続・スガタカタチ
「どうぞ?そのあたりにかけていて」
『あたくしに気安く触れんじゃないわよ』
と主張してそうな、皮脂油膜に神経過敏な管理者でもいるのかツヤッツヤの家具類。
床面を境界にして実像の世界が足元にも広がる、どこまでも続く反射率の高い乳白色の大理石。
現実離れした景色に、顔からはじめ全身が引きつる。
彼の声に遠慮しようかと惑ったが、どうしようもない。ので、結局お言葉に甘えた。
拉致拘束及び連れ去られ後、眼を開けるとそこは王女の部屋に劣らない広さの部屋だった。
壁に開いたアーチや扉がいくつか眼に入る。しかしこれのどれが空間の終りに繋がるのか見当もつかない。
結論、出口不明。帰れない。
何が困るって、王女が居ないところで連れ去られてしまったことだ。席を外す旨を伝えないままの失踪は、立派な職場放棄だ。冗談で無く、明日は無職の危険性をはらんでいる。
このままでは住所不定無職無戸籍……情けないのを通り越して犯罪の香りさえする!
そわそわと落ち着かない私に気づいた魔女は、次いでああ、とにこやかに言った。
「そんな直ぐ襲わないから安心して?あ、お風呂の後の着替えの心配なら大丈夫、下着もあるからね。ちょっと私の趣味が入ってしまって申し訳ないんだけれど。脱がすことが目的だから、遠慮なく受け取って?」
「遠慮無用の後ろに見過ごせない陰謀が見えてます結構です」
いつも見る限り、魔女はあらゆる装いを品良く着こなしている。まさかヒョウ柄にゼブラと市松模様を合わせるような斬新なスタイルに、インナーはさらし&赤ふんどしのコラボ☆なんて要求はされないだろうがそこに萌えたりする変態かもしれない。
お茶の準備をあらかた終え、後は茶葉が蒸れるのを待つだけという状態で魔女は向かいの席に着いた。
ふんふんと楽しげな様子をチラと見る。音声なし接触なしで観察できたなら、この人を見る眼、変わっていたのかもなぁ、美形だし美形だしそれ以外にないし。割と人口が密集する地域に住んでいたが、これほどの美貌はお目にかかったことがない。テレビはあまり見ないから最近の芸能界はどうかわからないけど、多分どこへ出しても際立つだろう。
私達、出会い方を間違えたんだね。
トレーからあらかた食器を移し終えた魔女が、こちらを見たせいで眼が合う。
美人なのは分かったから。キラキラされるとまぶしくて悲しくてイラっとなるから。
「今日のお菓子はルー子の好きそうなもの、用意したよ」
「そうですか計画的犯行でしたか、ではそれをいただいて失礼します箱ごと寄越して下さい」
帰って王女と食べてさしあげます。コイツの持ってくる菓子は美味いからな、しかたがないなぁ!
「まあまあそんな慌ないで?ゆっくりお茶飲んで、帰るのは私の寝室でイロイロ致した明後日くらいでいいでしょう?あ、研究室のほうが好みだったりするのかな?あちらなら確かに各種拘束g」
「何の話ですか何を致すんですか黙ってくださいこれはR15なんですあくまで健全なんです――、お」
年齢制限がかかる発言をしながら、蒸らし時間に満足いったようで、魔女は優雅に鶯色の液体を茶器に注ぐ。
ふわりと、湯呑に似た深めの器から懐かしい香りが立ち上った。
ソーサとともに差し出され、受け取る私に笑みを向ける。
「このお菓子はこのお茶とよく合うから、ね?」
「これは……!」
「気に入ってくれた?」
ひよこ饅頭ではないですか……!!ちょこっとした可愛らしいお口に、つぶらな瞳。さらに背中にかけて流れるようなまるっとした庇護欲を誘うライン!
食べるのが可哀想と、枕元に置いて一緒に寝た翌日には崩れ果てていた幼少の思い出が懐かしい一品だ。
「これ……こちらでは一般的ではないって。どこで手に入れたんですか」
初めてのティータイム以来、王女と(必然的にコイツとも)お菓子の話をよくしている。
こちらのものは洋菓子が主流で、あとは他国から伝わった、それも有名どころのものがちらほらある程度だ。中でも南国の、米に似た穀物をミルクで固めたような一口サイズのケーキは、甘いけれど癖になった。彼女の淹れてくれるお茶の渋みと絶妙にマッチして、つい手が伸びる。熱量は半端無いとお見受けするが止められない止まらない。
その流れで、ルーはどんなものが好み?と聞かれ、答えたのがこれだった。まあ、やっぱりこっちには類似品さえなかったんだけど。
実家の近くに販売店があり、焼きたてをばら売りしていたので、ちょくちょく買いに行っていたひよこちゃん。饅頭と言っても外側はクッキーのようなサクサクした生地で、白餡が中に入っていて牛乳とよく合う。が。
「これ、もしかして緑茶……?」
そう、濃い緑茶との相性だって、抜群だ。家では、どちらをお供にするかよく迷っていた。
でも確か緑茶は、ここでは原産国との距離から、希少なものだと聞いた。
「ん、手に入ったから。それからヒヨコチャンは私の手作りです」
「ちょ!なんですかなんのサプライズですか!イイ人アピールとか機を逸してますからねと言い難いほど脳内が塗り替えられていく!しかも美味い!」
満足げに、よかった、なんて魔女が言う。ああもうなんだ。人が急いでいる時に限って何てことをしてくれるのだこの変態は!趣味は菓子作りだとあとで調査票(マル秘・日記帳巻末付録)に記載してやる。
美味しいお茶に、懐かしい、お菓子。
この誘惑はちょっと離れがたい。
でも、駄目だ。
もう帰らないと、彼女が。
「焦らなくても、知っているよ」
「え?」
腰を上げかけた私に、魔女は優雅に茶器を傾けながら言った。
こいつに連れ去られたとき、遭遇して帰りが遅いとき、いつも王女が迎えに来てくれた。
勤務途中の無断外出は当然気になる。
けれどそれ以上に、彼女に心配をかけて、煩わせているだろうことに気が急く。
あれ。でも、心配って、何でだっけ?
何を根拠に、何を心配されていると思っていた?
「君がここにいることをね、王女は知っている。知っていて、来ない」
「たった今何でですかと聞くとおこがましいような気がしてきましたが、まあいいやどうして?」
「ここが中央だから。中央宮は、私しか立ち入れない」
「え、でも私は――待って下さいストップ」
ダメだったこの人。言って良いことと悪いこと、区別できていない。問われるままに銀行口座の暗証番号教えてしまうタイプだ。知ると命を狙われる国家機密だって皆と分かち合う危険人物だ。
了承するように、魔女は綺麗な顔を綻ばせた。
「一つ、私の名を知ったから」
うんまあ言うと思ったけどな!
「お願いしますつい三日ほど前の記憶とたった今の記憶を消去してください完膚なきまでに」
「できないよ?やらない事が前提だけれど。私も、王女も、君への干渉は原則許されていない。で、それが二つめ」
「わかりません。私の脳みそと心にに響く言葉で説明してください、英語あたりで」
前者は幼児レベルで後者は浅く狭いです、さらに英語の成績は黒歴史です、悪しからず!
「じゃあニホンゴで。三つめが君の身体。その髪一筋にさえ、存在するもの。それを壊したくないっていうのが、二つめの理由。以上により、君はここに立ち入れるし、私は君の記憶を消さないし、王女はここまで迎えに来られない」
扉の向こうで破壊行為に勤しんではいるみたいだけどねぇ。と、つぶやいた魔女は、そのまま手を私の頬に添えた。
なつかしい母国語に、意味ないじゃん!とツッこもうとするが、できなかった。
彼の親指が私のくちびるをなぞって、近づく。
「かわいそうだけど、君は、逃げられない。この世界から、逃がしてもらえない」
ひどく遠くから名前を呼ぶ声が聞こえて、魔女を突き放し、その方向に駆け出す。
偶然を装って足を踏みつけ鳩尾に頭突きをかます。しかし手ごたえ微妙でテンションが下がる!
魔女が何かつぶやいているが、意識に留めず振り切った。
王女を発見し、彼女に抱きついた私の顔は、今日の王女の髪より、紅かったと思う。
「今の私がとりうるのは、赤、蒼、碧、黒、金、白、青紫とそれらを薄めた色だけだよ。――――――あ、体液の交換は回避せよ、だったっけ。守る気は無かったから、関係ないけど」
当然、今日の目的だった彼の言葉は聞き取れないまま。
魔女を扉の外から睨む王女に、強く腕を引かれ、西の塔へ帰った。
魔女と王女と召使いの、ちょっとデンジャラスな空気漂う、そんな正午。