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2話 変態の始動

※性的描写あり

「シオンちゃん今日もお母さんたち仕事でいないんだよね」

「うん、まあね」

「じゃあご飯作るね!」

「任せるわ」


 授業を終えた二人は、帰り道で今日の晩御飯について話していた。シオンの両親は仕事で帰りが遅い日は、先に食べておいてと連絡してくる。そんな日はかすみの家で夕食を一緒に食べるのがいつもの流れだった。


「それじゃあ帰りにスーパーに……あ」

「どうしたの?」

「忘れものしちゃった……」

「あら……何を?」

「数学の教科書。そういえば宿題あるんだった……」

「置き勉しすぎじゃない?」


 シオンはやれやれと肩をすくめた。

 幸い、まだ学校を出たばかりだ。

 今から戻れば十分間に合うだろう。


「それじゃあちょっと教室戻るね! シオンちゃんは先帰ってて!」

「かすみだけだと不安だし、ついていくわ」


 2人は学校へと引き返した。


 すでに掃除は終わり、校内には部活の生徒がちらほら残っているだけだった。

 廊下には吹奏楽部のトランペットが響き、グラウンドからは金属バットがボールを打つ音が聞こえてくる。


 教室のある階はほとんど人気がなかった。


「もう戸締りしちゃったかなぁ」


 日直は確かリリだったはずだ。

 朝の一幕を思い出しながら、かすみがドアに手をかける。


 その腕を、シオンがそっと引いた。


「シオンちゃん?」


 振り返ると、シオンは人差し指を唇に当てていた。


 ――静かに。


 その合図に、親友の態度を不思議に思いつつも、かすみは口を閉じる。シオンは扉の小さな窓をじっと見つめていた。かすみも隣に並び、そっと覗く。そして——親友が口をつぐんだ理由を知った。


 窓の向こう——そこには、唇を重ねる二人の姿があった。

 見慣れた身長差だったため、すぐに誰かわかった。


 ——リリちゃんと、かりんちゃん?


 最初は角度のせいだと思った。ここからだとそう見えるだけで、実際はキスなどしていないと。だが、リリは背伸びをして顔を上げ、かりんはリリの腰に手を回している。二人は確実に、自らの意思でキスをしていた。


 今日普通に会話をしていた友達がキスをしている。

 その光景に、かすみの顔が一気に熱くなる。

 けれど視線は離せない。

 ただ、呆然とその光景を見ていた。


 やがて唇が離れる。その瞬間、かすみとシオンは同時に自分たちの置かれている状況に気づいた。こんな時間帯に、人気のない教室で接吻するということは、きっと二人は、この関係を秘密にしている。それを覗き見していたなんて知られたら、絶対に気まずくなる。


 同じ考えに至ったかすみとシオンは、言葉を交わすこともなく、同時に後ろへ下がった。まるで逆再生のように、そろそろと。

 長年の付き合いがこの土壇場でのシンクロを生み出した。そして、


 ガラッ


 扉が開く音がしたのと同時に、逆再生は再生に切り替わる。


「危なかったー! セーフ!」

「はあ、よかったわね。ごめんなさい二人とも。うちのかすみが忘れものしたみたいで、取りに行ってもいいかしら?」


 二人は今ここに来たばかりですよ、という態度で話しかける。先ほど目撃したことなどおくびにも出さなかった。


「お、うっかりさんだなー。いいよなリリ」

「よきにはからえ」

「よきにはからっていいみたいだぞ」


 二人はすっかり騙されたようで、安心しきった様子で了承した。秘密がバレたなど、夢にも思っていないだろう。


「ごめーん! よきにはからわせてもらうねー!」


 高鳴る鼓動をごまかすように、殊更大きな声で感謝を伝えると、自分の席へ急ぐ。目当ての数学の教科書を手に入れたかすみは、窓際の教壇近くに視線を向ける。


 ━━あそこで、やってたんだよね……

 

 思い出しそうになり、慌てて視線をそらすと、三人が待つ教室の入口に戻った。内心の動揺は押し込んで、いつもの笑顔で覆い隠す。


「見つかったー!」

「お、よかったな。それじゃあ、あたしは部活だから急がないと……じゃあな、リリ。今度からは一人でやるんだぞ」

「うん、ありがとー」


 どうやら日直の手伝いをしていたらしい。かりんはそう告げると急ぎ足で部活に向かった。おそらく人がいないのをいいことに、あんなことをしていたのだろう。


「それじゃあ、帰ろっか」

「そうね」

「うーい」


 そして三人で校門へ向かう。途中でリリと別れ、かすみとシオンは二人きりになった。


「……」

「……」


 しばらく沈黙が続く。

 お互い、先ほどの光景が目に焼きついていた。


「さっきの、すごかったね」

「うん、びっくりした」


 シオンが苦笑する。


「まさか二人があんな関係だったなんて……」


 はたから見る分にはあくまで友達に見えていた。それがまさか、あんなことをするような仲だとは寸毫も想像していなかっただけに、驚きの度合いも大きかった。


「教室前で出くわした時、動揺するかと思ったら自然体だったわね。普段からああいうことしてるのかしら……」


 冷静に分析するシオンに、かすみは少し不安になった。


「シオンちゃん、あんまり驚いてない?」

「まさか、驚いてるわよ」


 かすみの問いかけにシオンはそう答えた。


「シオンちゃんって……ああいうことしたことある?」


 口に出した瞬間、しまったと思った。内心の不安が口に出てしまった。気が緩んでいたからだろう。


 シオンは少しだけ目を細めた。


「……したことあると思う?」


 挑戦的な返答に、かすみの意識は絶望の底に沈んだ。シオンが自分以外の誰かとキスをする光景が頭に浮かんでしまった。


「何ショック受けてるのよ。私にそんな相手がいたら、かすみが知らないわけないでしょ」


 シオンの言葉を咀嚼し、その発言の意味するところを理解したかすみは安堵のため息を吐いた。


「というか驚いてなかったのはかすみでしょ? 全然顔に出さなかったじゃない。意外と嘘つくの上手いのね」

「い、いや、驚いてたよ? けど、バレたら二人に申し訳ないから、無理やり抑えてたんだよ!」


 かすみは慌てて言い返した。シオンの前では、なるべく明るくて単純な女の子でいたかった。狡猾な内面を見せてしまったら——


 ——幻滅、するよね……きっと。


 そんなことを考えたところで、ちょうどスーパーに着いた。会話は自然と途切れ、二人はそのまま店に入る。かすみはこっそり胸を撫で下ろした。




 


 スーパーでの買い物を終えたかすみは、つい先ほど買った食材でスープを作っていた。昨日動画で見かけた料理だ。スマホでもう一度動画を確認しながら、作っているため、成功は約束されているようなものだ。


——シオンちゃんとキスしたらどんな感じだろう……


 鍋を混ぜながら、かすみの妄想はこれまでにないほどに捗っていた。恋バナは噂や話で聞いたことはあった。けれど、実際に目の前で見たのは今日が初めてだった。


 二人の距離、重なった唇。

 

 友達の姿を思い返しながら、もしあれが自分とシオンだったらと考えると、頭の中がかーっと熱くなる。


 ——あんな大胆なこと、私には無理だよね。


 普段は明るく振る舞っているかすみだが、本当はかなり奥手だった。

 シオンとは幼馴染で距離が近いように見えるが、実のところ心のどこかで一線を引いている。


 このままでいいのだろうか。


 そんなことを考えた瞬間、スマホのタイマーが鳴った。


「えっ、もう?」


 かすみは慌てて火を止め、スープを二人分の皿によそう。


「よし、できた!」


 かすみは隣の家にいるシオンを呼びに行こうとして、ふと手を止めた。


「あ、忘れてた」


 肝心の仕上げをまだしていないことに気づいたのだ。


「これを入れないとね」


 かすみは湯気を立てているスープの皿を持ち上げ舌を出すと━━唾液を垂らした。


 完成した料理があまりにもおいしそうだったため、思わずよだれが垂れてしまった、などという生理的な現象ではなく、どう見ても意図的な行動だった。


 舌から垂れた唾液が自らの欲求を満たすのに十分な量スープに乗ったのをたしかめると、スプーンでかき混ぜる。唾液はすんなりと溶けていき、スープはなにごともなかったかのように香ばしい香りを放っている。


 かすみはもう一度スープの表面をじっと観察すると、「よし!」とうなずき、シオンの席に置いた。


 よしじゃないが。


 かすみは隣のシオンの家へ向かい、インターホンを鳴らす。


「シオンちゃーん! ご飯できたよー!」


 ほどなくしてシオンが顔を出した。

 

「もうできたの? 早いわね」

「うん! 今日はスープだけだけどね」


 かすみに手招きされ、シオンは隣の家へと移動する。玄関で靴を脱いだシオンは、慣れた様子でリビングへ向かう。


 テーブルの上には、まだ湯気を立てているスープの皿が二つ並んでいた。


「じゃーん! おいしいスープを作ったよー! まあ、料理動画見たまんまのレシピなんだけど……」

「それでいいのよ、レシピ通りが一番おいしいんだから。かすみが作ってくれたものなら、なんだって嬉しいわよ」

「ほんと? えへへ、ありがとう!」


 二人はいつもの席に座ると、両手を合わせて食事を始める。

 食事が始まると、かすみは目の前の食事には目もくれず、シオンをじっと見つめていた。サバンナの水辺で、獲物が水を飲みに来るのを今か今かと待ち続けるワニのように、微動だにせず視線を向けている。

 やがてシオンがスープを口に運んだ瞬間、かすみの脳内は興奮と歓喜に包まれた。


 ━━ああ、私がシオンちゃんの中に入った。


 胃に収まった唾液はやがて水分として吸収され、全身をめぐり、一つ一つの細胞に運ばれてシオンを維持するために使われる。そんな気持ちの悪い妄想が繰り広げられる。食事中やぞ。


「うん、とてもおいしいわ」


 そんな妄想は、シオンの微笑みにより中断される。


「よかったー!」


 にんまりと笑う。唾液の件はともかくとして、料理を褒めてもらったのが嬉しくて仕方ない。この女の所業を目撃した者であれば、完全犯罪に成功した犯人のような笑みのように感じられたことだろう。

 自分の作ったものを美味しそうに食べてくれる——それだけで、なんだか特別な時間のように思えた。ならそれだけで満足してほしい。


 シオンが口をつけたのを見て満足したかすみは、時折シオンが食べる光景を肴に、自らもスープを食す。やはりシオンが自分の体液入りスープを美味しそうに食べるのを見ながら食す料理は格別の味だ。


 これで格別なら、キスはどのような味になるのだろうか。ふとかすみは思った。唇だけでなく舌も絡めて、自分自身をシオンに直接流し込むのは、きっと想像を超えた快楽をもたらしてくれることだろう。食事中に考えることじゃないだろ。


 夕食を食べ終えると、二人は一緒に「ごちそうさまでした」と手を合わせる。

 シオンは使用済みの2人分の皿をシンクに運ぶ。皿洗いはシオンの役割だ。以前かすみも手伝おうとしたが、「料理を作ってくれたんだから、そのお返し」と言われ、それ以来、食後の片付けはシオンが担当している。


 その間、かすみはソファに座り、動画配信サービスで映画を流す。背後でシオンの食器を洗う音を聞きながら映画を見るのは、至福の時間だった。夫婦みたいで妄想が捗る。


「これホラー? 相変わらずホラー好きね……」


 食器洗いを終えたシオンが隣に座った。


「うん、今ちょうど主人公たちが村の祠を壊したところだよ」

「うわ、絶対ダメなやつじゃない……」


 シオンが無意識のうちにかすみに身を寄せる。ホラーが苦手な彼女は、こういう場面になると決まってくっついてくるのだ。もちろんそれを狙ってかすみはホラー映画をよく選んでいる。


「きゃあああッ!!!」

「きゃー!」


 展開が進み、封印から解き放たれた化け物が現れた瞬間、シオンは悲鳴を上げながらかすみに抱きついた。かすみも計画通りとばかりに抱き返す。華奢な腰に回した手が柔らかな感触と温もりを伝えてくれる。ホラー映画よりもこの温もりの方が恐ろしい。興奮で我を忘れそうになる。


「も、もうそろそろいいんじゃないかしら。ほら、明日の勉強もしないとだし……」

「うん、そうだね。続きは明日だね」


 シオンの嫌がることはしたくないので、かすみは素直に停止ボタンを押す。それに焦らずとも合法的に抱きつく機会は毎日ある。


「それじゃあ、また明日ね」

「うん、じゃあね」


 シオンは隣の家に帰って行った。


 泊まって欲しいところだが、さすがにそれは干渉しすぎだろう。かすみは幼馴染という立場に甘んじることなく、シオンとの関係の維持に腐心している。シオンにとって心地よい距離を保つこと、それがかすみの信条だ。


 静かになった家の中で、かすみは少しため息を吐く。親友のいなくなった家は、宿主を失った貝殻のように寂しい。

 胸を締めつける悲しみを振り払うように、両腕を振り回しながら自分の部屋に向かった。


「よーし、勉強するぞ〜!」


 席に座り、今日出された宿題とテスト勉強を進める。

 シオンの前ではあまり勉強していない風を装い、テストの点数もそれほどよくないが、裏ではしっかり勉強していた。シオンと同じ大学に行くためだ。なぜ勉強していない風を装っているのかというと、成績が良くないと勉強を教えてくれるからだ。それで合法的に密着することができる。


「……集中できない」


 勉強を始めて数十分が経過したが、いつもであれば終わっているはずの宿題がまだ半分も終わっていない。問題文が頭の中に入ってこなくて何度も読み返してしまう。それもひとえに今日の二人のキスのせいである。あの光景が邪魔をして、勉強に集中できない。


「ううん、こんなんじゃだめだよね」


 立ち上がり体を軽く動かして、頭から雑念を追い出す。シオンと同じ大学に行くためにも勉強に励まなければ。


「待ってろシオンちゃんとのキャンパスライフゥゥゥ!!」


 輝かしい未来のために、今日もかすみは気合いを入れて勉強に励む。


 

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