37:若かりし頃のあの街へと
しかし、安心していられる時間は、短かった。金の花……あの症状が、またぶり返してきたんだ。だが今度は、体に多少の耐性が出来たのか、それとも体内に残った金花の量が減ってきたのか、一番最初に襲ってきた時よりは、その苦しさは多少耐えられる程度になっていた。しかし、全身がバラバラになるような痛み……特に今度は指先に強い痺れを感じ、そのまま細胞がケイレンを強めていって、コナゴナに砕けるのではないかと思った。私は手を、井戸の石の側面に叩きつけた。まだその痛みで誤魔化した方が我慢が出来た。やがて、その地獄の苦しみに耐えて、ようやく治まると、立ち上がった。この小屋へと戻った。
それから、この小屋での生活が始まった。勝手に入ったこの小屋だが、つい最近まで先住の人がいたらしかった。小屋の奥に、幾つか木の実などの食料が置いてあったからだ。どれも日持ちのする物ばかりで、おそらくここを使っていた人は、不定期に訪れては何日かここで過ごし、またすぐ旅に出る……という感じだったんじゃないかな。置いてある物が少なく、生活感をあまり感じなかった。今ある道具とかは、私が旅をして手に入れたものを集めたんだよ。
そしてある程度、落ち着いてきたら、私は再び旅に出た。あの金花の症状は、全く治まっていなかった。たび重なるぶり返しで、段々とその発作に慣れてきたところがあったが、今回の旅は、この症状がきっかけだった。なんとかして、自分で治したいと思った。
どこへ向うかということで、本来なら発祥の地である、あの村へ行くべきだったが、勿論、行くことは出来ない。そこで私は、この症状をもっと科学的な目で見るべきだと思い、昔、……若い頃に医術の勉強をして暮らしていた国へと、久しぶりに行こうと決めた。
ある意味、思い出の故郷へ帰るような気分かな。若い時分、私は医学博士になろうと、熱心に机に向って勉強していた時期があった。が、その頃の私は心の幼い若造で、学べば学ぶほど分からなくなる医学の世界の迷路に、段々と嫌気が差して、ついに全てを放棄して、その国を飛び出た。……その話は別の事になるから端折るが、とにかく、またあの国へ行こうと決めた。世界的にも、医術が最も発展している国として知られている所で、常に最先端の研究がなされているところ。早速、身支度を整えて、この小屋を後にした。
久々の故郷を訪れるというのは、気恥ずかしいものだった。もう何十年も前の記憶……街はすっかり様変わりしていて、行きつけだったバーなどはとっくに潰れていて、しかたなく、別のターミナルの前の店に入った。そこには沢山の……学生がいた。話している内容から、医学生なのはすぐ分かった。私は、すぐ隣に座っていた男三人組の一人に声を掛けた。
『君、ユ・ゾークという教授を知らないかね?』
三人はいっせいにギョッという奇妙な驚きの顔を浮かべた。
『ゾーク教授って……あの薬学科のゾーク教授のことですか?』
『ああ。実は私は久しぶりにこの国に来たんだ。ゾークとは古馴染みの知り合いで、彼と会いたいんだ』
『だったら街探さないで、保安所に行けばいいよ』
『どうして?』
『どうしてって……捕まってるから』
『捕まってる? 何かやらかしたのか?』
『生体実験ですよ。十人の被験者を殺して、無期懲役をくらっているんですよ。知らなかったんですか? 結構世界的なニュースになっていたと思うんですが』
『そうか……そうだったのか』
『知り合いみたいですが、会うのは不可能だと思いますよ。外部との連絡は一切遮断、厳しい刑務所に入っているんですから。実は僕らの学校の教授だったんですが、捕まって、いい迷惑です』
『奴は天才的な頭の持ち主なんだがな……確かに時に暴走する様子も見せていたが……』
『なんでしたら、一度、学校の方に行かれたらどうですか?』
そして、私は彼らに学校の場所を教えてもらい、店を出た。
ユ・ゾークは私の同期生だ。彼は本当に頭の切れる男で、飛び級という制度で普通の学生より六年も早く大学に入学した。だから同期生といっても、歳は六つ離れている。が、彼は物怖じしない性格で、歳の差、先輩、先生などが相手でも、堂々とした意見や主張をする男だった。時に彼は……その強引過ぎる発言などで、幾らか人に煙たがられてもいたが、しかし才能が周りの者を黙らせたんだね。彼は学生時代から、幾つも新開発の薬剤を作り出しては、公表していた。
奴の自宅には何度か行ったことがあるが、家全体が研究室となっていて、入り口の二重扉をくぐると、強烈な薬品の臭いと、機械の作動音がウンウン唸っていた。奴は大学に姿を見せる以外は、ずっと家にこもって研究していた。
奴なら……金花のことを、実際に見せれば何か分かるかもしれない。この国へ向かう時にすぐ浮かんだのが彼の顔だ。というより、もう既に金花については色々調べがついているかもしれない。彼は学生の頃から、ただの薬学知識だけにとどまらず、呪術、魔術などの類の、神秘学にまで手を伸ばしていたからな。勿論、方向性は薬学からで。
空は夕方頃、大学前に着いた。まだ多くの学生達は、勉強や研究に勤しんでいるようで、門の前にたむろしていた学生に薬学科の校舎を聞いて、そちらへ向った。
建物に入り、廊下を歩いていると、染みで汚れた白衣を着た若い男とすれ違った。彼に訊ねてみた。
『すみません、大変お聞きし辛いことをお訊ねしますが、ユ・ゾーク教授と親しい方と面会をしたいのですが、誰ぞご紹介願えませんでしょうか?』
その男はあからさまに嫌そうな表情を浮かべて、冷たい目で私を見た。
『あなたは誰ですか? この学校の関係者じゃない?』
『すみません、唐突に訊ねまして……。私はゾーク氏と古い友人でして、最近彼が逮捕されたという話を聞いたんですよ。彼とは学生時代からの古い仲間で……』
男は私の話を遮るように手を振った。
『ここでそのようなことを言わないほうがいいですよ。……とりあえず、ついてきて下さい。それで、私が今から会う教授に、お訊ね下さい』
私は彼についていって、階段を上っていった。
『ゾーク氏のことは、我々教授の間では禁忌となっていますから、うかつなことを言うとあなたも怪しまれますよ』
『私は……流れの医者のような者で、ゾーク氏の事件のことはほとんど知らないんですが、どういった経緯で……』
彼は振り返り、上から圧迫するように睨んだ。
『だから、そのことの詳しいことは、これから会う先生に詳しく聞いて下さい』
『す、すみません』
彼はまた前を向いて歩き出し、背中越しにボソリと呟いた。
『ゾーク教授は学生時代の私の恩師なんです。先生は奇人だから……よく誤解を受けるのは間違いないです。しかし、あの事件に関しては、私には少し納得し難い部分があるんです。……でも、もう服役をしているわけですし、意味の無いことです』
彼の気持ちに、複雑なところがあるのだろう。もうこれ以上は何も聞かずに、ただ黙って彼についていった。
『ラビスティ教授、私です』
『どうぞ』
扉を開けようとした彼は、続いて入ろうとした私を、手で制した。話をつけてくるから待ってろ、ということだ。彼が扉の奥に消えたあと、私は息をひそめ、静かに中の会話を聞こうとしたが、うまく様子をつかめない。と、すると、またすぐに扉が開いて、彼が中に入れと合図した。彼の横をすり抜けて、私も扉をくぐった。