202409061932
SNSすべてから手を引いてしまうと、隙間の時間にやることがなくなります。基本的には10秒ですらも「なにもやることがない時間」があるのが気に入らない人なので、かわりにやれることが必要になります。ということで日記を書きます。そろそろ毎日のように「今日の題材はなににするかな」とか考えるのだるくなってきたので、だったら両片思い血縁あり兄妹の日常でも書いてたほうがまだよくね?というふうになってきましたが、この程度の感覚でスタートしてしまうと10万字くらいで放り投げることが確定的なので、もうちょっと頭使ってからにしようと思います。
というわけで今日は「異世界ファンタジー」について書いていこうと思います。
この題材、たぶん人によって知識がばらっばらなんですよね……。まあなろうのボリュームゾーンとしてはスレイヤーズあたりからラノベ読むようになったよ、みたいな人が多いような印象がありますが、あくまで印象です。男女で違いもあるでしょうしね。てゆうか女性向け方面の悪役令嬢とか婚約破棄とか、題材はともかくあのへんの世界観ってどこらへんから来てるんですかね。いうほど乙女ゲーの影響ってそんなに大きいと思わないんだけど。
まあいいや。ここでの目的はなろうにおける異世界ファンタジーの云々とかいう話ではありません。そんなの俺が考えるまでもなくだれかがすでにやってるだろうし。ここは日記なので自分の話しかしません。
個人的には異世界ファンタジーは大好物です。数あるジャンルのなかでいちばん好きかもしれない。
自分は小説やマンガ、エロゲなどのほかに、わりと新書を読むことが多いです。それも人類学とか民俗学、言語学、宗教学とかそのへんの人文系のやつです。このへんの人文系の本に共通してるのが「その学問の角度から人間という現象を見る」ということだと思うんです。少なくとも俺はそういう読みかたをしている。自分以外の人間が世界をどう見ているかというその「世界観」に猛烈な興味がある。特に宗教においてそうです。カトリック教徒にはこの世界がどう見えているのか。神様の実在を疑わない人にとって、空はどう見えるのか。海はどうなのか。骨がらみから儒教道徳に縛られた李氏朝鮮時代の農夫にはどう世界が見えたのか。
なぜこんな嗜好を持つようになったかというと、子供のころに読んだ司馬遼太郎にその淵源がある気がします。
司馬遼太郎の作品って、基本的には主人公がその時代に対しての異物なんですよね。よく揶揄される「司馬史観」をベースに時代状況を説明、そのなかに近代的自我を持った人間を配置し、その苦悩を描く。まあそのへんが基本的な骨格かなと思います。必然的に世界観めいたものが浮かび上がる構造なんですよね。幕末はこうである、戦国時代はこうである。そのことをかなり詳しく説明する。子供だった俺はその「ここではない」感じに強く惹かれたものと思われます。あとは端的にSFですね。俺の子供時代、ちょうど日本SFのいわゆる「黄金期」の最後の一瞬だったんで。
さて、この時期に育った人間は、どの作品で異世界ファンタジーに出会うのか。
俺自身は確か竹宮惠子の「イズァローン伝説」が最初だったと思います。それ以前に「クリスタル・ドラゴン」という作品があるんですが(あれまだ完結してないという話を聞いたような……?)、あれはいちおう実在の歴史も扱っているので厳密には異世界ではない……かな。雰囲気的には完全にファンタジーですけど。中山星香って人も多いだろうな。
そしてこの世代にとって圧倒的に「異世界」の入口になったのが、たぶん「グイン・サーガ」という作品だと思います。
この作品について語ろうとすると、脳の言語化を司る部分が渋滞を起こして言葉がうまく出てこない、というくらい、一時期の自分にとって「すべて」であったような作品です。もう、この異世界の「ほんとうにある」感は圧倒的ですよね。なぜ異世界ファンタジーを好むのか、という問いに対して、この作品が小説の原体験になっているから、という部分はかなり大きい。
俺は作品世界にすっぽりと取り込まれたような感覚になるのが非常に好きです。極論すればフィクションとは「その世界」とイコールといってもいい。キャラクターやストーリーすべてを含めて「その世界」を感じさせてくれことがいちばんの楽しみなのです。これは後年になって「テキスト中心のADV」という物語没入のための最高効率を叩き出す装置にハマる理由にもなります。いわゆるエロゲですけどね。
あの荒野の感じ。きらびやかな儀式。魅力的なキャラクター。そして人々の生活に確実に息づいている神々。まったく知らない果物なのにやたらにおいしそうな飲みもの。そのすべては栗本薫っていう叙述の化物だからこそ生み出せたものではあるんですが、ふと文庫本を机のうえに置いて現実に戻ってきたとき、ひょっとして本のなかの世界こそが現実で、こちらのほうが夢なのではないか、そう思えるくらいに現実の認識にまで侵食してきた作品はあれが最初で最後でした。
次のターニングポイントは、というとやっぱりスレイヤーズになるのかなあ。同時期にフォーチュン・クエストもありますけど、俺はあのへんの作品にはあまり「異世界」は感じなかったんですよね。たぶんキャラクターが現代寄りだからだと思います。別の世界にいて、別の背景を持った人物なら価値観そのほかだって現代日本の人間とは違う。グイン・サーガはそのへんの処理がめちゃくちゃうまかったんですよね。全体的にあの著者は「それっぽい」という感じを出すのがとにかくうまい。まあ著者もこの世にいないいまとなっては、それこそが最大の能力だったのかな、と思わないでもないですが。
近作(とまでは言えないかもしれません)では「ゴブリンスレイヤー」が濃厚な異世界感がある作品だと思います。設定まわりでいうとそこまで特殊なことはしてないと思うんですが、ゴブリンが人間にとっての災厄であるという一点が強烈に印象づけられることによって「ここではない」という感じを強く受ける。人間と近縁種の亜人的存在の「違う」という感じの描写も悪くないです。あとロケット失禁スタートも最高です。あれ以来、恐怖失禁描写のある作品やたらに増えたよね……。個人的に恐怖失禁そんなに好きじゃないんですが、ゴブスレのあれはよりによってヒロインがやらかしたということと、確かにこれは失禁するわ、という説得力がすごかった。あと神官ちゃんの育ちのよさと失禁の落差がよかったです。3日間おふろに入ってない神官ちゃんの服のなかに鼻突っ込んで深呼吸したい。
クソみたいな話になってしまった。
ところで物語の設定とは別に、メディアとして強い没入体験を要求してくるジャンルというのがあります。それが俺とっては「テキストを中心としたADV」いわゆるエロゲです。絵があって文章があって音楽がある。もうこれだけでいい。なにもいらない。ちなみにアニメはそんなに好きではないです。アニメには文字がない。向こうの演出による時間感覚を強制される感じが苦手なんですよね。逆にいうと、この手の映像芸術が好きな人は、時間感覚を操られてジェットコースターに乗せられてる感覚が嫌いじゃないんだと思う。自分にとっては「最初」のメディアが文字だったので、呪縛といっていいほど文字中心の感受性を持っています。それでいうと、エロゲのあの形式はあくまで「文字」ありきなんですよ。文字を読むことによって作品世界を享受するために絵や音楽といった補助ツールがある。俺はそういう感覚です。なので、正直いってボイスは邪魔だったですね。ここんところは声優さんの演技レベルが非常に高いし、ボイス前提でテキストが組み立てられているようなところがある。それにアサプロみたいにテキストとボイスが違うなんて演出してくるところもありますからね……。
この「没入のためのツール」一式が非常に高いレベルでまとまっていた作品として、最初に経験したのが「Kanon」という作品です。
昨今のADVは、最初から海外市場を視野入れた全年齢に行っちゃってますね。まあアトリくらいやっといたほうがいいんだろうけどなあ、と思いつつ手つかずなのが昨今の状況。ライター買いでサガプラの近作はやっとかないとなあ。さかき傘さんとかかずきふみさんとか、エロゲでもまだまだバカみたいにうまい人たくさんいますよね。
というわけで、異世界ファンタジーとはちょっと話がズレてしまいましたが、年齢に関係なく、俺は「没入させてくれる」おもしろい作品をずっと探しつづけています。