13:手を繋いだ二人
エウムは仕事が始まって、しゃがみ込んで一つ種を取り、香りを嗅ごうと鼻に近づけたその時、唐突な長老様の叫び声にびっくりして、持っていた種を地面に落としてしまいました。まさか香りを嗅ごうとしたことがばれて怒られたわけではないと思いつつ、自分に対して怒られたような気もしてしまい、ドキドキと立ち上がって、そちらの方を見ました。
「どうしたのかな」、隣で仕事を始めた(やはり彼女も同じように呆然と立ち上がっていました)仲良しノッポの女の子に話しかけました。
「ウジカって叫んだように聞こえたけど」
「…………」
「長老様、最近特に怖いよね。昔はそんなこと無かったと思うんだけど……エウム!?」
エウムは唐突に走り出し、長老様の方へと急いで向かっていきました。
「長老様!」、エウムは走りながら、息を切らし切らし、叫びました。広大な金花畑をひた走ります。
「あの! 何かあったのですか?」、ようやくフラフラとたどり着いて、膝に手を置いて落ち着こうとしながらも、真っ直ぐに長老様の方を見ていました。長老様の顔は厳しく、冷たい表情でエウムを見つめています。
「エウム、この花を見なさい」
指差された、黒斑の金花を見つけました。
「村に起こる災厄は、全て払い除けねばならぬ。この金花も焼き尽くす」
エウムの息はようやく落ち着いてきました。しかしすぐに荒々しい気勢をあげました。
「待ってください! もしかしてそれは……」
「ウム、残念じゃがウジカは、」
「待ってください!!」エウムは我を忘れて、長老様の胸倉に飛び込んで、顔のすぐ下から唾を飛ばしてかかりそうなほどな勢いで叫びました。
「もう手遅れじゃ」
「…………ッ」
エウムは長老様の胸を突き飛ばしました。
「こら! エウム!」
長老の部下か誰かの叱責の声など無視し、エウムはまた一直線に疾走……村の方へと急いで向かいました。
ウジカは昔に一度、死んでいるはずでした。ウジカの奇病が発覚した時、長老様はすぐに「焼き捨てよ」と、ウジカをあの木とワラの粗末な家の中に置かれたまま、火が付けられるところでした。
たまたまその時、エウムはウジカの家に遊びに来ていました。小さなエウムは好奇心が旺盛で、ウジカの背中のドロドロの花が、かえって何か変わったもので面白そうに思えて、たまに父親に隠れて(見つかると凄く怒って引き離そうとするのです)ワラの家に入り込み、背中の腐った花を触ったり(その時に花がボロボロと崩れて取れたりしたのもウジカにとっては良いことだったといえるでしょう)、またウジカの体を突っついたりして遊んでいました。
その火を付けられようとしていた日も、エウムは遊びに来ていました。
……長老が三歩前に出て、火の付いたタイマツを持って、ワラ家へと放り投げました。乾き切ったワラは一瞬の内で火が燃え移り、恐ろしい勢いで家全体を炎が覆いつくし、ゴウゴウと唸りをあげて焼けていきます。
「…………!」
焼ける炎の中から“ウジカ”の叫び声を聞いて、周りの見物人の村人たちの、幾人かが眉をひそめて、耳を両手で覆いました。
その時! 突然焼け落ちていくワラの間から、何かの影が、倒れるように外に飛び出してきました。
「キャア!」「ワァ!」、家の目の前で見ていた部下達がびっくりして、ビクリと体を退けて硬直しました。
炎に包まれた影は、土の上でゴロゴロと転がり、悶えています。
「いかん! 誰か! 水を!」
それは長老の命で、すかさずその声に反応したのは、エウムの父親で、慌てて井戸の方へと走って行って側に置いてあった桶二つに、水を一杯にくんで、両抱えで水を跳ね散らして持って行き、ザッと勢いよく流しかけました。すると、少し赤く肌の腫れた、二人の人間の姿が見えました。勿論、ウジカとエウムです。幸いだったのは、燃えていたのは外の服だけだったようで、少し肌は熱で赤くなっていますが、裸になっただけで済んだようでした。
それよりも、中からウジカの他に、エウムが出てきたことに驚きました。側で見物していた者は、ウジカの姿を認めると、ザッと二人から離れました。長老とエウムの父だけは、呆然と側に残っていました。
長老は、杖でエウムの目の前の地面の土を突きました。
「エウムか、お前、何をしておったのだ?」
エウムは煙や水に咳き込みながら、答えました。
「長老、さま、その、遊んで、い、たの」
「遊んで?」
その言葉には長老のみならず、周りにいた父親も、部下達も、いえそれを聞いていた村人の皆が驚きました。無理もありません、誰もがウジカのことなど避けたがり、彼の両親がいなくなってからは、ワラの家に近づく者さえ誰もいなくて、ほったらかしにされていると皆思っていたからです。
「エウム、お前、いつもあの家に行っていたのか?」、エウムの父が、燃え炭となった残骸を指して聞きました。
「え? う、ウン。ゴメンナサイ、言うとお父さん怒ると思って……」
すると何か父親はギクリと眉をひそめて、自分の背中の金花を見ようと首を後ろに回しました。金花は特に黒くも何もなっていませんでした。ホッと息を吐きました。
「馬鹿、この家には近づいちゃいかんと何度も言っただろう!」
「エ、でも、男の子がいるよ。背中のお花の真っ黒な子。皆、金色の花なのに、変なの」
「だから!」父親は手を上げて、エウムの頬を張ろうとしましたが、しかしピタリと動きを止めて、そのままゆっくり下におろしてしまいました。
「あの子は病気なんだよ。花が黒くなってるなんておかしいだろう? 病気がうつっては駄目だから、あの子だけ遠くに隔離……離していたんだよ」
その言葉を聞いて、エウムはハッとしました。
「ねえ、あの、あの子、そういえばすっごく痩せてたよ。ご飯はどうしてるの? 食べてるのかな」
父親はクルリと後ろを向いて、何か長老と話し始めました。
「すみません、娘がご迷惑お掛けしまして……あの、娘の方は……」
「ウム、あの疫病は金花に掛かるもの。女児には平気だとは思うが」
「ねえ」
「それでは……」
「ウム、エウムは毎日、家に帰っていたのじゃろう? だったらオヌシにも触れていたはずじゃ。しかし、何とも無いのじゃろう?」
「お父さん!」
「まあ特には……」
「まあいい、とにかくウジカじゃ。家には水をかけてしもうた。新たに焼くにはまた“棺”を作らねばな」
「…………」
「そうですね、一番にお手伝いさせて頂きます」
「ウム」
「ふう……エウム、エウム?」
後ろにいると思ったエウムが、いなくなっていました。
「あいつ、どこに行ったんだ。早く長老様に謝らなければならないのに……」
「まあいい、あの子には特に悪気はなかったのだろう」
「スミマセン……」
「よし、皆の者、ワラを沢山集めてきなさい。このウジカの上に被せてから焼くのじゃ。ワラが毒を覆って防いでくれるからな」
そして数人の部下と、父親がすぐに走って、村の集落の倉庫からワラを運んできました。とりあえず長老の目の前まで持ってきて束を重ねると、あとは女中がそれを持って、いまだ地面に突っ伏して転がっているウジカに、次々とうずたかく重ねていきます。肩に当たると、わずかに意識があるのか、モゾモゾと腕が少し動きました。
「ウジカの体をシッカリ覆い隠すようにな、隙間無く重ねていきなさい」
女中の中で一番歳のいった老女が、最後に丁寧に、汚く積まれた所を整えて、さて、全員ウジカのワラから後退り間を空けました。
「では、タイマツを」
長老の後ろに控えていた部下が、既に火をつけて準備してあったタイマツを、伸ばした長老の手に渡そうとしました。すると……、
「え、エウム!」
トットットッ……と、エウムが軽快な足どりで、長老の横をスルリと通り抜け、ワラの方へと走っていきます。
「おい、エウム!」父親が強い声で叱りつけても、エウムは聞こえないように走り続けます。腕を引っ張ってこちらに来させようにも、ウジカが気になってそれ以上エウムの方に行けません。
やがてワラの前に着くと、手に持っていた丸い何かを地面に置いて、せっかく積んだワラを除けていきます。さすがに周りの者、皆はザワザワと騒いで、そのエウムの仕草を、注意深く遠くから眺めています。
「さ、食べなよ」
ウジカの顔だけがワラの外に出ると、エウムは置いておいた丸いもの(よく見ればそれは調理用の鉢でした)を取って、サジで中身をすくって、ウジカの口にあてがいました。ウジカは暫くジッとしていましたが、ややあって静かにほんの僅かだけ口を開くと、エウムは強引にその中にサジを突っ込みました。喉に詰まったのかウジカは激しく咳き込みました。
「ヘヘ、ごめんごめん」
そして、エウムは立ち上がり、長老を、父親を、周りにいた皆の方を見つめました。
「誰もお世話する人がいなくて困ってたんでしょ。じゃあ、あたしがするよ。ねえ、それならいいでしょ、だいじょうぶでしょ?」
誰もが呆気にとられて、皆、口をポッカリ丸く開けてしまいました。
「おい、エウム、違うんだよ、これから焼くんだから。浄化され、天空の神のもとへと旅立っていくんだから」
「ねえ、女の子なら、病気は大丈夫なんでしょ?」エウムは長老様の前へ駆け寄って、何故か嬉しそうな顔をして訊ねました。
「ウ、ウム。この病は背に金花を持った男のみに掛かるもの。かつて同じ病にかかった者がいたが、女にはうつる様子は無かった」
「あたしがお世話をしてもいいですか? あたし、小さい子のお世話するの好きだし……ウジカはそんなに小さくないけど……これまでずっと遊んでたから、別に、同じだよ」
「ウーム、キチンと世話は出来るのか?」
「平気!」
「ウム……分かった」
「長老様……」
「じゃがな、今言ったように、ウジカは重大な病気なんじゃ。決してワラの家から外に出したりして、災厄を外に漏らしてしまうことだけは絶対にしないように。それは、いかなることがあっても破ってはならぬ約束じゃ」
「はい! 分かりました!」エウムはとびきりの笑顔で答えました。
「フフ」
「長老様!」
「のう、お前の娘じゃ。約束事は必ず守るじゃろう。この子はしっかりしておる」
「…………」
エウムは跳ね上がり喜んで、またウジカの方へ駆け寄って、口にくわえたままのサジをスポッと抜き取り、またご飯をすくってゆっくり口に運んであげました。
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