15:二人でお絵描き
次の日は、雨。
次の日は、風。
そして、今日。
「どうしよう……」
エウムはずっと振り返らず歩き続け、村を出た日の三日前にもう金花畑を抜けると、しばらくは草原が続いていました。そしてその先には……どこまでも続く土と石ばかりの砂漠が広がっていました。
エウムは……エウムに限らず村の人間は、外交のために働く一部の人間を除いては、誰も金花畑より先の世界を知りませんでした。誰もが、きっと金花畑は永遠に地の果てまで続いていていると想像していたのでした。しかし、そんなわけは無いのです。
エウムは初めて金花畑の、金色の世界の果てを見ました。まだ草原に出たまでは、少し不安になったけれど、その日は雨が少し降って、濡れてしっとりとした草を裸足で踏みしめて、その冷たい心地良さに心を落ち着けられました。
しかしその草原は長くは続かず、すぐに目の前に、土と、石と、僅かの草の生えた、もう他に何も無い砂漠に出くわしました。その荒涼とした大地……それが永遠まで続くのではないかと思うほどの視界一面の荒れ果てた世界。何か自分が間違えたトコロへと来てしまったのではないか……これは何かの夢なんじゃないか。それくらい、エウムには目の前の世界が受け入れ難いものでした。
そして、途方に暮れ、まだ緑の有る草原から離れるわけにいかず、近くの小岩を見つけると、とにかく背負っていたウジカをそこに背中を当てて座らせ、自分も横に座り込みました。
「勢いで出てきちゃったけど……」
エウムはもう、村を飛び出したことを後悔し始めていました。しかし長老様のすることは絶対で、もしあの時に飛び出していなければ、きっと自分は重い罰を受けて、ウジカは……死んでいたでしょう。目の前でウジカが焼かれていて、それをなんとしても止めなければいけない……そう思ったら頭がカァッと熱くなったのです。
エウムは、自分が音を立ててよく燃えている火の中に飛び込んだ時のことを、ほとんど覚えていません。そして、長老様に対しても、仰られていることを遮ってまで、むきになって突っかかったのも、今にして思えば、どうしてあんなことをしたのだろうと、思い出すだけでびっくりしてしまいます。エウムは別に長老様のことが嫌いなわけではありません。
隣に目を向ければ、ウジカは元気は無いですが(この三日間、食べるものは出て行く時に失敬した少しの金花の種と、食べれそうな青草ばかりでした)、側に転がっていた小石を拾うと、地面に何か絵を描いているようでした。
「フフ、何を描いてるの?」
そっと覗き込んでみると、それは沢山の花の絵のようでした。しかし、茎が右に左に乱れるように描かれ、それはまるで……ウジカの背中の金花のようにも見えました。
「あ、そうだ」
エウムはその絵を見て、暫くずっとウジカの背中の世話をしていないことを思い出しました。ウジカは一生懸命、地面を睨むようにして一心不乱に手を動かしています。丸まった背中に、横から手を伸ばして、枯れたり曲がったりしている黒い金花を、丁寧に一つ一つ繕ってあげました。時間は幾らでもあります。
砂漠からは、乾いた埃っぽい風が、時折吹き付けてきて、目が痛みます。もう三日も、誰とも会わずに(背中にウジカはいましたが)、話もせずに一人でいます。エウムは、沈黙がこんなに辛いものだと、この時初めて知ったような気がしました。
ふと、目の前のウジカのことも思い出しました。ウジカも、自分が世話をしに行く時以外は、ずっと一人でいます。ウジカは寂しくないのかな? ふとそんなことが思いつきました。
「ねえ、ウジカ。ウジカのお父さんや、お母さんはどんな人?」
ふと何気なく、エウムはウジカにそんなことをポツリと訊ねました。しかし、ウジカは何も聞こえないようで、なにやらウーウー小さく唸りながら、まだ絵を描き続けています。花の絵は、さらに不気味さを増して、時に乱暴に手を振るって、上塗りにグシャグシャと絵を潰すように地面を削ったりしています。
「や、やめよ!」
エウムは急に、恐ろしい不安に駆られて、立ち上がると、足でその絵に砂をかけて消していきました。まるでウジカが自分自身を消そうとしているように思えたからです。
「もっと楽しい絵を描こうよ」
そしてエウムは、自分も近くから手ごろな小石を見つけて取ると、自分もしゃがみ込んで、なにやら絵を描き始めました。ウジカは、エウムのその姿をジッと眺めています。
「はは、あたし、下手だ」
どうやらそれは、ウジカの顔を描いているようでした。目は二つの虹のように、口はとても大きく開いて、とびきりの笑顔を描いていました。しかしそれは、まるで子供の落書きのようです。目の端は歪んでいますし、口元も、あごも、変な形です。
「……ウジカ?」
がっくりして、ウジカの方を恥ずかしそうに見ると、ウジカはまた何か絵を描いています。
それはさっきの怖い花の絵とは違います。それは、間違いなくエウムの顔でした。目の下に小さなほくろが描かれているので間違いありません。
「う〜ん、ウジカの方が細かいところまで描けててよっぽどそれらしいね」
それから二人は、エウムはお互いの絵を見て笑いながら、暫くずっと地面に沢山絵を描き続けました。驚いたのは、ウジカの絵の上手さです。あの「事件」の長老様の家を描いた時と比べれば、ずっと上手くそれらしく……いえ、今こうして描いているうちでも、段々と上手くなっているのが分かるほどです。
しかし、それと比べてエウムの絵は、どれだけ描いても最初と変わらず、酷いものです。
「凄いな、ウジカは……絵を描くために生まれてきたんだね、きっと」
今二人は、一緒になって、一枚の大きな絵を描いています。金色の花はエウムが、空の雲はウジカが、足元の一枚の画布に体をのせて、思いっきり伸び伸びと腕を振るって、大きな大きな村の絵を描いています。一体いつどっちからこの絵を描こうとしたのかは分かりません。ただウジカが凄く楽しそうに(顔は無表情ですけど、地面に寝転がって力いっぱい描いています)しているのを見ると、自分もつられて勢いづいてしまいました。
やがてもうお日様が地平線に沈もうとする時に、何とか全て描き終えることが出来ました。
「凄い!」エウムは思わず叫びました。
大きな絵は、それだけでも何か力強い、開放的な印象を与え、清々しい金花畑の金の村が、目の前いっぱいに広がりました。
エウムは、急に村のことを思い出し始めました。それはずっと小さい頃からの記憶です。