26:重複策動
ニースキーはヨロヨロと千鳥足で家へと帰り着きました。ガクリと足の力が抜けて、家の門に寄りかかって何とか持ちこたえました。
「(……ヤベェ……)」
これは……先ほど一気に金花を飲んだせいでしょうか。さっきから少しずつ感じていた、目眩や、手足の痛みが、時間が経つにつれて酷くなってきていました。
「(クソ……やっぱ五粒は多過ぎたかな……)」
今言っても後の祭り……しかし段々と引き裂かれるような筋肉の痛みと、吹き出るような汗と、凍えるような寒さは、段々と加速度的に増してきています。もはやもたれて立っているのも辛く、ズルズルと背中を門柱に引きずって、潰れるように地面に倒れ込みました。
ニースキーは慌てて、震える指で鞄を開けました。チャックは何度も詰まって、ようやく半分開いたら、腕を突っ込んで金花を掴むと、半ば無理矢理に引き出しました。花びらがチャックに引っ掛かって、数枚が散りました。数枚のノートも取り出して、その上に摘み取った種を一つ置くと、またノートを重ねて挟みました。そして上から、ペンケースで強く押しました。ガリッゴリッ……と種が、音を立てて潰れていきます。
上のノートを退けると、潰れた粉が少し舞い上がりました。そしてノートの一枚を千切って、それを丸めて筒にして、片方の穴に粉を、片方の穴に自分の鼻の穴を、近づけて……そっと吸い込みました。
「ウ……ァ……」
たちまち体中に、快楽の波がドッと押し寄せてきました。このやり方は、死んだ売人から聞かされた方法でした。普段やっている飲み物に溶かすやり方より、鼻から直接取り込んだほうが、早く効いて、そして効果も強いのです。ニースキーは一瞬のうちに真っ白く飛んでしまいました。
「フゥ……」
一息ついて、もう“いつもの”ニースキーに戻りました。ノート等をまた鞄にしまい、そして家へと入りました。
夕食を済ませ、しばらく自室で本を読んでいるうちに、頃合いの時刻になりました。窓の外を見ると、向かいの二階の一番左の部屋の明かりがついているだけで(この部屋の住民は徹夜で何かしているのか、いつも電気がつきっ放しなのです)、周りの家はほとんど真っ暗です。ニースキーは玄関に向かいました。父親はまだ帰ってきていません。ここのところ、暗いうちに帰ってくれば良い方で、たいていは日の出の見える朝方に戻ることばかりです。近年の治安の低下を見て、終日保安所に入り浸ってばかりなのです。なので、朝御飯で少し声を交わす程度の日常です。
ニースキーは忍ぶようにソッと扉を開きました。万が一、父親と出くわさないようにでしたが、誰も……道にも人通りは無いようです。誰にも見られぬうちにと、小走りで向かいました。
再びボロ家の前に戻ると、まだ二人は来ていないようでした。門前にしゃがみ込んでアゴを抱えて待ちましたが、なかなか来ません。あくびしてもう先に行こうかと思った頃、ようやく二人が一緒に駆けてきました。
「悪い、行きつけの店が閉まっててさ、別の店に寄ってた」
「何が?」
「何がって、ナイフ」
「馬鹿、まだ要らないよ。説明とか何も聞いていないんだから」
「ああそうか」
「そのナイフ、使うなよ。今後もな。アシ付くから」
そして三人で中に入っていきました。
「まってた、まってたぞ」
林檎腹はさぞ嬉しそうにニコニコ笑って出迎えました。
「じゃあ、ひとりこれだけずつもって、ふくろもあるよ」
埃だらけの棚から、泥で汚れたような茶色い布袋を引っ張り出して、そこに金花を詰め込みました。
「ああ、いらないよ。俺たちは自分たちで鞄を持ってきているから」
ニースキーは手で制して、肩に下げていた綺麗な鞄を見せました。
「俺たちのやりかたでやるから、そんなボロ袋で売りさばいてたら、すぐに保安隊に捕まるよ。むしろ普通の格好してたほうが誤魔化せる」
そう言って、林檎腹から袋を取ると、中身を出して自分の鞄に移し替え、ボロ袋は林檎腹の方に放り投げました。
「そうか……そうか……」
彼はどこか釈然としていないようなものの、頷いてボロ袋をまた棚にしまいました。
「じゃあ行ってくるよ。儲けたお金のほうは、明日の夜に来て渡すってことでいいかな」
「あ、ああ……」
「じゃあな」
そして三人は、さっさと外へ出て行きました。
「な、あのジジイ、呆けてるぜ」
「これだったら、“やらなくても”上手く誤魔化せるんじゃないか?」
「まあとにかく、もう少し信用を得てだ、何としても金花の栽培のやり方を聞くんだよ」
「で、これから本当に売りに行くのか?」
「しないよ。とりあえず明日学校に持っていこうぜ。欲しがってる奴いるしな。とりあえずこの金花は学校で捌こう」
三人はそのまま分かれて、各々の家へ帰りました。
ニースキーが家に着くと、まだ父親は帰っていませんでした。今日も朝帰りなのかもしれません。さっさと部屋に戻って、鞄はベッドの奥に滑り込ませておいて、眠りにつきました。
翌朝、ニースキーはいつものようにパンにバターを塗って食べていると、ドアが開いて父親が入ってきました。父のまぶたは、連日の徹夜の仕事で重だるく垂れていましたが、その真ん中の目が非常な険しさを持って、ニースキーを見つめています。
「どうしたの?」
「お前、夜中に何か物音とか、外から聞こえなかったか?」
「……いや」
「そうか」
そして父も席に座って、テーブルの皿の上に重ねて置いてあるパンを、一つ掴んで食べ始めました。
「何かあったの?」
不思議な不安の気持ちが、ニースキーの口を突き動かしました。
「いやな、家の前に、金花の花びらが落ちていたんだ」
「フゥン……」
ニースキーはつとめて冷静に声を返しましたが、その実、胸の中では、ジワリジワリと不安が……それは例えるなら泥のような重々しい波が、胸の底から喉に向かって湧き立ってくるような……そんな息の詰まる苦しさを感じました。父の見た花びらは勿論、昨日自分がせっぱつまって“吸引”した時に、慌てて金花を取り出した時に落ちたものでしょう。あの時は、発作が落ち着いたことに安心して、周りのことに注意がいきませんでした。
「よりによって、保安官の家の前で、堂々、金花を売るとは不敵な奴だ。ふざけやがって」
父親はその怒りを表すように、荒っぽくパンを噛んで飲み込みました。
「お前も何か見たり知ったら、必ず私に教えなさい。金花は必ず根絶させねばならん」
「そういえば、お父さん」
「ん、なんだ。何か知っているのか」
「いや、最近、金花のこの町への流入が減っているって話を、この間の事件の取り調べの時に、保安官の人から聞いたんだけど、もしかしてアジトが発見されたのかなと思って」
「ああ……アジトが見つかったってわけじゃないが……何か組織に“事故”が起きたんじゃないかって話だ。実状としては、金花の流入は最近、激減している。ただ、まだ一部の隠れた連中が、ひそかに金花を栽培しているんじゃないかって噂だ。これまでは、ある一つの巨大組織が仕事を一手に、売り捌いていたと思っていたんだが、どうも個人でやっている輩もいるらしいと分かってきた。その個人単位で探っていくのは難しいんだ……」
「そう」
保安隊の調べは、思った以上に早く進むかもしれません。ニースキーは黙々と食べ続けていますが、急速度に頭を回転させて考え耽りました。
「ごちそうさん」
そして食べ終えると、さっさと立って、家を出ました。