21:爆発する狂気
それから……2回の昼夜が過ぎ去りました。闇の中に、二人は折り重なって倒れていました。ついにエウムの足に限界がきました。膝がガクリと折れて、力尽きました。ろくに食べ物や飲み物が無い上、ウジカを背中に背負って歩いているので、エウムの疲労は凄まじい勢いで溜まっていきました。
一夜歩き続けても、どこまで歩いても、岩と石と砂の砂漠ばかり。全く変わりの無い景色に、次第にエウムの気が狂い始めました。ふつふつと怒りがこみ上げてきて、時折地面を蹴ったり、岩を叩いたり。しかしそれでは、ただ自分の手足が痛くなるばかり。やがて、体力の消耗が、怒る力さえも奪ってしまいました。ただ黙々と、星を睨むように見続けて、右足、左足、右足、左足、右足……と、人形遣いが人形を動かすような感じで、自分の体をとにかく前に進め続けました。
やがて意識がモウロウとぼやけ始め、目の前の景色がグルグルと回転し、真っ直ぐ歩くことさえもままならず。そしてついに、いつ倒れたのかも分からず、いつのまにか地面に突っ伏して倒れていました。
体中は傷付き、流れ出た血に砂埃が無茶苦茶に付き(汗は、水分が体からもう全て出切ってしまったのか、かさついたままでした)、汚れに汚れて真っ黒。地面に転がる二人の影は、遠くから見れば、生気の無い小岩か何かのように見えることでしょう。
エウムの意識は、もうほとんど失っていました。薄く細く開いた目に、風が吹いて砂粒が入っても、全く気付かないように目は半開きのまま。長い時間、二人は黒い塊となって、微動だにせず倒れていました。
やがて、時が過ぎると共に、次第に黒い空から星の姿が消え、青みを増していきます。やがてまた、規則正しく、太陽の顔が、地平からヌッと顔を出してきました。黄金に輝く砂漠……その光が、エウムの僅かに開いた目にも射しました。
金色。黄金色。金。金。金。金。金。
そして、それは唐突に、起きました。
止まりかけていたエウムの心臓が、一度、とても力強い勢いで跳ねたのです。その胸のひと突きで、エウムの顔に赤みがザッと差しました。またひと突き、今度は閉じかけの目が、パッと丸く大きく開かれました。またひと突き、今度は彼女の肺をよみがえらせ、止まりかけていた息が、一度強く吸い込み、砂を飲んでしまい咳き込みました。またひと突き、エウムの混濁した意識が、一気に真っ白く冴え渡っていきました。
エウムはいきなり、何か突然どこかから強い力を注ぎ込まれたように、それまでの死に掛けた様子からは想像も出来ない勢いで、スクッと立ち上がりました。背中に乗っていたウジカは、ずり落ち、放られた人形のように力無く地面に落とされました。その衝撃で、ウジカの目が……ぼやけて視界の定まらない目が僅かに開きました。
エウムは、両手で硬い拳を、あまりに強くて震えるほどに力を込めて握り、地平線の太陽の方を睨みつけています。その目の瞳は、眩しい太陽の方を見ているというのに、白目を埋め尽くすほどに大きくなり、エウムの意識は、段々とその太陽の黄金の光によって、塗り潰され、消えていきます。
ギラギラと、どぎついほどの金色。放射状の光線が、エウムの脳の“表面”を削り取り、核なる意識が浮かび上がってきます。本能の意識。能力の開放。
突然ガクリと、首が折れたように傾げました。そして足は……ゆっくりとウジカの元へと進み出しました。黒い瞳は相変わらず大きく開いたままどこを見ているのか分からない光の無い目をして、口は薄く開いた中は歯を激しく強く噛み締めていて、そしてその表情は死人のように冷たくのっぺらぼうです。
硬く閉じられているように思えた口から、得体の知れない声……音が漏れていました。それはまるで猛獣の唸りのような、あるいは大地が震え軋み崩れようとする音というべきか、とにかくおよそ人間の口から漏れるはずの無いきちがいじみた声です。
ウジカの視線の隅に、エウムの異変が映ると、閉じかけていた瞳を、パッチリと大きく見開きましたが、エウムが恐るべき足の速さで迫ってきて、なす術も無く、ウジカの首に彼女の両腕が巻きつき、締め始めました。
「ウー……ウー……」
洞を吹き抜ける風のような声を漏らし、ウジカは悶えました。エウムの指一本一本が、首筋の肉に突き立てられ、埋め込まれていきます。
「ァ……ゥ…………アッ!」
そしてエウムは、ウジカを力任せに、地面へうつ伏せに押さえつけました。そしてエウムの片手が、ウジカの背中の、黒い金花へと伸びていきました。鷲掴みにし、指の間に茎を絡め、思いっきり無理矢理に引っ張りあげました。ビリッ……という音と共に、茎の先の細い部分が、少し千切れ取れました。
「アァアッ!」
ウジカは、体と同化している金花の、引きちぎられた痛みに、あらん限りの絶叫を上げました。全身から脂汗を噴出し、突っ張ったように体が硬直しました。
エウムはその千切った屑を口に突っ込んで、食べると、またウジカの背中に手を伸ばし、絡めて、また力任せに引っ張りました。なかなか取れなくて、二度、三度、四度、五度、勢いをつけて引っ張りました。その度に、ウジカの叫び声は段々と、泣き声の混じった悲痛なものへと変わっていきました。エウムの腕は、普段のいつもの時ではありえないような、何か化け物の力を借りているかのような恐ろしい力でもって、ウジカを攻め立てます。
やがてまた、今度はしっかり指に絡んでいたので、数本の長い茎が、骨が折れたような嫌な音を立てて、ソックリそのまま抜けました。
「…………ッ!」、もはやウジカの叫びは声になりません。
エウムは勢いが付いて、後ろにひっくり返り転がりました。そして転んだまま、あまりに強く握っていたので茎が食い込んでしまっていて、それを引っぺがしました。手や茎は血だらけに染まっていて、それはウジカのよりも、エウム自身の手を切った血のようでした。ペロリと血を舐めて、そして茎を一本、丸かじりで口に突っ込みました。茎はとても固く、回して歯で削るようにしてみますがそれでも切れなく、先の方に口を移して細い花びら(真っ黒く変色しドロドロに溶けていています)の部分を葉の先で千切りました。暫く柔らかな部分だけを、黙々と食べ続けました。
ウジカはうつ伏せに、引っこ抜かれた背中の痛みに悶え、耐えるようにお腹の辺りで拳を握って、背中を丸めて縮こまっています。体を強張らせているせいで、茎の抜けた所に開いた穴から、黒い膿のような液体が流れ出てきました。
エウムは固い残りの茎を乱暴に放り捨てると、ウジカの背中へと迫りました。彼の両肩を掴んで馬乗りに押さえつけると、舌をダラリと垂らして、染み出た黒い液体を舐めとりました。背中の上に付いた分では物足りず、穴から掘り出すように舌を突っ込みました。
「ア……ウゥ……」
エウムは口を涎と黒い液でベドベドに汚しながら、しつこくウジカの黒い液を求めました。舌に、すくっては飲んで、すくっては飲んで。すると次第に、エウムの黒目が少しずつ小さく戻ってきて、獣のように唸っていた荒い息も落ち着いてきました。
そして、最後に一気に沢山すくい取って、ひと口で飲み込むと、エウムは目をグルリと回して、体中の力が抜けたように勢いよく倒れました。ウジカとエウム、重なり合って、死人のように全く動かなくなりました。
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