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ついに来週、宇宙船が飛び立つ。学校は今日から休校し、一週間かけて旅立ちの準備をすることになっていた。
今朝開かれた全校集会で、永井くんと私が『未来の子ども』に選ばれたことが発表された。泣き崩れた女の子たちや、呆然と壇上を見上げていた男の子たち。彼らは皆、永井くんとの別れを心から惜しんだ。
もしかしたら私は恨まれたのかもしれない。取るに足りない、むしろ人より劣った地味な生徒がイヴに選ばれたのだから。だが、幸か不幸か、私が見た限りでは宇宙組の子たちはとにかく永井くんとの今生の別れを嘆いているようだった。
確かに、どうあがいても彼らが生きているうちに私たちが目覚める可能性はない。それほど長い間の航海と眠りが予定されているから、ほとんどの親たちは自分の子どもを連れて行こうと必死になっていた。大人たちはきっと、地球がどれだけ人類にとって絶望的な星か知っているのだと思う。『未来の子ども』たちは、住む場所としての地球をキープしておくための人柱なのだろう。
クラスの担任だった若い女の先生は、私に封筒を渡してからずっとふさぎ込んでいるようだった。正直、私に関して彼女が気まずい思いをする必要は全くない。地球がどうしようもないことを薄々感じてはいたし、人を押しのけてまで生きるほど自分の命に価値があるとも思えなかったので、尊い犠牲として地球に残ることに異論はなかった。正直自分でも、松田チトセはいい物件だったと思う。
勿論長生きはしたかったけれど、コールドスリープが成功すればある意味その願いは叶う。だから先生には何の罪もないし、泣きそうになりながらまるで命乞いをするみたいに私の手を握って謝る必要もなかった、と思う。
まだ痺れが残る両手を閉じたり開いたりしながら、私はがらんとした校内を歩いていた。いつも一緒に昼ご飯を食べていた友人に一言挨拶をしようと思ったのだ。
長年愛用している携帯電話を取り出してみたが、画面に目をやった瞬間に全く意味がなかったことを思い出した。よりによって一昨日たちの悪い新型のウイルスに感染してしまい、画面が真っ赤になっているのだ。こんな状況でもデジタル世界のウイルスは進化するのかと呆れながら、何を押しても動かない携帯電話をポケットにしまった。
大分歩いた末に二階から中庭を見下ろすと、探していた彼女が立っているのが見えた。声をかけようとして、私は慌てて口を閉じた。一人ではなかった。あの悲劇のヒーローが一緒だった。
思わず柱に身を隠す。見てはいけないものを見てしまったような気がした。私の前ではいつも朗らかに笑っていた友人が、彼の前で泣いていた。肩に食い込む鞄のひもを強く握って、静かに深呼吸する。
もう一度注意しながら覗くと、永井くんが彼女に何か言っているのが見え、次の瞬間、友人の姿が見えなくなった。今度こそ私は見ていられなくなって踵を返した。永井くんは、友人を抱きしめたのだ。
間が悪いのはいつものことだが、こんな時まで私を追いつめなくたっていいと思う。何が悲しいのか、いや、腹が立っていたのかもしれないが、わけもわからないまま私は目元をぬぐった。彼女の綺麗なそれとは違う、何の価値もない涙が袖を濡らす。
彼女は友人だ。ただの、昼ご飯を一緒に食べるというだけの友達。それは紛れもない事実だ。そのくせ、彼女は永井くんよりも私のことを思ってくれるとどこかで勘違いしていた。わかっていたくせに、裏切られたような気がした自分が情けない。
物心がついたころから理解し、覚悟していたことだった。結局この世界中を探したって、私のために泣いてくれるような人間はいない。
夜はなにやら重苦しいものがやってきて、大抵の場合ネガティブになる。
明日はついにカプセルに入る日だというのに、いつものように小さなベッドの上で膝を抱えるしかない。宇宙組は出発に備えてもうすでに方舟、もとい宇宙船で生活しているから、普段からがらんとしている学校の寮には本当に私一人しかいない。
何を恐れることがあるんだろうと私は思う。今この状態がすでに、地上で自分しかいないという状況とほとんど違わないじゃないか。小さい時からずっと、こんな感じで生きてきたじゃないか。膝に爪を立ててみて初めて、自分が震えていることに気付いた。
私は一人でも眠れる。本当は一人でも生きられる。気づいたら家族がいなかった私は、幼いころから孤独に耐える訓練を受けてきた。クリスマスもお正月も誕生日も、そもそもないことが普通だった。学校に行って友達ができて、それで気が緩んでいたのかもしれない。皆にはあるのに自分にはないものを寂しいと感じるようになった。だがそれももうすぐ終わりだ。また一人に戻れば、すぐに平気になるだろう。
――でも、彼はどうだろうか。
ふと、赤茶けた髪の毛がよみがえる。いつだって仲間に囲まれて、楽しそうに笑っていた永井くん。何人もの学友が別れを惜しんで泣くほど、深く愛されているヒーロー。同じクラスというだけの私なんかにも、いつも声をかけてくれた。
いくら遺伝子的に相性が良いからといって、私なんかと地球に残るなんて気の毒すぎる。憧れの人には幸せになってほしい。そしてできたら、大切な友人を幸せにしてあげてほしい。
私は顔を上げる。窓から見える宇宙船は大きく、夜空の半分を覆い尽くしている。あの大きな鉄の塊は、どこかにある幸せな未来のために、真っ暗な世界へと旅に出ようとしているのだ。窓に手を当ててみると、掴みきれなかった光が指からこぼれ落ちていった。
結局あの船に私はいない。出発まで一度も会えなかった友人の中にも、生徒への罪に脅える先生の中にも、覚悟を決めて誰よりも勇ましく冷凍されようとしている私の姿はないのだ。それはちょっと切ないな、と、私は頬杖をつく。
最後くらい、自分勝手なことをしても許されるだろうか。それなら、いくら取るに足りない存在だとはいえ、誰かに私のことを覚えていてほしい、かもしれない。
――それだ。
久しぶりに強い欲求が姿を現したところで、私の頭は勝手に作戦を練っていた。
才能も運もない凡人がヒーローになるには、チャンスを掴むしかない。例えば誰かを救うとか、誰かを助けるとか、誰かを庇って死ぬとか。私は身を乗り出して宇宙船を見上げた。もしかして、絶好のチャンスというやつが、今ここに転がっているんじゃないのか。
重苦しいものがその体を退けたのを感じる。もはや恐怖感などなかった。ネガティブも突き抜けてしまえば情熱になる。やりたいことを、やるべきことを見つけたのだ。私は上着をひっつかんで玄関へと走った。
遠く離れた場所で眠ることになっているアダムとイヴたちに、心の奥底で裏切りを詫びる。どうかあなたたちが一組でも多く元気に目覚めて子供を産んで、明るい未来を築いてくれますように。
私は、松田チトセの生きた証が欲しいから、一人で眠ることにする。