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 運命の日の朝、私は予定されている時間よりだいぶ早くカプセルの前に着いていた。中に入れば自動的に扉が閉まり、冷却が開始される。操作や緊急時の脱出方法についてはもう教わっているから、特にすることもない。赤くともったランプが無機質な白い部屋に浮いて見える。

 繋げられた二つの箱は何かに似ている気がしていたが、これは二つくっついているアイスだな、と一人頷いて、あくびをかみ殺した。今日はよく眠れそうだ。

 ほかのエリアでのコールドスリープはもう開始されていると聞いた。宇宙船の出港地に最も近いここが、最後の一つなのだ。

「あ、おはよう松田! 早いな!」

 声に驚いて振り返ると、制服姿の永井くんが入ってきたところだった。今日が運命の日だというのに、相変わらず場が明るくなるような挨拶だ。思わず口元が緩む。

「おはよう、永井くん。ちょっと緊張しちゃって」

「ああ、そうだよな。そんな日なのに俺、普通に寝て普通に来ちゃったよ。ちゃんと寝れっかなあ?」

「ふふ、それは問題ないんじゃないかな?」

「だといいけど!」

 困ったように笑って、永井くんはカプセルの前に立つ。スイッチを確認している彼からちらりと壁に大きく映し出されている時間に目をやって、私はもう1つのカプセルへと近づいた。

 そして、何度も頭の中で繰り返した言葉を口にする。

「あれ? こっちのカプセル、なんかおかしくない?」

「えっ?」

「ほら、これ……どこを押しても動かないんだけど」

「え、嘘、ちょっと貸して!」

 慌てて近づいてきた永井くんに場所を譲り、私は動くはずのないカプセルを見つめた。燃料の節約のため、カプセルには宇宙船との通信機能はついていない。絶対に直されない自信がある。

 頑張ってくれている永井くんに少し申し訳なく思いながら、私は黙って時計を見た。もう少しだ。

「っ、松田、これ駄目かも。どうしよう、もう一つに2人で入るとかできないかな」

「それは危ないと思う。こっちは大丈夫なの?」

「多分。でも……これじゃあ俺らのうちのどっちかが入れない」

「そっか……」

 私は少し考え込むふりをして、壁の時間が動いたのを確認する。もういいだろう。私はそうだと思いついたように口を開く。

「ねえ、永井くんって足速かったよね? 今から宇宙船まで行くことってできないかな?」

「……えっ?」

「あと二十分くらいで出発だよね? 2人ともカプセルに入ることはできないわけだし、私が走っても間に合わない。だから、永井くんは宇宙船に乗って、私はカプセルに入るっていうのはどう?」

 私はまっすぐに永井くんの目を見て言う。自分からこんなことをするのは滅多にないので、緊張で震えそうになった手を強く握りしめた。

 一瞬黙り込んだ永井くんは、意味を理解したのか、はっと我に返って声を上げる。

「そんなの無理だって! 松田を置いてけってことだろ!?」

「私はこっちに入るから平気だよ。それよりもここで2人とも死ぬ方がよくないと思う。私が走っても出発には間に合わないけど、永井くんの足なら大丈夫だよね」

「松田……」

 困ったように眉を下げて、永井くんは逡巡する。私は、彼に一つの選択肢しか与える気はない。彼は、自らカプセルに入る意志を持った私を覚えて、宇宙船に戻らなくてはならない。

「……あのさ、ちょっと聞いてほしいんだけど」

 声をかけると、迷子のような目で私を見る。ともすれば泣き出してしまいそうだ。確かにこの場面で私を見捨てるというのは、万人に優しい彼にとっては難しいかもしれない。私は、その背を押すべく言葉を選ぶ。

「私、小さいころから家族、いないんだ。しかも性格もこんなだから、友達もぜんぜ……いや、ほとんどいなくてさ。なんていうか、宇宙船乗るのも今さらって感じなんだよね」

「そんなことない! 松田にだって、心配してくれてる友達いるって!」

 いや、多分いない。高校生活での唯一の友人とも言える昼ご飯を一緒に食べていた女の子は、先日の一件で私より永井くんを好いていることが発覚した。

 ちなみに、結局彼女とは一言も話さずにお別れとなってしまった。結局永井くんと付き合っているのかとか詳しい関係はわからなかったが、体調を崩してずっと寝込んでいるそうだから、きっと永井くんのことがよっぽど悲しかったのだろうと勝手に思っている。

 昨晩もそうだったが、彼女にとって自分は無価値だったという事実をかみしめながら思い出すランチタイムほど切ないものはなかった。友達と楽しくおしゃべりしているとすっかり信じ込んでいた自分は、かわいそうなくらい馬鹿な奴だ。

 私は小さく首を横に振った。

「いや、悲しいことにいないんだよね。でも永井くんは今、あそこに友達も家族もいるじゃん」

「それはそうだけど……」

「私はほら、未来の私に期待っていうか、目覚めてから友達つくるから」

「――っ、でも、目覚められる確証はないんだぞ!?」

「だから、永井くんに行ってほしいんじゃん」

「えっ」

 目を丸くした彼は、普段より少し幼く見える。

 その天真爛漫さと誰も見捨てまいとする優しさは、こんな日にもヒーローとしての彼を輝かせる。私は、悪いと思いながらもそれを利用する。眩しすぎて目を合わせていられず、カプセルの方に目をやった。

「私のことを覚えててくれる……であろう永井くんが生き残ってくれたら、私はそれでいいんだよ。代わりに、もし私が生き残ったら、未来で永井くんのことを他の子たちに伝えるから。子供はできないかもしれないけど」

「そんな……」

 宇宙船もコールドスリープも、どちらも確実に未来が約束されるわけではない。私が、そして多くの大人たちが勝手に本当に未来のある子供たちが宇宙船に乗るべきだと考えているだけだ。

 永井くんは、いつもの笑顔からは想像がつかないくらい弱り切った声ですがるように言う。

「でも、もし目覚めて誰もいなかったらどうするんだよ。このカプセルしか残らなくて、人類滅亡とかしちゃったら――」

「えっ」

 正直それについては考えていなかった私は、口をついて出た言葉を否定しようと頭をはたらかせる。

 カプセルが無事で、地球で人間が生活できるような状態で、私がコールドスリープから何の問題もなく目覚めて、といくつもの試練を乗り越えなければそもそも私に未来はない。それに、他のカプセルが全滅するなんてことはものすごい確率なのではないか。確かにないとは言い切れないが。

 もし他に誰もいない世界で一人だけ目覚めてしまったら、私はどうなってしまうだろう。カプセルのままとか、出てすぐに死んでしまうのも怖いが、宇宙船も帰ってこないまっさらな世界で一人生きていかなくてはならないというのは、恐ろしいことかもしれない。

 ――でもそれは、昨日の夜と何が違うんだろう。今までと何が違うんだろう。

 ふと浮かんだ疑問に、私は内心首を横に振った。そうか、何も変わらない。学校でも町でも、たとえ人混みの中にいても、どうせ私が一人だということは変わらないのだ。

 私は唇を笑みの形にして、なんでもないことのように言う。

「あ、いや、大丈夫、私は世界で一人ぼっちでも普通に生きてくよ。多分慣れる」

 間が開いてしまったから、やはり少し不自然だっただろうか。永井くんは、私をちらりと見てから、眉間にしわを寄せてカプセルを見つめた。

「松田、やっぱり俺――」

「永井くん、時間がない。ねえ、このまま2人とも死んじゃったら駄目だよ」

「でも……」

「私のためにも、お願いだから行ってよ、永井くん。 ほら、早く!」

「――っ、わかった」

 意を決したように顔を上げた永井くんは、入口に向かって走り出す。

 出て行く直前に振り返って、私を真っ直ぐ見つめた。心臓を鷲づかみにされたような感覚がして、鼓動が乱れる。あの凛々しいヒーローにこんな風に見つめられる日が来るなんて、思ってもみなかった。

「松田、絶対戻って来るから。一人で眠らせたりしないからな」

「うん、ありがとう。待ってるね」

 永井くんはあの輝くような、きらきらとした自信に満ちた笑顔で一度頷いて、扉の外へ消えていった。あんな顔をされたら、こんな時なのに、なんだか無性に嬉しくなる。

 絶対に間に合う。私は目を細めて壁の時計を見つめた。進めたぶんから考えて、おそらく十分ほど余裕をもって到着するだろう。

 永井くんを宇宙船に乗せること。これが私の悪あがきだ。

 今からカプセルを修理するとなると出発を延ばす必要が出てくる。しかし、乗客たちを収容してしまった宇宙船では、エネルギーの無駄遣いは禁物だ。あの船はもう定刻通りに出港するしかない。良心的な大人たちは、子供たちがいることもあって、カプセルの故障で船へと逃げ込んできた『未来の子ども』を追い出すことはできないはずだ。

 私は安堵の息を吐いた。少なくとも彼は私のことを忘れないでいてくれるだろう。それに、たとえ目覚めることができなくても、希望の星である永井くんを宇宙へ飛び立たせることができたのだ。これで私のとるに足りない人生にも価値が生まれた気がする。一人ぼっちの未来でだって、生きていける気がする。

 私は時間を知ろうと携帯電話を取り出して、真っ赤な画面に苦笑する。カプセルに流し込んだのはこの新型ウイルスだ。意味がないと思っていたものに価値が生まれると、どうしてこんなに嬉しくなるのだろう。

 私はゆっくりとカプセルの中に入る。自動で扉が閉まり、温かな光に包まれると、急に眠気に襲われた。絶対戻ってくると、永井くんは言ってくれた。絶対だなんて、生まれて初めて言われた気がする。私は眠気以外の理由で自然と頬が緩んでいくのを感じた。

 ひんやりとした煙で視界が白く濁っていく前に、私の意識は暗く深い眠りへと落ちて行った。最後に私が胸に抱いたものは、絶望などではなかった。




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