3
「誰」
傷だらけで痩せ細った少年は、赤い瞳に敵意をむき出しで私のことを睨んでいた。
……ああ、違う。
そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
「私は、ミセリア・マルム。あなたの名前は?」
「……メトゥス。こんなところにお前みたいな奴が何のようだ」
メトゥスは、警戒心を解こうとはせずに私のことを睨んでいる。
記憶にある姿よりもずっと小さいし、痩せているし、傷だらけ。けれど、彼が、メトゥスの過去の姿であることは火を見るよりも明らかだった。
「君をここから連れ出そうと思ってきたの」
「はあ?何言ってんの。お前。俺が誰だか分かってんの?」
小さな体を奮い立たせて警戒するその様子に、ウジウジと悩んでいないでもう少し早くきてあげればよかったと後悔する。
「うん。分かってる。でもね、君に魔王になられるのは困るの」
「……は?」
「だから一緒に行こう。一緒に来てくれれば、安心して眠れる場所も、食事も必ず用意する」
手を差し出すと、メトゥスは私の手を取っていいのか悩んでいるようだった。
それもそうだ。いきなり現れた人間にそんなことを言われて簡単についていくほど、メトゥスは馬鹿じゃないだろう。それに、信じて裏切られたことなんてたくさんあるに決まっている。
だけど、私はなんとしてもこのメトゥスを連れ帰りたかった。もう、こんなところで生活なんてしてほしくはないと。心の底から思った。
メトゥスの答えを待っていると、後ろから物音がする。
咄嗟に振り返ればそこに立っていたのは、この村の住人のようだった。
「何をしているんだ!」
そう怒鳴られて、思わずその村人を睨みつける。
だってその右手には、土のついていない鍬が握られていて、左手には手のひらよりも少しだけ大きいサイズの石が握られている。
「そいつは魔王なんだ!近寄るな!」
一人だけではないらしい。
立っていた男とは別のものが、声を上げる。そしてその後ろにも何人もの村人が立っているようだった。
そして、口火を切ったように流れ出す罵詈雑言。メトゥスの方を見れば、その目に影を落としていた。
もう、そんな顔をさせたりしない。
メトゥスの方を向いて、両手で耳を塞ぐ。もうこれ以上汚い言葉が入らないように。
けれど、村人はそれが気に食わなかったのだろう。
持っていた石を投げたのか、後頭部に何か硬いものが当たる。そして、それは数を増して背中にも足にも無数に投げられた。
「……なんで」
メトゥスが驚いたような顔をしていた。
けれど、これはただの自己満足。メトゥスが迫害されていると知りながらもここに来ようと思わなかった自分に対しての罰だ。
石が当たるのが止まり、あたりは静かになる。
ようやくメトゥスの耳から両手を話すことができて、村人たちの方に振り返る。
村人たちは顔面蒼白だった。
無数に石を当てられようと、泣き喚いたり、逃げたりしなかったことがそんなに恐ろしかったのだろうか。
「邪魔」
右手で指を鳴らして、村人たちに火をつける。
大中高低の悲鳴が聞こえて、不協和音を奏でている。そして村人たちについた火は周りにあった草木に燃え移り、あたりを火の草原へと変えていった。
「じゃあ、行こう」
メトゥスに再度手を伸ばせば、メトゥスはその手をゆっくりととり尋ねてきた。
「お前、なんなの?」
「世界を壊す、魔王かな」
そう笑って答えれば、メトゥスもつられたように笑った。
きた時と同じく、移動魔法で屋敷に戻る。炎の近くにいたせいで眩しかったけれど、どうやらもうすっかり夜になっていたらしい。
夜遅くまで出歩いていても何も言われないことに関しては、血縁と一緒に住んでいなくてよかったかもしれない。そう思いながらもメトゥスの方を見る。
この屋敷に住まわせるつもりで来たけれど、流石にこの色のままでは使用人たちに見られたら大騒ぎになるかもしれない。
「お願いがあるの」
「何」
「私は、君の黒髪も赤い眼も好き。でも、この世界はそうじゃないことは知っているでしょう?」
メトゥスは、眉間に皺を寄せながら頷いた。
「この屋敷には、私以外に使用人が住んでいる。だから、髪の毛の色だけ変えさせてくれない?もし、嫌なら別の方法を考えるから」
そう尋ねれば、メトゥスは小さく頷いた。
「……変えていい」
「ありがとう」
メトゥスの頭に手を置いて、色変え魔法をかける。
何色にしようか、少し迷ったけれど連れ帰った時の言い訳に「似ていて放って置けなかった」と言えるように銀色にした。
黒髪赤目までは行かずとも、銀色も珍しくてよく気持ち悪がられるから都合がいい。
「……銀色」
「悪いけど一緒にさせてもらったよ。その方が言い訳できるから」
「別に嫌なんて言っていない」
そう告げるメトゥスの顔を見て、なぜか既視感を覚える。
黒が銀になっただけでメトゥスはメトゥスなのだが、誰かに似ているような。そんな気がしたのだ。
気のせいだと、その考えを捨ててメトゥスの手を握って屋敷の中に入れば、出迎えたメイドが目をまんまるにして驚いていた。
「……お嬢様、その子は?」
「今日から一緒に住もうと思うからお風呂の用意と食事の用意をお願いします」
「そんな、急に……」
「お願いします。なんだか放って置けなくて」
そう告げれば、メイドは少し悩んだ後に「報告はしますからね」と告げて去っていった。父親のところに連絡が行くのだろうが、あの人は私に対して興味がない。どうせ碌な確認もせずに許可するだろう。
メトゥスを風呂場に案内して、使い方を教えて着替えを用意する。
この屋敷に住んでいる子供は私だけ。男の子用の服なんてあるわけがない。流石に女の子用の服を着せるわけには行かないから男の使用人の服をもらって縮小魔法で小さくしてみる。初めてやったからうまく行くかはわからなかったけれど、これならどうにかメトゥスも着ることができそうだった。
メトゥスが出てきて、服を着替えさせてから食事の席へ向かう。
部屋は無人で、食事がテーブルの上に二人分乗せてある。そういえば私も食べていなかったことを思い出して、一緒に食事をとることにした。
「どうぞ。食べて」
メトゥスも席につかせて食事を始める。
けれど、メトゥスは戸惑っているようだった。
「お腹空いてない?」
その言葉に、首を振る。
なら、どうしたのだろうと首を傾げていればメトゥスは小さな声で「どう食べればいいんだよ」と口をこぼした。
「好きに食べていいよ。ここには私と君しかいないから」
そう告げれば、メトゥスはゆっくりと戸惑いながらパンへ手を伸ばして口の中に押し込む。
マナー以前に、ゆっくり食事をとることを知らないようだった。
パンを口の中に押し込んで、驚いて一度手を止める。
メトゥスの赤い瞳からはポタポタと涙が溢れていて、鼻からは鼻水が垂れている。それから静かだった空間に嗚咽の音が響き渡る。
そんな様子に笑みをこぼして私も食事を続けることにした。
食事を終えてから、メトゥスを部屋に案内する。
使用人が用意してくれたベッドに横たわらせて、ベッドサイドに座る。メトゥスは戸惑っているように見える。
「今日はゆっくり寝るといいよ」
布団の上から一定のリズムで優しく叩いていれば、メトゥスの瞼は徐々に落ちていく。
しばらくすると穏やかな寝息が聞こえてきた。
それを見て、微笑むと同時に自分の頬に何かがこぼれ落ちた。それは、どんどん溢れてきて、ポタポタとメトゥスが眠っている布団を濡らす。
なんで、涙なんか流しているのだろうと思いながらもその答えは分かっていた。
……この子は、私の愛したメトゥスじゃない。
メトゥスであることは違わない。けれど、私が愛したメトゥスではないと漠然と感じていた。
だから、この子に会った時。自分で思っていたよりも冷静に対応できた。
本当にもう、あのメトゥスとは二度と出会うことができない。
そう実感してしまって、涙が止まらなかった。
……この子は絶対に魔王にさせない。
溢れる涙をそのままにベッドサイドに座ったまま目を閉じる。
その日、見た夢はメトゥスと私が初めて相対した時のものだった。
『厄災の魔女。お前をここから連れ出してやる』
そんなセリフが頭の中にこびりついて、離れなかった。
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