を歩く、無気力そうな若者たち、彼らもまた私と同じく、瞳が白くなっていた。これは相当に根深く、金花の存在が街に棲み付いてしまっていることを表していた。だから、保安隊である彼に、『金花』という言葉を掛ければ、何らか反応を得られると思った。

 案の定、彼はすぐに態度を変えてきて、『中でお話を伺いましょう』と言ってきた。

 願ってもないことで、遠慮無くお邪魔をした。イーア君は、『私はこれで退出します』と言って、帰っていった。


 通された廊下、滑りそうな綺麗な廊下を通って、応接間へと案内された。ナタールは一人台所へ行ってしまったので、先に中に入って、豪奢な皮椅子に座らせてもらった。やや経って、ナタールが盆にのせたお茶を持って入ってきた。

『わざわざお茶をありがとうございます』

 とりあえず一口だけお愛想で飲んだが、早く話を聞きたかったので、すぐにお茶を置いて、さっそく本題を話し始めた。

『……それで、金花について詳しいことをどうしても知りたいのです。そのために少しでも情報を得られると思い、突然ながらお訪ねした次第です。ご無礼をどうかお許し下さい』

 ナタールは、とても真剣に話を聞いてくれた。彼はとても真面目な性格のようで、椅子に座りながら上半身を前に傾けて、こちらの顔を真面目な顔で見つめ、話す一言毎に頷いたりして、静かに黙って最後まで聞いてくれた。

 そして、私の話が終ると、『ご事情はよく分かりました』と、そして彼は色々と話をしてくれた。

『ご存知のように、私は保安隊にて仕事をしていますが、特に金花の取り締まりに関して深く関わっています。丁度、一年ほど前でしょうか、金花が、元々は裏で極少量出回る程度だったのが、急に大量に街に流入してきたのです。ことに若者の間で大流行するようになりまして、今ではただの学生であっても、手に入れるのは難しくない状況です。昔と違って、非常に安く簡単に入手しやすくなったのです。かつては一部の富裕層が……金持ちの道楽の一つとして、主に貴族などが使用されていたものですが、随分と変わってしまったものです。これはきっと、何か巨大な組織が関わっていて、このような事態になったのだと、我々は確信しました。

 金花は、原産の国では合法の秘薬として重宝されていますが、我が国では完全なる違法です。一時の快楽のために、後に迫ってくる激烈な苦しみのことを忘れてはなりません。そして、究極の悦楽の味を知ってしまったものは、やがて精神が崩壊し、堕落した人間へと堕ちてしまいます。その心地良さを知ったら、もう他のことに目もくれることなく、ただひたすらに金花の悦楽ばかりを追い求めていくことになります』

 ナタールは、できるだけ冷静を保とうとするように、極めて静かな声で話していたが、しかし言葉の響きの硬さから、内心の興奮を抑えきることが出来ないでいた。唇が絶えず細かく震えていた。

『私の息子の行方不明も、何らか金花に関しての事件に巻き込まれたものとみています。いつの日だったか、この家の門の前に、金花の花びらが何枚か落ちていたのです。信じたくは無いが、あいつは多分……金花を手に入れていた。そして、服用もしていた。あいつの部屋の机の引き出しにも、金花の花びらや種が入っていた。全く、馬鹿なことをしてくれたものです……』

 取り締まる側の者の子供が、金花を味わっていたというのだから、皮肉な話だった。

『ニースキー君の御学友にも、何も手がかりは無し……ですか?』

『ええ、というよりは、その友達も同じく、姿を消しているんです。おそらく三人は、一緒に巻き込まれたのだと思います。とても仲が良かったですからね、どこに行くのもいつも三人はつるんでいたんだそうです』

『もしよろしければ、ニースキー君の写真などありましたら、見せて頂けませんか? もし私も街で見かけたら、御連絡致しますので……』

『分かりました、少々お待ちを……』

 ナタールは席を立ち、部屋を出ていって、やがて一つ薄い紙製のアルバムを持ってきた。

『息子が自分で作ったアルバムみたいです。ここに息子自身も、その友達も写っていたので……』

 私はそれを受け取って、パラパラと軽くめくっていった。ナタールに指差されて、ニースキー君、あと二人の友達の顔も拝見した。その写真……ニースキー君の瞳がかすかに白く薄くなっているのが、微妙ながら分かった。

『失踪の原因がそれと直接関わっているのかは分かりませんが、確かにニースキー君は金花を服用していたようですね』

『分かりますか』

『ええ、ほんの微かですが、瞳が白く薄くなっているでしょう? それが一つの副作用なのです』

『……そういえば、あなたも』

『ええ、私も、金花を飲んだので、よく分かるのです。ただ、私の場合は無理矢理に飲まされたのですが』

『今気付きましたが……体中にも傷を……お辛かったでしょう』

『……ええ』

 私は、曖昧な返事を返してしまった。

『あと、これは非常にいき過ぎたお願いかと思いますが、もしよろしければ、保安隊に押収されたゾーク教授の研究資料を、見せて頂くことは出来ないでしょうか?』

『それは……出来ないですよ。あの事件の一切の資料は、隊内でも極秘資料として扱われていまして、普通の保安隊でも自由に見られません。全ては上層部に送られて、極秘に研究がなされているのですから。一般のあなたに見せられるわけがありません。ちなみに、私でさえその資料の中身を見ていません』

『そうですか……分かりました。あの、ではこの写真のアルバムの方を、お借り出来ませんか?』

『それならいいですよ、息子のですが、ご自由にお持ち下さい』

『ありがとうございます』

 とりあえず手がかりの一つとして、小さなアルバムを借りて、服の懐にしまった。


 それからナタールから、この街における金花に関しての現状を教えてくれた。実はつい先日まで一時期は、金花の流入が減っていたのだが、また最近になってぶりかえすように、沢山流れてきた。しかも今度は使用者の低年齢化が進み、年端もいかない小さな子までが、面白半分に、自由に手に入るようになってしまっていること。依然、犯人の手がかりが全く無いこと。とにかく状況としては最悪であることを、熱く語られていた。そして、一つ興味深い話が出た。

『現在、保安所に十一歳の男の子を預かっていまして、その子は保安隊・療養所で治療を受けているところなんですが、とにかく見ていて痛々しいほどの暴れようで……よほど体中に金花の毒素が染み付いているのでしょう、もう一切金花を断ってから、数ヶ月経つのですが、まだまだ峠を越えるきざしが見られないのです。寝床に縛り付けておいても、太い丈夫な紐を引き千切らんばかりに悶えるのです。あれが……あの狂気に満ちた姿が、わずか十歳程度の子供なのかと信じられないほどです』

『その様子は、分かりますよ。私自身で経験したことですしね』

『ママに会わせて……と、言うんです』

『……ママに?』

『ええ、何か幻でも見ているのでしょう。私たちが話しかけても、そればっかり言います。あの金の花の種を飲ませてって。でもですね、それが少し不思議にも思えまして』

『というと?』

『あの子は幼い頃から、母親から酷い虐待を受けていたんですよ。あの子を保護した理由も、実はそれが理由でして、丁度あの子の頭を鍋で叩かれそうなところを、ギリギリで家に踏み込んで母親を取り押さえたんです。母親の方はそのまま収容所の方へ送られまして、子供の方は体中の怪我のために療養所に送られたのですが、調べてみたら、傷よりも金花の中毒の方が酷い状態と分かりまして……。

 だから、あの子にとって母親というのは、恐怖の存在でしかないはずなんです。実際に、このことを聞くのは酷でしたが、母親のことについてどう思っているかなど、幾つか問うたのですが、一切口を閉じたまま、全身がガタガタと震え出して止まらないんです。ほとんど何も聞き出すことが出来ないのです……。

 金花の中毒による症状が出てきて、特に発作が最高潮に達すると……ママに会わせて……金花を飲ませて……と、必死の形相でせがむのです』

『それは、きっと……その子は、七色の光の向こうに、温かい母親の姿を見ているんですよ』

『七色の光?』

『ナタールさん、もし出来れば、その子に私を会わせて頂けませんか?

私も多少は医術を学んでいるので、その子に何らか力添え出来るかもしれないですし、直接患者を見てみたいのです』

『分かりました、それなら……大丈夫です。療養所なら私の顔も利きますし。ジーニズさん、何とかその子を……助けてあげて下さい』

『……分かりました』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ