4話 テスト勝負
「ねえ、本当に勝負するの?」
家へ帰る途中、かすみが少し不安そうな顔で訊いてきた。
「学校で話し合って決めたじゃない。今さら怖気づいても遅いわよ」
「えぇ……」
かすみは明らかに乗り気ではなさそうな顔をする。勉強したくないのだろうが、勝負を避けることはできないし、シオンも手を抜くつもりはなかった。
勝負することが決まったのは、昼休みのことだった。
「ねえ、朝言ってた勝負って何?」
シオンが聞くと、リリは野菜ジュースのストローから口を離した。
「かすみとかりんでテストの点数を競わせる。全科目の合計点が多い方が勝ち」
「え? アタシ、かすみに勝てる気がしないんだけど……」
かりんは珍しく弱気な声を出す。いつもの勝ち気な態度とは打って変わって不安そうな態度。それだけ勉強が苦手なのだろう。
「ちょっと待って。リリがヤマを張ったら、私たちの方が不利じゃない?」
「あ、そうか、確かに」
「だいじょーぶ。今回からヤマ勘には頼らない。テストに出るところはなるべく悟らせずに、テスト範囲をまんべんなく勉強させる」
「え、マジで!? そんなん絶対勝てないじゃん!」
かりんは神に見捨てられたかのような絶望の表情を浮かべた。
「かりんの努力次第で満点も狙えるように調整するから、だいじょーぶ」
「うーん……それならいいか?」
リリは落ち着いた口調でかりんを諭す。努力次第、という言葉が少しひっかかる。かりんが満点を取るのにどれだけの努力を要求するのだろうか。
「信じてもいいのね?」
「シオンの言葉に感銘を受けた。わたしは勝ち負けより、勝負から得られるもののために勉強を教える。かりんが成長できるなら、負けてもいい」
「それならいいわ、勝負しましょうか」
フェアな勝負ができると理解したシオンは、提案を受け入れた。
「シオンちゃんが妙にやる気になってる……」
「相手にとって不足はねーな。おもしろくなってきたじゃん」
いまいちやる気になれないかすみとは対照的に、かりんは闘志を見せる。フェアな勝負であることを理解したからだろう。リリはきっと、かりんがこういう勝負事に燃えるタイプだと知っていたからこそ、勝負を提案したのだろう。
「勝負といえばやっぱ罰ゲームとか報酬があるのが定番だよな。どうする? 勝った側が一つ命令できるとか?」
かりんは勝負をおもしろくするための提案までしてみせた。
「こういうのはどう?」
「ん? なんだ?」
かりんの耳元でリリが何かを囁く。
話しやすいようにかりんは腰を落とす。
「ふんふん……えッ!? ……それは恥ずかしいというか、走りにくくなるじゃん」
いつもズボラなかりんにしては珍しく、頬を赤らめさせて恥ずかしそうにしている。
リリは何を言ったのだろうか。
「勝てばいいだけの話」
「まあ、それはそうだな……で、報酬は何があるんだ? ……ふんふん、ほほう……いいのかそれで?」
問いかけると、恥ずかしげにこくりとうなずいた。
「よしっ!! やってやろうじゃねえか!! リリ、今日から特訓頼むな!!」
「まかせろ」
拳を握りしめてすさまじい闘志を見せる。どんな報酬を用意したというのだろうか。
「こっちは決まったから、あとはそっちで適当に決めて」
「そういう感じでいくのね、わかったわ」
「シオンちゃん、罰ゲームどうするの?」
かすみがおどおどしながら聞いてくる。
「そうねえ……」
かすみにやってほしいことをやってもらうチャンスだ。
表面上は穏やかに、内心は興奮しながら答える。
「私たちも同じようにしましょうか。かすみが勝ったら、私に一つ命令する。その代わり負けたら私のお願いを一つ聞く、っていうのはどう? 内容は今のところ特に思いつかないから、結果が出た後で」
「うん、いいよ! シオンちゃんに命令かぁ……どんなのがいいかなあ」
「無理なお願いはしないでね?」
興奮した様子のかすみを落ち着かせる。と言いつつも、シオンは内心どんなお願いでも叶えてあげるつもりだった。
かすみの幸せがシオンの幸せなのだ。
さすが今朝かすみの箸をペロペロしていた奴の考えることは違う。
「おうおう、もう勝った気でいやがるのかよ。私たち二人でやってやろうぜリリ!」
「安心してかりん、かりんだけなら勝利する確率は1パーセント……だけど、私がついていれば━━敗北する確率は75パーセントに跳ね上がる……!」
「75パーセントだと!? 勝ったなこれは!」
「負けてるじゃない」
「負けてるよ」
「負けたじゃねえか!」
小学生を相手にしたような見え透いた罠に引っかかり、ツッコミを入れた。シオンたちを油断させるための布石かもしれないが、それにしてもかりんはアホ丸出しだった。簡単に騙されている。
だが、かりんは単純そうに見えて内心を隠すのが上手い。現に昨日の現場を目撃していなければ、二人がそういう関係だとは夢にも思わなかっただろう。今こうしてバカみたいなやりとりをしているのも、ただ楽しいからやっているだけなのだと思われる。
本当に単純で純粋なかすみとは大違いだ。
━━いや、本当にそう?
二人のキスを目撃したとき、かすみはほとんど動揺を表に出さなかった。
トランプなどのゲームでは感情が顔に出ることが多く、シオンはいつもボロ勝ちしていた。
だが――あれが演技だったとしたら?
——かすみが単純だと思っているのは、自分の想い込みなのかもしれない。
「シオンちゃん?」
考え込んでいると、かすみが不思議そうに顔を覗き込んできた。かわいい。
じゃない、どうやら思案に浸りすぎていたようだ。
シオンは場の空気を整えるようにこほんと咳払いをする。
「とにかく勝負よ、二人とも」
「おう、やるからには本気でやるからな。そっちも本気で来いよ」
「かりんこそ、勉強が嫌になっても逃げないでよね」
かりんがやる気に満ちた笑みを浮かべるので、シオンも少し挑発するように言い返した。こういう勝負事は、多少盛り上げた方が楽しいだろう。
そんなわけで、勝負は始まったのだった。
◆
「でも意外だな、シオンちゃんがやる気になるなんて」
そして時は帰宅途中に戻る。
「そう? 勝負事は別に嫌いじゃないわよ?」
「もうちょっとごねると思ったけど、あっさりOKしたからさ」
かすみの指摘は的を得ていた。たしかにいつもであれば勝負なんかではなく、純粋に勉強しろなんて言っていたかもしれない。だけど今回、勝負を受けた理由は確かにある。言うべきか少し迷ったが、シオンは口を開いた。
「かすみと、一緒の大学に行きたいから」
かすみがピタリと足を止めた。それだけで驚いているのが伝わってくる。
それはそうだろう、学年で平均よりも下のかすみと、上位10位以内のシオンとでは学力に差が開きすぎている。
同じ大学を目指すとなれば、かなりの努力が必要になるだろう。
シオンの言葉は、言い換えれば「私のために無理をしてくれ」と言っているようなものだった。
「うん、私も……シオンちゃんと同じ大学に行きたい」
無理だよー、と言われるのを覚悟したシオンにとって、それを予想外の答えだった。
「いいの? かなり無理なお願いになるけど」
「私もシオンちゃんと離れるのは嫌だもん。それに勉強教えてくれるんでしょ?」
その言葉に、泣きそうになるのをこらえながらうなずく。
「うん、そうね。私が全力でサポートするわ」
「ありがとうシオンちゃん!」
かすみは嬉しそうに手を握ってきた。
手の柔らかさに少し興奮する。
興奮すな。
「そのためにも、二人に勝たないとね」
「ええ、これは大学受験の前哨戦ね」
二人は顔を見合わせて笑った。
だが、シオンの胸の奥には小さな罪悪感が残っていた。
勝負を受けた目的は、それだけではなかったからだ。
——かすみは自分の本当の実力を隠しているんじゃないだろうか。
結果がどうであれ、意味のない行為だ。仮に何かを隠していたとしても、かすみに対する気持ちは変わらない。
それでも、もし本当に実力を隠しているのだとしたら。
幼馴染である自分にさえ見せない理由が、きっとあるはずだ。
シオンはそれを知りたかった。
◆
「そこはこうするといいわよ」
「なるほど! さすがシオンちゃん!」
家に帰ってきた二人は、さっそくかすみの家のリビングで勉強を始めた。
いつもの向かい合わせではなく、シオンがかすみの隣に座って教えている。
おかげで密着できる上に、香りを堪能できて役得だが、そのせいで頭がピンクに染まってしまう。
この柔らかそうな胸にダイブしたい衝動を抑えるためにも、シオンは勉強に集中する。
かすみの覚悟を無駄にしたくはないし、真意を確かめるためにも冷静でいなければならない。
そうして勉強に集中し、何とかムラムラを頭から七割ほど追い出せた時だった。
「ねえ、シオンちゃんに一つ聞きたいんだけど……」
シオンの肩がわずかにこわばる。
2人は気心の知れた仲だ。普段なら前置きなどせず、思ったことをそのまま口にする。
だからこそ、この言い方は珍しかった。
それに、かすみの空気がさっきまでと違う気がする。
━━重要な質問が飛び出してくる。
そう判断したシオンは身構えながらも、平静を装って言った。
「なに?」
どんな質問が来ても動揺しないよう、心に盾を構える。
あらかじめ覚悟を決めておけば、適切に対処することができる。
だが、続いてかすみの口から出た言葉は、その盾をあっさり吹き飛ばした。
「━━シオンちゃんって女の子同士が恋愛するのってどう思う?」




