16:父親と母親
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エウムの朝は、隣の両親の部屋に入ることから始まります。そっと静かに扉を開けると、中ではお母さんが、寝床の中から顔だけ横に曲げて、「おはよう」と言ってくるのです。いつもお母さんはエウムより、早いのです。音のしないように慎重に扉を開けても、いつも起きていて。いつもエウムが言うより早く挨拶をしてくれます。
「おはよう」、そしてエウムは、トコトコとやっぱり静かに歩いて、お尻からベタッと、寝床のすぐ側に座り込みます。
「ごめんね、もうちょっとしたら、朝ご飯作ってあげるよ」
すまなそうに眉を曲げる母親に、エウムは何も言わず黙って……顔も決して悲しそうな風にはあえてしないで……ただ、朝なのにもう疲れたような顔した母親をジッと見つめています。
「ウウッ……」、いつもどおりに、母親はえずき出しました。病気です。
「ウ、ウ……」お母さんは少し体を起こして、寝床の上の方に置いてあるくずかごを取り寄せると、顔を突っ込んで……戻しました。
そして、いつもどおり、エウムは母親の背中に寄って、丸く小さな母の背をさすってあげるのです。こうするとお母さんは……、
「フウ……ありがとう。少し楽になったよ」
そして母は力の入らない様子で、両腕に力を込めて地面を押して、体を起こすと、
「じゃあ、ご飯、作ろうか」
そう言って立ち上がるのです。
「あたしも手伝う」
エウムも言ってついていくのです。
それは、本当に幼い頃、かすかに残っている記憶の中の母の姿。思い出すことは、いつもは母苦しそうに戻していた、そしていつも私のことに気を使ってくれた。
お母さんが死んだのはそれから何年も経たない頃。不思議と、涙は出なかったのです。ただ、いつものように……いつもとは違う安らかな顔をした母の死体を前にして、もしかしてと思って触ってみたら……冷たくて、そしてその後、母は木の板に乗って、父と長老様がそれを担いで、家を出て、村の中央の広場に造られた祭壇へと運ばれていきました。あたしも後ろをついていきました。
祭壇は、金花畑から持ってきた土でこんもりと少しだけ高くしたところに、木枠の壇が設けられ、そしてその上に母はしめやかに置かれました。すると長老が木枠の側に準備してあった、金花の束の、一本を持って、母の胸に置きました。次に、父が。次は、あたしが。あたしは、母がお腹の辺りで両手を重ねて組んでいるところに、花を持っているようにとその上に載せました。
ブワリ……と、両目の下まぶたに、涙が一気に膨れるようにたまりました。あたしは一回だけ瞬きをして、その雫を下に振り落としました。もう母はいないけど、あたしはまだいる。だから、母の分まで生きなければいけないと。
あの時は幼くて自分の気持ちがよく分かりませんでしたが、今思い起こせば、きっとそう思ったのだと思います。だから、あたしはあの時泣きじゃくりはしなかったのだと思います。
それからはずっと、父との二人での生活となりました。
父は、家に帰るのは食事と寝るためだけのような、いつもほとんど無口な人です。ウジカの世話をし出してからは、最初はそうとう気にしていたようなのか、少しあたしと離れて座ったり(でもあたしの方でも長老様から病気のことをよく聞かされましたから、自分としても最初は父に限らず村の男の人とは距離を置くように気を使っていました)、父があたしの行為を多少理解をするようになってからは、距離を置くようなことはなくなりましたが、かわりによくあたしの体調のことを訊ねるようになりました。それは時にウジカのことを厄介者だとあからさまに貶したりすることもありましたが、父なりの心配の仕方だったのだと思います。
父の仕事は金花畑の土地を広げる開墾でした。この村最大の産業は、金花を周りの諸国に売ることで、幾日か毎に長老様と部下が、大きな荷馬車に金花を詰め込んで、諸国へと旅立っていきます。
そして得た金貨で食糧を買い、村に戻ってきて、その食料を村の皆で分け合うのです。その中の果物や野菜には、ツンと尖った刃みたいな形のものや、丸っこくてツヤツヤしている宝石のように美しいものがあり、あたしはそれらを見て、村の外の遠くの諸国を夢見ていました。こんな美味しくて美しい食べ物があるなんて、きっととても素敵な国に違いない……。