31:手紙の主
「目が覚めると、そこは洞穴のようなところだった。しばらくモウロウとした意識で、頭上を見回していた。天井はかなり低い、立てば頭が着きそうなくらいだった。
そして私を助けてくれた人は、私の意識が戻ったことに気付いたらしく、横からノソッと身を乗り出して、上から被さるように覗いてきた。はじめは暗闇の影だったが、目が慣れてきて、彼の姿に少し驚いた。お腹が、まるで林檎のように膨れていたんだ。あれはおそらく何らかの病気だろう。
彼は静かな低い声でこう言った。
『ミズをのめ、ただしゆっくりだ』
彼の手から入れ物を受け取って、少しずつ飲んだ。生温い少し臭う水だったが、渇き切っていた私の喉にスッと染み渡った。
彼は別の水の入れ物を持って、それを自身の口に含んで、霧吹きのように私の体にかけた。よく見たら私は上着をまくられていて、肌に直についた水滴が、適度に冷たくて心地良かった。
そうして何十分か、一時間以上か、彼に介抱されてゆっくり休んだ。段々と気がしっかりしてくるにつれて、彼の姿がはっきり見えてきた。彼の背中に、花が咲いていた。それで村の人に助けられたと分かったよ。かなり村の近くまで来ていたのかもしれない。とにかく私はお礼が言いたくて、まだ目眩は治まってなかったようだが、上半身だけ立てて、彼と向き合った。
『助けてくれて、ありがとう。私は金花の咲く村まで旅をしているんだ。君は、ひょっとして村の者なのかな?』
彼は妙にニタニタと、皮膚の緩んだ笑みを浮かべてばかりいた。彼は頭にも何か障害があるのかもしれないと思った。
彼が話し出した。
『ムラへいくのは、やめたほうがいいよ。ヨソモノは、ころされるから』
『どういうことだ』
『ヨソモノは、ムラへは、はいれない。たくさんみはってるし、だれもいれないんだよ』
『そうは言っても……呼ばれてるんだよ。子供が病に冒されているって』
『やっぱり、アンタだな』
『……何がだ?』
『ヘヘッ、テガミおくったの、オレ』
『お前が?』
『いや、ほんとうにかいたのはオンナのほう。オレがテガミをだした』
『旦那かい?』
『ヘヘッ……まあそう』
『なるほど、偶然とはいえ、ここで出会えたのは嬉しいな。はじめまして、私は医者……と言うのは憚れるな、医術の研究をしている、ジーニズという者だ』
『オレはナマエないから、なんでもいいよ。はらがおおきいから“リンゴッパラ”とかいわれてるな。べつにたまたまじゃねぇよ。くるだろうとおもって、まってた。もうムラはちかいよ。オレがこうしてまちぶせてなけりゃ、アンタはムラにはいる、てまえでころされてるよ』
『ああ、ありがとう。どうも閉鎖的な村らしいな。ところで、その子供の容態はどうなんだ? 手紙では相当悪いように書かれていたし、正直、来るのがとても遅れた。相当悪化してなければいいんだが』
『しずかに、しずかに、ねむってる。けど、ピクリとも、うごかない。しんでいるみたいに』
『どういった経緯なのか、詳しく話してくれないか?』
『アンタは、ムラのことを、どれだけしってるんだ? イロイロきいたりしてるのか?』
『いや、正直なところ、ほとんど知らない』
『そうか。じゃあムラのギシキのことも、しらないんだな』
『儀式?』
『ハナのミツをのむ、15のトシのギシキ。ほんとうは15のトシではじめてソレをのむ。けど、あのオンナは、まだあのコがちいさいときにのませたから、それからドンドンおかしくなった』
『何故?』
『あのコはカラダがよわい、よくビョウキになってた。だから、あるひ、ネツがひどくでて、セキがとまらなくなった。あのオンナ、かなりあわてたんだ』
『それで、そのミツを飲ませた、と?』
林檎腹は静かに頷いた。
『それから……すぐセキは止まった。けど、ずっとねむったまま』
『村に医者ぐらい、いるだろう? どう言われた?』
林檎腹は静かに首を横に振った。
『あのコのことは、だれにも、だまっていた』
『…………』
『とにかく、それから、ずっと……』
『分かったよ。大体の事情は分かった。だが、症状を実際に見てみなければ、どうしようもない。やはり、村に行かなければ』
『だから、シヌって、いってるだろ』
『そのコを連れ出せないのか、ここに。どこの洞穴だか知らないが、決して清潔とはいえないが、背に腹はかえられないだろう』
『……わからない』
『何故だ? お前は事実、この洞穴にいるだろう。一緒に連れ出せないのか? ひょっとして、村の掟とかそんな事情か?』
『ちがう、そういうことじゃない。ただ……』
彼はそれから長らく押し黙ってしまった。何らか、言うに言われぬ事情というやつだろうか。苦渋の表情で、首をクイクイと曲げたりして、悩んでいたようだ。しかし、しばらく経って、決意を込めた眼差しを持って、顔を上げて、彼は言った。
『わかった、なんとしてもつれてくるよ。どんなメにあっても』
『……気をつけてくれよ』
そして彼は、私のために水と木の実を置いて、洞穴を出て村へと戻った。私としては、何とか上手くいくように祈って、彼の背中を見送るしかなかった。彼の介抱でいくらか気分は落ち着いたが、まだ目眩が少し残っていた。