29:小屋で三人、閑談
ぼやけた視界の先に……長老様が……
「…………ッ」
「起きたかね」
「…………」
「どうした? そんなにジッと見つめて」
「いえ……ジーニズさん、おはようございます」
「おはよう」
エウムは体をゆっくり起こしました。部屋にはタイマツがついていますが、外は幾らか空に明るみを感じます。鳥の声が爽やかに響く、濃紺の早朝です。
「もうじき太陽が昇るよ。半日足らずで目を覚ますとは大した回復力だな。いや、症状がずっと軽かったせいだな」
「あの、ウジカは?」
「ウン、そのことなんだが……」
ジーニズは何やら言い難そうに言い淀んで、机に近寄って本を取り、おもむろに何枚か繰りました。
「昨夜から診ているんだが、どうもあまりよくない兆候だ。一つ、決断の必要があるかもしれない」
「会わせて頂けませんか?」
「ああ、いいよ。じゃあとりあえず朝食を……」
「後でいいです」
「分かったよ」
エウムは一人で立とうとしましたが、寝台から腰を上げた瞬間、足に力が入らなくて倒れかけました。すぐにジーニズが肩を押さえてあげました。
「さあ、ゆっくり行こう」
「はい」
二人は扉の外へと出ました。一面の砂漠が目の前に広がりました。よく見ると、ジーニズの家は丘の上に建っていて、そこから見下ろした砂漠が広大に広がっていました。家は小屋と言っていいほどのもので、少し離れた所にも別の小屋が建っていました。どちらも年代による風化の傷跡が窺えるものの、柱はガッシリと大地に立っていて、何年もそこに建ち続けていた雰囲気を感じさせます。
「もう何十年も住んでいるが、この家はもっと前、おそらく建てられて百年は建っているんじゃないかな。実は、誰も住んでいる人がいなかったので、私が勝手に入って住み始めたんだ。中は砂だらけでとても汚れていたから、必死で掃除をしたよ」
あっけらかんと笑うジーニズに引きつられてエウムも笑いました。
「あっちの小屋だよ彼は。あちらは……まあ病室みたいなもので、エウムの寝台より良い物で寝ているよ。すまないね、寝台は二つしかないし、彼の方が重症だったから優先させたよ」
「いえ、むしろその方が良かったです。ありがとうございます」
扉を入ると、すぐ目の前に、大きな白い一枚布が天井から垂れ下げてありました。下をめくってくぐると、真ん中にベッドが……ウジカがうつ伏せに寝ていました。
背中の黒い花は、一本一本、腐った花びらや葉はむしり取られていていました。子房だけが残されていて、それらが一まとめに紐で緩く縛られて、頭を横の窓の方向に向けられています。
「とにかく、金花にとっては、太陽の光が大切だ。物が無いから応急にしかなってないが」
ジーニズはウジカの腕や額を触って様子を見ています。目を開いて、そして最後に金花の茎を撫で回して……エウムを見ました。
「どうやら完全に峠は越したんだな」
「え?」
「君がウジカを見て、また激しい発作でも起こすかと思ったんだが、完全に毒気は抜けたようだな」
「…………」
「君は、あまり金花の種を食べたりはしなかったのかね」
「あたしはあまり……友達や皆は隠れてよく食べていたみたいですが、長老様から食べては駄目だって言われてましたし」
「真面目に言うことを守っていたのが良かったってわけだな」
「はあ……」
「金花の種はね、幻を映す幻覚剤だよ。どんな『夢』でも見ることが出来る。故人や桃源郷に出会える。しかも『飛んでいる』間は最高の快感を覚える……。頭を痺れさせて、体中の器官が過敏になり、あらゆる刺激が全て快楽になる。覚えはないかい?」
「…………」
「君たちの村の人間は、皆、種や実を食べているはずだ。村を飛び出した理由は……まあおおよそ想像つくが、それで生きていて、なおかつほぼ回復もした。これは奇跡だよ」
「ジーニズさんは、村のことをよく御存知なんですね」
エウムは俯いて小さく呟きました。ジーニズは窓際へ行き、窓枠に浅く腰掛けました。
「私は色々な国に旅をしているからね、あの村へも一二度行ったよ」
「あたしはよく分からないんですが、金花って……一体“何”なんでしょうか」
「君の村の特産、だね」
「ジーニズさんの言う感じでは、あまり良い印象を受けません。何か危険なもののような言い方に聞こえます」
ジーニズは窓枠から腰を上げて、そのまま真下の床に、直に座り込みました。
「少し長くなるかもしれないが、私の話を聞くかね」
そう言って、左腕の袖のだぶつきに右手を入れて、小さな布袋を出しました。口を開き、中から小さな巻き煙草を取り出し、口にくわえ、一緒に取り出した付木で火を点しました。ひと口吸い込むと、顔を真上に上げて、息を細くゆっくり吐き出して、煙を窓の外へと流しました。