202409060430
早くもやる気なくなってきた……。
日記なので今日あったことを書きます。今日は夕方くらいに起きて仕事していま帰ってきました。以上です。仕事中は心のスイッチがオフになっているのでなにも起きていないことになっています。最近お子さんができて、近々栄転して引っ越す若い社員が「クソ、あの野郎まじでぶっ殺してやる」とか言ってました。どこでも人間関係は大変ですね。他人事なのでどうでもいいですけど。
今日、仕事しながらぼんやり考えていたのはプロットについてです。みなさん、プロットってちゃんと作ってますか。
まずは自分の話をしますと、俺は自分を「小説書くのにもっとも向いてない人種のひとり」というふうに位置づけており、このことはプロットを組めないという事実にもいかんなくあらわれております。
よくほら、まずは100字くらいであらすじ作れっていうじゃないですか。それをふくらませて起承転結にしてプロットに、みたいなやつ。あれね、できないんですよ。いくらがんばっても100字で概要をまとめるっていうのができないの。そんなはずはない、およそネット上とはいえ10年20年と毎月のように5万字10万字と書いてきた人間が、たかが100字のあらすじをまとめられないはずがない。そう思うじゃないですか。そうでなくても、どんなかたちでもそれっぽくでっちあげろって言われたら、まあ社会人やってメール書いたりなんだりで文章と付かず離れずの生活してる人なら、なんとかできてしまうのではないか。
そう思ってたんですけど、ほんとに、まったくできないんですよ。これはどういうことなのか。おかしいんじゃないか。そんな人間がいるはずがない。自分のことなのに驚きです。しかしできないものはできない。
ところでそのころ、とつぜんうちの奥さまがインド映画に目覚めました。
「バーフバリ! おもしろすぎて筋トレが捗る!」
「いや、その捗りはおかしい」
まあおもしろい作品があるのはいいことです。そこでうちの奥さまは「もっとほかにおもしろいインド映画を探せ」と言い出した。自分でやれよとは思うものの、元来が調べものが嫌いではない俺は、各種データベースからインド映画の話題になってるやつを探すという作業をえんえんと繰り返していました。それでそのうち気づく。映画の紹介のあらすじってまさに100文字くらいじゃないか。そうだよ。あらすじにまとめるっていうのはこういうことだ。アマゾンにおけるラノベの紹介文だってそんな感じじゃないか。つまりこの世は100字程度のあらすじ紹介にあふれている……!
俺のあやまちは、これから作ろうとしている未知の作品についてのあらすじを考えていたことにあった。そもそも「あらすじを書く」という作業そのものが俺にとって未知の領域なのです。未知に未知を掛けたらワンダーすぎてもうわけわかんねえよ。
というわけで俺は、すでに知ってる作品のあらすじを100文字程度にまとめる作業を開始しました。たとえば読んだ商業ラノベのあらすじをまとめるとかそういう作業ですね。
そして気づいた。俺、それすらできねえ。なにどうやっても紹介できないんですよ。ラノベの場合ですと、それを買ったサイトには説明文があるわけで、いちおうの「正解」がわかるわけです。なるほど、こうやってまとめるのか。じゃあ次だ。ということでまた読んだ作品をまとめてみようとするんですが、いざ自分でやるとまったくできない。
ここに至るといいかげん認めざるを得ません。俺はどうやら、ストーリーを100字程度にまとめるのに必要な能力を持っていない。絶望としか言いようがない。
「ところで映画まだ?」
俺の落ち込みをよそにうちの奥さまからは矢の催促です。
「踊るやつがいい。全員踊る。相模原市まるごと踊るくらいのやつがいい」
「なんでそんな縁もゆかりもない土地を出した。そしてそれはもはやジャンルがパニックかホラーだ」
「橋本近辺だけ踊らなくていい」
「相模原にどういう因縁が?」
「五叉路があるから。いっつもラジオで橋本五差路って言ってた」
「もうないと思うよ。立体交差になったし」
まあおもしろさなんて個人差あるんで、てきとーに評判高い作品を3つばかり紹介しておきました。ふと思いついて、ついでに聞いてみた。
「ところでさ、バーフバリを100文字程度のあらすじにまとめてみてもらえる?」
「ん? 別にいいけど」
と、うちの奥さまはその場でざっとあらすじをまとめて話しました。テキストに起こしてみたら100字程度で。あの超大で複雑な内容を。
実はうちの奥さま、小説を書くのに必要な能力のほとんどを持ってるタイプの人です。ストーリーを考えて、特徴的なキャラクターを作り、目的を与え、伏線を作り、それを回収し……みたいな作業を餃子食いながら片手間にやれる。ただ、やれるだけです。本人いわく「小説を書くなんてめんどくさい作業をするモチベーションがない。なんで自分でやんなきゃだめなの」ということだそうです。
じゃあその書くための能力はいったいどうやって身につけたのかというと、どうもなろう勃興以前のウェブ小説をジャンル問わずに大量に読んでた過去があるらしい。
「で、そういうのってさー、おもしろくないやつが多いんだよね。それで、ここをこうしたらもっとおもしくなるとか、なんでこの話がおもしろくないのかとかいろいろ考えてるうちにこうなった」
とのことです。
つまりこれ、できる人間はできるんですよね。
ためしにと思って、プロットの作りかたとか、箱書きとかひととおり説明したら「ああ、そういうやりかたがあるのか。それは便利だよね。なるほど、複雑なものってこうやって管理してたのね」で納得して終わった。
俺がプロットを作れない、あらすじをまとめることもできないということを相談すると、
「え、それであれだけ文章書いてたの? 全体像が決まらないと一文字も書けないんじゃないの?」
などと逆に驚かれました。
どうもうちの奥さまのなかでは、小説を書くということは、文章を書くことではなく、まずジグソーパズルを作るときのように外枠が決まっており、その内部に絵を描いていくわけだが、まず題材が決まらないと枠すら作れず、絵も描けず、とうぜん細部の作りようもない。なにを説明したらいいかわからないので文章も書き始められないと、まあそういうことらしいのです。どうしてここまで理解してて書くつもりないんだろう……いやまあ、書く理由がないからなんだろうけどさあ……。
以前見かけたタイムラインでは「プロはかならずプロットを作る。なぜなら設計図のない家は、作れるかもしれないが人が住めるものではないからだ」とのことで、まあ確かにそのとおりです。納得します。
でも、いろいろ呻吟しながらここまで書いてきて、やっぱり俺はプロットどころかあらすじすらも作れないらしいんですよね。エロ小説がメインになったのは「とにかくまずセックスをする」という目標が決まっており、ほかは導入とオチというシンプルな構造だから、というのがあったかもしれません。エロに関してはほんとに驚くくらいに一般向けより苦労が少ない。自分の書ける範囲でどこ向けに書くか、というだけの問題ですからね。もちろん表現方法とかシチュとかで別の苦労はあるんでしょうけど、俺はそっちで苦労した記憶はあまりありません。それこそ向いてたんだと思います。
それでもエロなしのお話でしか表現できないこともあるだろうから、やはり書いてみたい。いろいろ試行錯誤した結果、俺がたどりついたのは、以下のようなやりかたです。
・オチは決めとく
オチは「すべて」を含んでいます。最終的な着地点です。
・オチに至るまでの障害を決める
障害は全生活に影響を与えるようなものがいい。たとえば実妹なのに好きになっちゃったとかそういうのです。しかも8歳なのに(その追加説明必要だった?)
・進捗度を決めておく
ラブコメなら関係性の近さ遠さ。つっても一般向けはラブコメしか書いたことないのでほかのはよくわかりません。
・キャラやら生活環境やらの設定は異常なくらいに細かくしつこくやる
そこからネタが拾えますので。
以上のようなルールだけ頭に入れておいて、あとは出たとこ勝負です。これでうまくできるかというと、できません。ふにゃふにゃになります。ただ、どんなにヨタついていてもとりあえずエンディングにたどりつけばいいという考えかたです。別に商業作家になりたいとかいう野望はぜんぜんないので、作品の出来不出来はどうでもいいです。書いて楽しく、いつかエンディングが来る。それだけでいいんです。
という感じで、ただ現在はここ以外にアカウント持ってない(なろうは複垢禁止でしたよね、確か)ですし、週に一度程度、公表するあてのないエロの短編を書いてるくらいです。今後どうするのか、なんかやりたくなるのかぼんやり考えながら日記だけ書いてくっていう感じですかね。
ちなみに俺が一時期チャレンジしてた「100文字あらすじ特訓」は、相当に多くの人にとって効果があるトレーニングなんじゃないかなとは思いました。俺みたいに「文章だけなら1時間3000文字ペースで永久に書いてられる」というタイプの人にとって、ネタを思いつくための手法ってほんとにだいじで、逆にいうとネタさえ思いつけば無限に書いてられる。いまでも思い出したようにこのチャレンジをやりますけど、最近はたまにはあらすじらしきものができるようになってきた。隙間時間でできますし、それこそスマホのメモ帳、はてはだれにもフォローされてないSNSの鍵垢とかでやると捗ります。ツイッターの140文字っていろんな意味で「ちょうどいい」んですよね……。
というわけで今日は時間になったので寝ます。いま洗濯機が終わった。