202409071536
日記なので今日あったことを書きます。
読んだ本についてはどうしようかなあ。本ならまだしもウェブ小説、わけてもなろう作品となると、どこでどう作者に伝わるかわかったもんじゃないですもんね。自分は読み手としてはいかなる意味でも作者に影響を与えたくないタイプの人です。もちろん自分の存在を知られるなんて問題外です。純然たる感想ならまだ書くこともありますが、作者に届くコメント欄とかでの感想はいっさい書いたことがないですし、また自分もほしくありません。世の大多数が俺のようではないということは熟知していますが、それでも「感想が励みになります」という世界観は実はよくわからないです。
まあ結局のところ、衝撃を受けた作品についてはどこかになにかを叫ばないと気が済まなくなるので、いつかこの日記でもやらかすかもしれません。
というわけで、今日は13時から出勤。いつもどおり仕事をかたづけて、夜には、近々転任するという若手の社員とお別れの挨拶をしました。
俺は、この年齢になっても、明日環境が激変しても金さえもらえればどうでもいいや、みたいな鈍重さがあるんですが、それまで独身で自由にやってた人間が結婚して子供できて新居に住んで転任となると、世界が一変するような、この先数十年の自分の人生がいま決定してしまった、というようななにか重大な感じを受けるんじゃないかなと思います。人間の生命は一回限りであってみれば、まあその感慨は正しいのかもしれないですけど、これがまあ年食ってくると「どうせ何十億何百億も繰り返されたうちのたった一例だろ」みたいな感じになってきます。
それにしても、この手の最後の挨拶とかって何歳になっても慣れねえな……。
例によって深夜の3時くらいまで仕事して、帰宅して即座に寝ようと思ったんですが、翌日に使う足のサポーターの洗い替えがないことに気づいて、ふてくされながら洗濯。症状は足底筋膜炎なんですが、かかとをがっちりホールドするサポーターを入れると足の痛みが激減して以来、ずっと愛用しています。ただ1個3000円するため、左右で6000円、洗い替え用に1セット追加して買っただけで12000円になってしまい、いくらこの年齢の健康は金で買うものだと割り切っていても、投資すんのここかよみたいな気分があって最低限の2セットしか持ってなかったのです。
洗濯が終わって即就寝。
翌朝は朝8時に起床。寝不足状態なのは承知していますが、歯医者の予約が9時からになってしまったのでしかたない。これでおおかた歯の修理は完了した感じで、あとは細かい虫歯になりかけのところのケアとかやって、それから後は定期検診だけになります。長かったなあ……。
その後は即座に家に帰って、うちの奥さまを拾って、今度はうちの奥さまの病院へ。うちの奥さまはアレルギーの問屋のような人で、加齢とともにだいぶ症状は緩和してるんですが、それでも皮膚と喘息の薬がなくては生活はできない感じで、定期的に病院に行って保険適用のうえで万単位の金が吹っ飛んでいくような薬をもらってくるわけです。
うちの奥さまが病院に行っているあいだ、足がわりの俺はぼけーっとどこかで待ってなきゃいけないんで、とりあえずモスバーガーでもひさしぶりに入って読みかけのウェブ小説でもかたづけるかなーと思ってたらLINE。
『混雑しすぎて待合室に入れない。エアコンが効いてない。死ぬ』
地獄だ。
これは何時間待ちになるかわかりません。モスチーズバーガーのセットだけ食ってからさっさとモスを出て、最寄りの図書館に向かいました。
いやー図書館。ひさしぶりだ。
おそらくこれも発達障害特有の症状のひとつとしてあるはずなんですが、レンタルとかの期限守れないんですよね。バカげた延滞金がかかろうとも、返しに行く以外に用事がなくても絶対に期限を守らない。それはもう強い意志として「期限を守りたくない」というのがあるくらいなんですよ。そういう人間なんで、ふだん図書館のたぐいは閲覧以外では利用しないようにしていて、仕事の都合で車で1時間半かけないと図書館にたどりつけないような場所に引っ越してからは、図書館というものそのものと縁がなくなっていた。ちょうどKindleがサービス開始したころで、本屋そのものに行くことすらなくなってました。その本屋も最寄りまではやっぱり車で1時間15分かかりますが。
ちょうどうちの奥さまのかかりつけの病院から図書館が近かったので、待ち時間を潰すのにちょうどいいなーと思って訪れたわけです。
俺はかなり熱烈な電子書籍信奉者です。Kindle端末を入手してからはほぼ紙の本は買ってないです。
理由については、おそらく本好きなら納得してくれると思います。つまり「紙の本に手を出したらその瞬間から本が増殖を始めて生活スペースがなくなる」
ほかにも、Kindle端末が活字を読む装置として紙の本より有能だってのがあります。なにしろ軽い。そして老眼にやさしい。布団のなかで読むときに照明いらないし、そのまま寝落ちしてもいつか自動で電源が落ちる。
もちろん電子書籍にもさまざまなデメリットがあって、その最大のものは「一定より深い知識が手に入らない」というものです。学術書のたぐいはまず無理ですし、人文系の出版社が一般向けに出す3000円とか5000円の本も電書化されることはかなり珍しいんじゃないかと思います。あと古い本はもう軒並みだめ。岩波とか。俺は永遠に「SHI-NO」のコミカライズが電書化するのを待ち続けてます。なお原作はすべてアンリミ対象なのでよければ読んでみてください。世界三大ロリラノベのひとつという看板は伊達じゃないです(俺が設定しました。あとの2つは「紅」と、あとひとつが思いつかなかったのでマンガですけど「聖女をクビになったら、なぜか幼女化して魔王のペットになりました」をおすすめします。もっともこれ原作はウェブ小説だったはずですけど。転生とかやりなおしとか憑依とかそのへんのロリって活字だとどうしても「らしさ」が出ないんですよね。その点コミカライズは問答無用でこども♡なのですごくいいです)。
ただ、俺の読書は原則としてラノベかマンガ、新書程度なのでそのデメリットは黙殺してもよく、むしろメリットしかなくて、もう死ぬまで紙の本は買わないと思ってたのです。
しかし図書館に行って本がずらりと並んでるの見た瞬間「やっぱ紙の本がいい!」とあっという間に手のひらがひっくりかえった。
書店のメリットとしてよく「新しい本との予期せぬ出会い」とか挙げる人がいて、捻くれ者の俺なんかは「そんなの別にアマゾンでも出会えるでしょ」とか思うんですけど、やっぱり情報の一覧性が違うんですよね……。図書館みたいな場所が特に強いのは、背表紙というかたちでとにかく大量の情報をすばやく検索できるうえに、気になったら実際に手にとって好きなページを見ることができることです。実際に読む決意をするまでの動線が最短なんですよねこれ。
あの、視界に入る情報量の多さってすげー重要なんだなって、今日ひさしぶりに図書館に行ってあらためて思いましたね。確かにアマゾンでもなんでもレコメンドは出てきますけど、蓋然性が高いレコメンドは実はそんなに意味ないんですよね。いつか自力でたどり着ける可能性があるから。
壁面の書棚で司馬遼太郎の全集を眺めてたらついでに杉本苑子の全集とかも目に入る。杉本苑子なんて、1冊くらいは読んだことあっても、図書館で見ることがなければたぶん死ぬまで名前を思い出さなかった作者ですよ。現物というかたちでそれが強制的に視界に入ってくるのはでかい。俺は、本は文字情報でありつまりデータなので体裁とか別にどうでもええわと思ってたんですけど、現物は強い。人間はそうそう「物体」の磁力からは逃れられないなとあらためて思いました。
あとは病院で疲労困憊になったうちの奥さまを拾って、フランスパンとベーコンエピを買ってきて帰宅しました。ベーコンエピ、インスタかなんかでそれだけ食い歩いてる人の記録があって、狂人かと思った。だいたいハード系のパンが得意な店のベーコンエピはやっぱりおいしいんですけど、エピだけおいしいとかおいしくないとかあったりするのでけっこうおもしろいです。今日買ってきた店のベーコンエピはガチです。びっくりするほどうめえ。